夜の山に焚き火を起こしたのは、仕事の延長だった。
表向きは肝試し。実態は、売上が落ち込んだ店の苦肉の策で、常連へのアフターサービスという名の接待だ。ナンバー1のガクトさんを目当てに通ってくる客は多い。その機嫌を取るためなら、多少の無茶は通る。
集まったのは六人だったはずだ。
常連のお客様が一人、その連れが二人。僕とユウキ、そしてガクトさん。女二人、男三人、性別がはっきりしない一人。誰がどれに当たるのかは、今思うと最初から曖昧だった。
焚き火越しに、ガクトさんが僕を呼んだ。
「なあリョウ。それ、お前の地元のマンションだろ」
炎に照らされた顔は、妙に平坦で、人形みたいに見えた。
「そうです。まあ噂レベルですけど」
そう答えると、客の一人が甲高い声を上げる。視線は終始ガクトさんに貼りついていた。
輪の中は笑っている。だが全員、別々のことを考えていた。客はお気に入りを値踏みし、ガクトさんは売上を計算し、僕は失敗しない立ち回りを探していた。
怪談は百物語の形で進んだ。ほとんどはガクトさんの独壇場だった。業界話に心霊を絡めるのがやたら上手く、誰もが感心したふりをする。
その流れを切ったのがユウキだった。
「ガクトさん。四角い部屋って知ってます?」
焚き火が爆ぜる。
「四角い部屋? 部屋なんてだいたい四角だろ」
ガクトさんは笑ったが、いつもの余裕はなかった。
「いや、完全に四角い部屋です。エレベーター直結で、最上階にあるらしい」
場が静まった。ガクトさんは首をひねり、知らないと認めた。
そこから空気が変わった。怪談はいつの間にか「ガクトさんが知らない話探し」になり、妙な高揚感が生まれた。
百話が終わる頃、廃ホテルに行く案が出たが、ユウキが首を振った。
「なあ、四角い部屋。試してみないか」
冗談だと思った。僕は笑って受け流したが、ユウキの目は冗談をしていなかった。
結局、僕は引きずられる形でマンションへ向かった。
十階建ての古い建物。外観は普通だが、夜だと輪郭が歪んで見える。入口の自動ドアは反応が鈍く、エレベーターの蛍光灯は点滅していた。
「一階から十階まで、全部押すんだ」
ユウキが言う。
一階のランプは点かなかった。
「最初から無理じゃん」
そう言うと、ユウキは無言でボタンを押し続けた。
途中で全てのランプが一瞬だけ点いた。見間違いかもしれない。でもユウキは確かに笑った。
「次は非常ボタンだ」
嫌な予感がして止めたが、間に合わなかった。
エレベーターが止まり、照明が落ちた。
「俺、行ってくる」
誰かがそう言った気がした。
暗闇の中で、通信音だけが続いた。
次に気づいた時、僕は一階に立っていた。エレベーターは空だった。
翌日、店でガクトさんに聞いた。
「昨日、肝試しで一緒だったユウキなんですけど」
ガクトさんは怪訝そうな顔をした。
「誰だそれ」
常連にも聞いた。返ってきた答えは同じだった。
六人で行ったはずだ、と言うと、全員がうなずく。
だが、誰が六人目なのかを言える者はいなかった。
名前を出そうとすると、喉が詰まる。
顔を思い出そうとすると、別の誰かになる。
名簿を見返しても、最初から五人分しか載っていない。
ある夜、ふと気づいた。
僕自身の源氏名が、以前と違う気がする。
誰が欠けたのか分からない。
だが、何かがきっちり収まってしまった感じだけが残っている。
完全に、四角く。
(了)