私が小学校五年生のとき、交通事故で両親を亡くし、祖父に引き取られることになった。
その日を境に、私の時間は凍りつき、思考が停止したようだった。胸の中には深い空虚感が広がり、事故前の記憶はぼんやりとしていて、思い出すたびに喪失感に襲われた。笑うこと、楽しむことがまったくできなくなり、全ての色が失われたような感覚だった。学校へ行くことも、日常の些細なことも、ただ流されるままにこなしているだけで、心の中はずっと凍りついたままだった。
新しい小学校に転校してからも、私はほとんど口を開くことがなく、友達を作ろうという意欲も湧かなかった。毎朝、学校に行き、授業を受け、終われば黙々と家に帰る。それだけの日々だった。先生は気を使ってくれていたが、クラスメイトたちは私のことをどこか気味悪がっていたように思う。
祖父はいつもステテコと腹巻姿で、慣れない手つきで包丁を使い、丁寧に食材を切り分けながら、私の好きな鶏の唐揚げを頻繁に作ってくれた。料理をしているときの祖父の真剣な表情や、できあがった料理を見て安心したように微笑む姿が、今でも心に残っている。その優しさに今では深い感謝を抱いているが、当時の私たちの間に会話はほとんどなく、私は自室でただゲームに没頭する毎日を送っていた。教室における私は、誰の関心にも入らない透明な存在だった。
そんな孤独な生活を続ける中で、六年生に進級した。クラス替えもなく、環境はほとんど変わらなかった。しかし、あるとき、クラスの中で長い茶色い髪の目を引く美しい女の子が、いつもいじめられていることに気づいた。彼女は白人の祖母を持つクォーターで、父親を早くに亡くし、母親が新興宗教に入信しているという噂が流れていた。
「おい、外人!」
「たたりがあるから触るなよ」
そのような罵声が飛び交い、彼女は常に仲間外れにされ、物を隠されるなどしてからかわれていた。先生はその状況に気づいていたはずだが、意図的に見て見ぬふりをしていた。
ある日の昼休み、いつものようにクラスの代表格である大柄ないじめっ子が、彼女が大切にしていたお守りを取り上げた。周囲のクラスメイトはそれを見て笑っていた。普段は感情を抑えていた私だが、その瞬間だけは違った。彼女が小さく泣きそうな声で「それはだめ、お父さんの……」と言った瞬間、私の中の何かが切れた。
「やめろ!」と私は腹の底から怒鳴り、激しく机を倒しながらいじめっ子に突進した。彼は驚いた表情を浮かべ、不意を突かれたことで椅子につまずき、床に倒れた。私は全身の力を込めて彼に馬乗りになり、彼女のお守りを必死に取り返した。その瞬間、周りのクラスメイトたちは皆、呆然と立ち尽くし、ただ固唾を飲んで見守っていた。しかし私の怒りは収まらず、教室内でさらに机を倒し、椅子を力任せに投げつけ、壁に貼られていた張り紙を次々と引き裂き、狂ったように暴れ回った。教室中にはクラスメイトの悲鳴と恐怖の静寂が交錯していた。
普段は無口だった私が突然暴れたことで、クラスメイトたちは呆然とするばかりで、誰も私を止めることができなかった。騒ぎを聞きつけた先生が駆けつけ、その場はようやく収まった。その後、祖父が学校に呼ばれ、彼は必死に謝罪していたが、私はただ無言でそれを見ていた。
翌日から、彼女はいじめられることがなくなった。その代わり、私はさらに孤立したが、何も感じなかった。
ある日の帰り道、校門の前で彼女が待っていた。
「マサヤ君、あの時はありがとう……一緒に帰ってもいい?」
彼女は少し恥ずかしそうにそう言った。私は頷き、二人で歩き始めた。彼女は少し後ろを歩いていて、分かれ道に着くと「じゃ、また明日」と笑って手を振った。
次の日の朝、彼女は分かれ道で私を待っていた。それからというもの、私たちは毎日一緒に登下校するようになった。休み時間も彼女がそばにいることが多くなり、最初はほとんど話さなかったが、彼女は徐々に家庭のことや日常について話してくれるようになった。
彼女はおばあさんが作ってくれたお菓子が美味しかったことを思い出し、「いつか自分で作って食べさせたい」と微笑んで話してくれた。私も次第に彼女と一緒にいることが楽しく感じられるようになり、彼女にだけは心を開いて話すことができるようになった。彼女の前では笑うことさえできた。
中学に進学しても、私たちの関係は変わらなかった。ある日、彼女が私の家で遊んでいるとき、ふと私に尋ねた。
「どうして……あの時、助けてくれたの?」
私は彼女が言った「お父さんの……」という言葉を思い出しながら、「俺のお父さんとお母さんも……」と答えた瞬間、涙が止めどなく溢れ出した。事故の前の楽しかった思い出が次々と蘇り、私は泣きながらそれらの思い出を彼女に話した。彼女は泣きながら私を抱きしめ、優しく頭を撫でてくれた。そして、私たちは初めてキスをした。
「……マサヤ君、大好き。ずっと一緒にいさせて……」
彼女はそう言った。
高校生になっても、彼女と一緒にいる時間は変わらずに楽しかった。しかし、彼女の家では毎週金曜日に宗教の集まりがあり、その日は会うことができなかった。彼女は「行きたくないけど、お母さんに怒られるから」といつも嫌そうに話していた。
高校三年生のある日、彼女は真剣な表情で「大事な相談がある」と言ってきた。私たちは駅前の喫茶店に寄り、彼女は震える声で教団の教祖のお世話係に選ばれたことを話し始めた。その役割は、教祖が信者の中から選んだ女性を身の回りに置き、日々の世話をさせるというもので、名誉な役目とされていた。
彼女は泣きそうな声で「私はマサヤ君のお嫁さんになりたいのに……どうしたらいいの?」と尋ねてきた。その言葉に私の心は強く揺れ、「そんなところに行かせるわけないだろ。絶対に守ってやる」と彼女に誓った。
私は祖父に全てを打ち明けることにした。祖父は真剣に話を聞き、「彼女のお母さんを全力で説得する。もし決裂したら、ここに住まわせるつもりだ。誰一人としてこの家には入れさせん」と力強く言ってくれた。
彼女の母親との会談の日、祖父はスーツを着こなし、私にも制服を着るよう指示した。彼女のアパートに入ると、突然耳鳴りが襲い、目の前が霞むような感覚に陥った。その中で、彼女の母親の隣に父親が座って微笑んでいるのが見えた。
「今までよく頑張ったな。お前の幸せを応援してるよ」
父親の言葉に胸がいっぱいになり、涙がこぼれ落ちた。その後、耳鳴りが止み、我に返ると、祖父が「理解してもらえたようだ。帰ろう」と言った。彼女と彼女の母親は涙を流していた。
帰り道で祖父は、「何か温かい存在が、私たちを守ってくれていたようだ」と話してくれた。彼女からもすぐに電話があり、「私のお父さんが来てくれた」と言ってくれた。それ以来、彼女と彼女の母親は教団を辞めた。教団からの嫌がらせもあったが、祖父は誰一人として家に入れることはなかった。
数年後、その教団の教祖が強制わいせつ罪で摘発された。この摘発を機に教団は急速に衰退し、多くの信者が離れていった。彼女の母親もその後、教団から完全に離れ、日常生活に戻ることができた。彼女は母親と共に平穏な生活を取り戻し、二人で過ごす時間が増え、母娘の絆も再び強くなっていった。そのとき、私は心から「彼女を行かせなくて本当によかった」と思い、妻にその話をした。
「でも、こんな悪魔のような人物を信じていたこともあったんだろう?」
私がそう尋ねると、妻は幼い息子を抱きながら微笑み、「それはお母さんのこと。私は最初からあなたしか信じていなかったよ」と言った。
妻の向こう側で、祖父はステテコ姿で横になりながらテレビを見ていた。キッチンからは、妻の祖母のレシピで焼かれたクッキーの甘い香りが漂っていた。
幸せな今だからこそ、あの時、祖父に相談せずに教団の人々が彼女を迎えに来ていたならば、私は何をしていたのだろうと考えると、心底恐ろしくなる。
[出典:780 本当にあった怖い名無し 2011/06/26(日) 20:01:41.28 ID:TXVIrBId0]