俺の友人の中に、一人だけ霊感があると言い張る奴がいる。
仮に岩男とするが、そいつは「どうせ信じないだろ」と言って、俺以外の誰にもそういう話をしなかった。付き合いは二十年以上になるが、その話を打ち明けられたのは、ほんの一年前のことだ。
きっかけは、俺がヤクザ絡みの金銭トラブルに巻き込まれた時だった。首が回らなくなり、酒に逃げ、夜中に岩男を呼び出して愚痴をこぼした。その流れで「こういうの、見える人っておるんかな」と冗談めかして言った瞬間、岩男が妙に真面目な顔で黙り込んだ。
しばらくして、ぼそっと言った。
「知らん人間が語ったらあかんで……」
声が低く、腹の奥から出てくるような響きで、思わず背筋が冷えた。どれだけ「信じるから」と言っても、それ以上は何も話さなかった。ただ「みんな色々抱え込んでるんやな……」と、独り言みたいにつぶやいただけだった。
それ以来、俺たちの間では、その手の話題に触れないまま日常が戻った。
そんなある日の夜、同級生の久子からカラオケに誘われた。彼女はバイト先の友人である敬子を連れてくると言っていた。久子とは昔からの付き合いで気心も知れていたし、岩男も誘えば来るだろうと思い、四人で集まることになった。
店では特に変わったことはなかった。二時間ほど歌い、笑い、他愛のない話をした。帰り道、助手席に座った敬子が、唐突に言った。
「私、小さい頃から霊感があって……」
一瞬、車内の空気が止まった気がした。俺は反射的に岩男を見る。だが岩男は前を向いたまま、「へー」「そっかぁ」と、どうでもよさそうに相槌を打つだけだった。その様子に、かえって違和感を覚えた。
解散前、岩男がドンキホーテに寄りたいと言い出した。理由を聞くと「帽子が欲しい」とだけ言う。普段、服装に無頓着な男だ。からかい半分で「誰か気に入ったんか」と言うと、「お前のセンスで決めてくれ」と短く返された。
結局、俺が適当に選んだキャップを奢ることになった。岩男は会計を済ませると、その場で深く帽子を被り、無言になった。顔がほとんど見えないほどだった。
帰りの車内で、どうしても気になって聞いた。
「なぁ、さっきの敬子って……」
「ねぇよ」
言葉を遮るような即答だった。続けて、押し殺した声で「気持ち悪りぃ……」と吐き捨てる。
「何か言われたんか」と尋ねても、岩男は首を振るだけだった。
「久々に見たわ。ああいうの。お前に帽子まで買ってもらう羽目になるし」
意味が分からなかった。だが、それ以上踏み込む気にはなれず、その日は岩男を家まで送り届けて別れた。
それからしばらく、仕事が立て込んで岩男とは会っていなかった。ある夜、眠りかけた頃に携帯が鳴った。表示された番号を見た瞬間、心臓が跳ねた。以前トラブルになったヤクザだった。
「久し振りやのぅ、元気しとるんけ兄さん。なんべんも電話したんやけどの」
眠気が一気に吹き飛ぶ。「縁切ったはずやろ」と言うと、相手は構わず話を続けた。
「敬子っちゅう子、知っとるやろ」
名前を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。知らないと答えようとしたが、相手は俺の言葉を待たずに続ける。
「追っかけとったらな、うちの姪っ子の友達や言う事での。久子や。お前、よう知っとるやろ」
頭が真っ白になった。久子が、あの男の姪だったとは。
関わりたくない一心で電話を切ろうとすると、「安心させてくれたらええんや」と、低く笑う声が耳に残った。結局、「久子に聞いてみる」と言ってしまった。
数日後、鬼のように着信が鳴った。
「お前、何べん鳴らしても出んのや!」
怒鳴り声の向こうで、聞き捨てならない言葉が続く。
「久子がな、敬子連れて来よったわ。お前が連れて行け言うた言うてな」
身に覚えはなかった。だが、否定する前に電話は切れた。
それ以降、久子とは連絡が取れなくなった。
数か月後、久々に岩男と会い、酒の席で一連の出来事を話した。岩男は黙って聞いていたが、最後にぽつりと呟いた。
「あの敬子って子、この前来たよ。俺んとこ」
血の気が引いた。
「顔、ぐちゃぐちゃでな。舌、出してた」
冗談にしては、声が淡々としすぎていた。
「久子は……どうなったんや」
岩男は少し考え込むように間を置いた。
「知らん。でも、あの時から、久子ちゃんの周り、妙に重たかったで」
そう言って、グラスに残った氷を指で転がした。
「恨みいうんは、残るんやな」
帰り際、岩男が帽子を深く被り直し、独り言のように言った。
「まぁ……あの辺、もう誰がおってもおかしないけどな」
それが何を指すのか、聞き返すことはできなかった。
(了)