小学三年、あの村で起きたこと
1986年、小学三年だった俺の暮らす村に、ひとりの少女が越してきた。名前はミキ。明るくて活発な、笑顔の絶えない女の子だった。
けど、彼女には「普通」とは明らかに違う何かがあった。霊感なんて言葉では到底言い表せない、圧倒的な“力”。今でも、地元の人に「ミキって知ってる?」と聞けば、大抵の人が「ああ、あの子ね」と頷くだろう。それくらい有名だった。
俺とミキは同じクラスだったが、当時の俺にとっては霊とか幽霊とか、ただの作り話にしか思えなかった。だから、彼女の「見せてあげる」という言葉にも、最初は興味本位でしかなかったんだ。
けど、ミキが家から持ってきたポラロイドカメラで撮った3枚の写真は、そんな子どもじみた認識を一瞬で吹き飛ばした。
1枚目:木のそばにうなだれる中年の男性
2枚目:顔が溶けたように歪んだ甲冑姿の人物
3枚目:絶叫するような顔が画面いっぱいに写ったもの
あまりにもハッキリ写っていて、もはや「信じる」「信じない」の次元ではなかった。クラス中が騒然となったのは言うまでもない。
男子たちはそんなミキを一目置くようになったが、女子たちは次第に距離を置くようになっていった。それでも、彼女は気にする素振りも見せず、以前と変わらず元気で明るいままだった。
そんなミキが暮らしていた家は、村の外れ、ぽつんと一軒だけ建つ家だった。周囲100メートルには他の家が一軒もない。ある時、誰かが「なんでこんなところに住んでるの?」と訊ねた時、ミキは笑いながらこう答えた。
「お母さんが、ここに住まないといけないって言ったの。住まなかったら悪いことが起きるからって。」
ミキの母親も、どうやら只者ではなかったらしい。
俺の家ではちょうど引っ越しの話が出ていて、俺はミキの家の近くに住みたいと思った。で、子どもながらに母親に「いい土地があるよ」と勧めたんだ。けど調べてみると、ミキの家の周囲一帯はすべて県の所有地で、売却予定もなし。つまり、一般人は絶対に住めない土地だった。
それをミキに話すと、彼女はちょっと困ったような、でもどこか諦めたような笑みを浮かべて言った。
「うん、それは住んじゃダメな場所だよ。」
その時は深く考えなかったが、後になって、その意味の重さに背筋が冷たくなる。
それからしばらくして、ミキの家に遊びに行こうという話が男子の間で持ち上がった。ミキは断固として拒否した。「危ないから絶対ダメ」と、いつもの彼女とは違う、真剣な表情で。
けれど好奇心と勢いが勝ってしまった俺たちは、ある日、放課後にこっそりと彼女の家に向かった。周囲にはトゲトゲの金網が張り巡らされ、家に通じる一本道以外からは進入できない構造だった。
それでも俺たちは網をよじ登り、裏手から近づいた。草ひとつ生えていない土混じりの地面を進んでいくと、途中でひとりの男子が突然叫び声をあげて走り出した。
「黒い霧に包まれそうだった」と後で語ったその子は、嘘をつくような性格じゃなかった。しかも、ミキの「危ないからやめて」の忠告を思い返すと、俺たちは背筋を凍らせた。
翌日、ミキは教室に入るなり俺たちを怒鳴りつけた。「なにしてるのよ!!!」と。
そのまま授業そっちのけで彼女に連れて行かれ、家の前、金網から200メートル手前で待機させられた。
しばらくして現れたミキの母親は、俺たちに「本当にごめんなさいね、大丈夫だからね」と穏やかに語ったが、逆にそれが不安を煽った。
そこから始まった“儀式”のようなもの。白装束のミキ、御札だらけの家、無言の祈り、ミキの母の怒り。そして、俺たちが守護されていたこと、そしてその守護を「差し出した」ことで俺たちは無事だったことを、後から知らされる。
数十年後、ミキと再会した時、ようやく真実を聞くことになった。
後日談:そして再び、あの地へ
2010年の秋。母から一本の電話があった。
「来年の4月4日、実家に帰ってきて。5日は会社を休みにしておいて」
理由は語られず、ただ日時だけが伝えられた。
そして2011年4月4日、仕事を終えた俺は2時間半かけて実家へ戻った。夕飯は妙に豪華だったが、肝心の「なぜ呼んだか」について母は一言も触れなかった。
翌朝、4時半。寝ていた俺は叩き起こされ、着替えろとだけ言われる。
実は前日、駅で偶然にも小学三年の時の友人と再会していた。そのときすでに、なんとなく察していたんだ。そしてそれは現実となる。
向かった先は、例のミキちゃんの家……があった場所。
到着して、言葉を失った。
あの金網が張り巡らされていた土地は、まるで軍事施設のような高い塀に囲まれていた。3メートル以上はあるコンクリートの壁。てっぺんにはトゲ付きの鉄線、しかも“高電圧注意”の看板まで掲げられていた。
県の立ち入り禁止措置以降、地元でも近づくことがタブーになっていた場所。それがここまで厳重に管理されていたとは思わなかった。
正門には黒スーツ姿の男性が立ち、身分確認を行う。母が名前を告げ、本人確認が済むと鉄の門が開かれ、俺たちは中へ。
中にあったのは、かつての家ではなかった。ただ、あの“草一本生えていない、石混じりの地面”だけが、そこに広がっていた。
ぽつんと、白装束の女性が三人。目の前に現れたひとりが、俺の名を呼ぶ。
「山田くん?」
その声を聞いた瞬間、全てが蘇った。そう、ミキちゃんだ。
思わず駆け寄り、俺はその場に土下座した。
「あの時、ごめん……本当に、ごめん」
泣きながら頭を下げる俺に、ミキは優しく微笑んだ。
やがて、かつてのメンバーがひとり、またひとりと集まってくる。そして皆、俺と同じように謝った。
三人の白装束の女性は自己紹介をした。ミキ、ミキの母、そして当時のお祓いをしてくれた若い女性。けれど名前は一般的なものではなく、まるで戒名のような長く厳かな名前だった。
集められた理由は、土地の“開放”と、俺たちの“守護霊の供養”。
あの土地には「地厄(じんやく)」と呼ばれる存在がいたという。
それはただの霊ではない。土地に根ざした、強大な呪縛霊。その場に足を踏み入れた者に不幸をもたらし、時に命すら奪う。神隠しのような現象も、全て地厄の仕業だった。
本来ならば、人の第六感が“あそこには近づくな”と警鐘を鳴らすはず。でも、子どもだった俺たちは、それを押しのけてしまった。
きっと、ミキちゃんに惹かれる気持ちがそれほど強かったんだと思う。
あのとき、黒い霧を見た子がいた。実際には、霧なんて見えないはずだった。目で見るのではなく、守護霊や第六感が恐怖として“感じさせた”幻覚だったらしい。
そもそもの始まりは、土地開発だった。
あの土地は元々、起伏の激しい山地で、開発時には古墳のような人工的な盛り上がりがあったという。それを削って平地にした途端、作業員が相次いで失踪。
村の役人が「地厄の可能性がある」と警告し、県が土地を買い取って封印することになった。そうして、ミキちゃんの母親が地厄封じの役目を担うことになったわけだ。
地厄を完全に鎮めるには、専門の祓師が25年間、土地を守り続けなければならないという。誰かが干渉すれば、カウントはリセットされ、また25年が必要になる。
俺たちは、守護霊によって命を繋がれていた。あのときの祓いで、俺たちの守護は地厄の代わりに捧げられた。だから無事だった。
この日、俺たちはまず「土地の開放」に立ち会った。白装束の三人が黙して座り、祈りを捧げる。すると、空気がゆっくりと変わっていくのを感じた。説明は難しいが、何かが“消えていく”ような感覚だった。
続いて「守護の供養」が行われた。新たな守護が俺たちに宿る瞬間だった。
これで、全てが終わった。――そう思った。
六体の地厄 ― 忘れてはならない“存在”
「そもそも、地厄ってなんなの?」
あの土地の開放を終えたあと、ミキが静かに話し始めた。
地厄――それは、ただの霊とはまるで違う。
もともとは古墳などに祀られていた、身分の高い者たちの魂。土地を治め、眠っていた者たちが、その眠りを侵されたことに怒り、災厄をもたらす。
その力は凄まじく、並の霊能では歯が立たない。文字通り、“最上位”の霊的存在だった。
そんな地厄が、もし六体同時に現れたらどうなるか?
――ミキの話は、そこで一段と重くなる。
それは2003年の出来事。
ミキ自身が、ようやく除霊を行えるようになった頃。ある日、彼女のもとに母から緊急の連絡が入った。集合場所は、片田舎の山中。やはり原因は、土地開発だった。
工事現場では、あきらかに古墳と思われるものがいくつも出土していた。けれど、工事責任者はそれを無視し、開発を続行。いや、むしろ“宝でも出るかもしれない”と期待していたのかもしれない。
結果は最悪だった。
工事に関わった人間が、ひとり残らず消息を絶った。
事態は深刻すぎた。通常、地厄が一体でも現れれば、それだけで複数の祓師が対応にあたる。だが、今回は六体。同時に、同じ土地に現れたなどという前例は一度もない。
祓師たちの間では“緊急招集”がかかり、全国から九人の地厄祓師が集められた。
本来なら、まず家を建て、祓師が常駐して浄化を進めるのだが、今回はそうもいかなかった。数が多すぎたのだ。しかも、人数も足りない。
そこで出された結論は、土地の完全封鎖だった。
一辺800メートルという広大な四角形の土地を、壁で囲って誰も近づけないようにする。ダム建設という名目で、周辺の住民は強制的に立ち退かされた。
幸い、高齢者が多く、移住は大きな反発もなく進んだ。けれど、本当の恐怖はそのあとだった。
封鎖翌日。近くの旅館に泊まっていた祓師二人が、音信不通になった。
慌てて現地を確認すると、祓師全員が“察した”。
「……持って行かれてる」
それは地厄による攻撃だった。
しかも、祓師たちの中でも最も霊力の強かった二人だったという。今までは、地厄の“縄張り”である土地の内側でのみ力を発揮するはずだった。しかしその時、地厄は壁の外まで“伸びて”きていた。
これまで一度も起きたことのない“地厄支配圏外への侵出”。
それを目の当たりにした祓師たちは、「勝ち目がない」と判断し、その場から撤退。中には恐怖で震えが止まらなくなる者もいたという。
現在、その土地は完全封鎖されたまま。表向きは「ダム建設予定地」。だが、実際にダムができるかどうかは誰にもわからない。というより、建設を始めることすらできていない。
ミキは、涙を浮かべながらこう言った。
「そこに踏み入れば、誰かが死ぬ。そういう場所なんだよ……」
六体の地厄のうち、少なくとも一体は、かつて日本の歴史に名を刻んだ人物だったのではないか――そんな推測がされているほど、異常な力を持っていた。
彼らは、“奉られるべき存在”だった。
けれど、それを無視して、土を削り、静寂を壊した。
その代償は、想像を超えるものだった。
そしてミキは、最後にこう言った。
「もし心当たりがあっても、絶対に見に行こうなんて思わないで。
これは好奇心でどうにかなるものじゃない。
あそこは、人の領域じゃないから――」