二十年ほど昔の話になります。
当時私は日本五大都市の一つで美容師見習いをしていました。
当時の美容業界は修行が厳しく、全国から有名店を求めて若者達が住み込みで働いていました。
修行中は殆ど休みが無く、お盆と正月だけ3~4日の休みが貰えます。
休みに入ると、若い従業員達は故郷へ帰ります。
私は故郷が近かった為、いつでも故郷へ帰る事が可能でした。
なので、その年のお盆休みは先輩従業員の故郷へ誘われ、一緒に帰る事になったのです。
最後の仕事が終わったのは深夜だったと記憶しています。
先輩の車で高速道路を走り、先輩の地元付近に着いたのは夜中2時を過ぎていたでしょう。
畑の中の真っ暗な県道を走り、先輩の実家まであと15分ぐらいという所でそれに出会いました。
真っ暗な県道に走っているのは私達だけ、対向車も有りません。
私達の車のライトに、『側道を裸で走る少女』が飛び込んできました。
最初は絶対幽霊だと思い、急ブレーキをかけました。
後姿ですが、その少女は推定15~20歳ぐらい、側道を車と同じ向きに全裸で走っていました。
私と先輩は顔を見合わせ、常識では有り得ない。
その現実に、どうしていいか分からず黙り込みました。
『先輩、今のは何ですかね、幽霊……』
『……分からない。もう一度進んでみようか』
ゆっくりと車を走らせます。するとやはり、裸の少女が走っているのが見えます。
『先輩、これは幽霊じゃないですよね?足も有るし、はっきり質感がありますよ』
『そうだな……ちょっと声を掛けてみよう』
側道を走る少女の横でゆっくり併走し、私は助手席の窓を開けました。
『ねぇ君、こんなとこで何してるの?危ないよ、家に帰った方がいいよ』
その言葉に振り向いた少女は、ニコッと笑いながら言いました。
『こんばんは、気持ち良いですよ』
顔と身体を見て、17~8歳だと察しました。
『気持ち良いって……何で裸なの?さらわれたり強姦されたらどうするの?危ないから帰りなさい!』
私の問い掛けに俯きながら少女は言った。
『私、家出してきたんです……それに、家がどこか分かりません』
近づいて分かった事だが、少女は靴下と靴だけは履いていた。
少女の発言に少し違和感を覚えた私達は、彼女を保護し、警察に連れて行く事を決めました。
少女を後部座席に乗せ、たまたま先輩の彼女の夏物ワンピースが車内に有ったので、それを着させました。
『君、家はどこか忘れちゃったんだろ?じゃあこのまま警察に連れていくからね、そこで保護して貰おう』
私がそう言うと、少女はとんでもない事を口走った。
『警察は嫌いです、お父さんの味方だから。警察よりホテルが良いです。ホテルで私を抱いてください、私処女なんです』
私達は若かった、しかし、その若い私達でも少女の異常さを感じ取る事が出来たので、それを実現させようとは思わなかった。
少女に無理だと言うと、一枚の紙を差し出してきた。
紙には氏名と電話番号、病院の名前が書いてあった。
その紙を見た先輩が言った。
『あぁ……あそこか……』
その病院は、先輩の地元に一つしかない精神病院だった。
その番号に電話すると、病院の警備室に繋がった。
警備の人に経緯を話すと、折り返し少女の母親からポケベルが鳴った(当時は携帯普及率が低かった)
その番号に電話すると、少女の母親が慌てて電話に出た。
家は近所だったが、先輩の家とは反対方向で、よく知らない地域だと言う。
母親は何度も電話口で頭を下げていたと思う。他人事ながら、同情したのを覚えている。
少女の家に着き、母親から話を聞いた。
少女は18歳になったばかり。16歳の時、実の父親にレイプされたそうだ。
そしてレイプから数日後、父親の首をカッターナイフで刺し殺した。
それから少女は精神障害となり、その病院に入院し続けているという。
そして脱走は3回目らしい。何とも壮絶な話だ……
私達は少女と母親を病院まで送り届けた。
丁寧に御礼を言う母親の疲れた顔が印象的だった。
少女は元気が無く、あまり話さなかったが、ワンピースがお気に入りのようだった。
ワンピースはそのままあげた。
帰り際に母親が言った。
『あの……ところでお怪我はありませんでしたか?』
『え?いや、別に何も有りませんが……』
『そうですか、安心しました』
私達は病院を後にし、先輩の家路に急いだ。
予定より遅い到着に、先輩の両親が心配していた。
今夜経験したことを話したかったが、話すほどのエネルギーが残っていなかったので、二人ともそのまま寝てしまった。
先輩の実家に3日滞在し、また仕事場に帰る日になった。
出発時に先輩の妹が駅まで送ってくれと言うので、車に乗せて実家を後にする。
駅に着く直前、妹さんが後部座席から言った。
『ねえねえお兄ちゃん!これって……』
『ん?どうした?』
『何で車にカッターナイフ積んでるの?……』
(了)