私の母方の家には、昔から「山に関わるな」という言葉があった。
理由を聞いても、誰もはっきり答えない。ただ、女たちは皆、その言葉を当たり前の注意のように受け取っていた。
山のふもとに、古い小さな寺がある。観光案内にも載らない、檀家もほとんどいない寺だ。母はそこを「うちの寺」と呼ぶが、誰が建てたのか、いつからあるのか、正確なことは知らない。聞けば、はぐらかされる。
ただ一つだけ、何度も聞かされた話がある。
昔、家の先祖にあたる女が、山の神を鎮めて寺を建てた、という話だ。
鎮めた、という言い方が妙だと、子供の頃から思っていた。封じたのでも、祀ったのでもない。鎮めた。怒りを静めたのか、眠らせたのか、それとも別の何かなのか。その先は語られない。
母方の女たちは、揃って感覚が鋭い。母、祖母、叔母、従姉妹。誰かが「来てる」と言えば、全員が無言になる。誰かが急に線香を焚き始めれば、理由を聞かずに窓を閉める。そういう家だった。
一方で、男は違った。
母の兄は事業に失敗し、叔父は病気で若くして亡くなり、従兄は何をやっても続かなかった。努力が足りないというより、手応えがない。踏み出した瞬間に、足場が消えるような人生だ。
だからなのか、男の子が生まれると、決まって女の子のように育てられた。私もそうだった。小さい頃は、姉のお下がりの服を着せられ、髪も長めに整えられていた。写真を見返すと、どこからどう見ても女の子だ。
理由は聞かされなかった。ただ、「その方がいい」と言われただけだ。
成長するにつれ、その扱いは自然と終わった。だが、違和感だけは残った。男として扱われるようになっても、何かを期待されていない空気が消えなかった。失敗しても叱られない。成功しても喜ばれない。最初から、そこに賭けられていない。
あるとき、祖母がぽつりと漏らした。
「男は、見つかりやすいからね」
何に、とは聞けなかった。
家には、置いてはいけない物がある。中古の人形、誰かが手を加えた像、由来の分からない置物。大量生産された新品だけが許される。理由は「面倒だから」だと説明されたが、実際に面倒なことが起きた。
母が一度、フリーマーケットで買った人形を持ち帰った夜、家の中で子供の泣き声がした。誰も赤ん坊はいない。母は何も言わず、人形を布で包み、翌朝には寺へ持って行った。
中国で買った仏像も同じだった。置いた途端、家の空気が変わった。湿り気を帯びたように重くなり、誰もその部屋に近づかなくなった。結局、それも寺へ行った。
今、リビングに座っている人形だけは、捨てられずに残っている。新品のはずなのに、なぜか視線が合う。笑っているようにも、見下ろしているようにも見える。誰も触れない。
母は言う。
「悪いものは入れない。でも、入ってきたものは、追い出せないこともある」
私には、何も見えない。見えないから、信じきれず、否定もできない。だから余計に厄介だった。
結婚の話が出たとき、母は妙に真剣な顔で言った。
「祀るものが増えたら、全部、連れて行きなさい」
実家には置くな、と。
なぜかは聞かなかった。聞かなくても、置いていくと「誰か」が困るのだと分かったからだ。
最近になって、寺の土地を巡って揉めている。管理を任されている親戚が、権利を譲れと言い出した。母は怒らない。ただ、夜になると線香の本数が増えた。
ふと思う。
あの寺は、本当に祀るための場所なのか。
それとも、置いておくための場所なのか。
山は今もある。寺も残っている。
そして、女たちは皆、ここに留まっている。
男は、外へ出る。
出た先で、うまくいかない。
それでも戻らない。
戻れないのか、戻ってはいけないのか。
その違いを、誰も説明してくれない。
最近、夢を見る。
山の斜面に立つ、古い寺。
扉の前に、包まれた何かを抱えた自分がいる。
中に入ろうとすると、誰かが後ろから囁く。
「ちゃんと、連れて行った?」
目が覚めると、部屋は静かだ。
何も見えない。
だが、置いてきた覚えのないものが、いつも一つ、増えている気がする。
[出典:563 :2011/12/18(日) 03:29:06.56 ID:eAMJMBmL0]