数年前のことだ。
特定されないように、いくつか事実をずらして書く。
私は田舎を出て、八王子に近い街の古いアパートで一人暮らしをしていた。女子大に通い、サークルには入らず、駅前のファミレスでバイトをしていた。家賃と最低限の生活費は親の仕送り。遊ぶ金は自分で稼ぐしかなかった。
学校帰りにファミレスで数時間働き、夜に帰宅する。そんな生活を続けていると、どうしても金は足りなくなる。短時間で、家から出ずに稼げる方法があればいいのにと思っていた。
きっかけは、駅前で配られた一枚の紙だった。キャバクラの求人広告。その下に、小さく別の案内が載っていた。
おしゃべりが苦手でも大丈夫。
QRコード。
家に帰ってから、何気なくアクセスした。ライブチャットの求人ページだった。顔出し必須ではない。脱がなくてもいい。会話だけでもいい。十八歳以上限定。合法。
登録は簡単だった。パソコンにはカメラが付いていた。ウィッグをかぶり、適当な名前を設定し、配信を始めた。
驚くほどすぐに人が来た。
脱いで、というリクエストもあったが断った。雑談だけの相手も多かった。画面越しだと、不思議と話せた。自分のことを少しずつ、少しだけ嘘を混ぜて話した。
一ヶ月で、五万円分のポイントが貯まった。
講義とバイトと、夜の数時間のおしゃべり。それだけで、月に五万円。割のいい仕事だった。
常連がついた。四人ほど。私がログインすると、必ず入ってくる人たち。皆、仕事帰りのサラリーマンのようだった。会話だけを求めてきた。
その中に、一人だけ違う人がいた。
常にプライベートチャット。二人きりにこだわる人。
名前は金子と名乗っていた。
半年ほど経った頃、私は彼氏ができた。
だから、チャットをやめることにした。プロフィールに、月末で退会すると書いた。
常連たちは、別れの言葉をくれた。楽しかった。元気で。勉強がんばって。
少し寂しかったが、それで終わるはずだった。
最後の数日、念のためログインした。
その瞬間だった。
即座に、プライベートチャット。
金子だった。
やめるのか。
色々あって。
色々って何だ。
学校とバイト。
夜だけならできるだろ。
できない。
土日は。
教習所に行く。
言葉の一つ一つが、押し込んでくるようだった。
どこの教習所だ。
この辺だよ。
八王子だよな。
突然、声が荒れた。
怒鳴られた。
金がどうこう。使った額がどうこう。
私は慌てて通話を切った。
すぐに謝罪のメッセージが届いた。
動揺していた。大好きだから。嫌いにならないで。
その日はそれで終わった。
二日後、またログインした。
また、即座にプライベートチャット。
謝罪。
そして、妙に具体的な話。
教習所の料金。
学生割引。
期間。
計算。
笑ってごまかしたが、背中に冷たいものが這った。
その日以降、ログインしなかった。
退会手続きをするため、月末に一度だけログインした。
画面が固まった。
新着メッセージ、百件。
すべて、金子からだった。
逃げたの。
逃げるな。
逃がさない。
同じ言葉が、何度も繰り返されていた。
退会した。
それで終わるはずだった。
数日後、学内の掲示板に張り紙が出た。
つきまとい注意。
自動車学校帰り。
年齢。
特徴。
胸が締め付けられた。
学生課に相談した。
別の学部の女子学生が、声をかけられたという。
教習所。
女子大。
ファミレスでバイト。
十九歳。
顔を見れば分かる、と言われたらしい。
私はその夜、彼の家に泊まった。
数日、アパートには戻らなかった。
一週間後、昼間に郵便物を取りに戻った。
異変はなかった。
さらに一週間後、一人で戻った。
ポストに、宛名のない茶封筒があった。
管理人からのものだと思い、持ち帰った。
鍵を開けようとした瞬間、室内から音がした。
ガサゴソ。
何かを探る音。
私は逃げた。
交番に駆け込んだ。
警察と一緒に戻ると、部屋は荒らされていた。
侵入経路はベランダ。
盗まれたのは、パソコン。
それと、花柄のワンピース。
警察は空き巣だと言った。
実家に戻ることになった。
アパートは引き払った。
荷物を整理していると、あの茶封筒が出てきた。
中には、印刷された紙。
まどかちゃんへ
恋しくて来ちゃった
また来るね
その文面を、私は何度も読み返した。
今でも分からない。
彼が一人だったのか。
それとも、複数いたのか。
ログインした瞬間、必ず誰かが待っていた理由。
私の話した些細な情報が、現実で再構成されていた理由。
盗まれたものの選び方。
怖かったのは、侵入されたことではない。
見られていたことでもない。
私が、画面の中だけの存在ではなくなった瞬間があったことだ。
どこで。
誰に。
どの言葉で。
それが、いまだに分からない。
[出典:2014/08/18(月) 09:25:19.72 ID:oQyBdFeL0.net]