仕事を辞める少し前、同僚だったTさんと残業明けにファミレスへ寄った夜のことだ。
深夜に近い時間帯で、店内には油と暖房の混じる乾いた匂いが漂っていた。コートを椅子に掛けた直後、Tさんが唐突に「娘がさ、四つの頃にちょっとおかしくなってな」と切り出した瞬間、背筋がゆっくりと強張るのを感じた。
湯気の薄れたコーヒーを指先で回しながら、私は相槌を打つばかりだった。Tさんは言葉を慎重に選んでいるようで、ひと呼吸置くたび眉間が寄る。冗談の調子ではない。喉の奥がざらつくような声音が、店内の雑音から浮き上がっていた。
夜の寝室で、布団に寝ていた娘が突然起き上がり、叫びながら暴れ出す。目は焦点が合わず、手足がばらばらに動き、何を言っても届かない。奥さんと二人がかりでも抑えきれず、朝になると何事もなかったように食卓につく。そして「覚えてない」と言う。
医者に診せても異常は見つからず、幼児期によくあることだと片付けられた。それでも、その状態は半年続いたという。Tさんは淡々と語っていたが、指先が何度も自分の手首をなぞる癖が、当時の緊張をまだ手放していないことを示していた。
しばらく黙り込んだあと、Tさんは声を落とした。
「叫んでた言葉さ、中国語だったらしい」
黒竜江省出身の同僚が、意味を訳してくれたという。「痛い」「やめて」「お母さんに会いたい」「指を返してくれ」。どれも断片で、文としては成立していなかった。
そして、娘がおかしくなり始めたのは、Tさんが「人体の不思議展」を見に行った直後だったという。後になって、その展示に使われた遺体についての告発記事を読んだらしい。
「確認しようもない話だよ」と前置きしながら、Tさんは続けた。
「山形の寺で住職さんに弔ってもらってから、娘は一度も暴れてない」
私は何も言えず、冷えたコーヒーを見つめていた。
翌日、職場でTさんがぼそりと言った。
「あの半年さ、娘、毎晩同じ方向を見てたんだよ。天井の梁の真ん中。誰かに話しかけるみたいに」
声をかけても視線は逸れなかったという。だが、寺に通いはじめてから、娘は急に天井を見なくなった。
住職は最初の相談の時点で、何も説明していないのに「梁の上のものは近いうちに降ります」と言ったらしい。Tさんはその意味を聞かなかった。聞けば、形のある答えが返ってきそうで怖かったのだと。
それからしばらくして、私自身にも奇妙な違和感が残った。理由もなく、天井の中央という言葉だけが、頭の中で重く引っかかる。
ある夜、寝つけずに天井を見上げた瞬間、中央に細い影が見えた。梁などないはずの場所に、継ぎ目のような影があり、わずかに揺れている。
翌週、その話をTさんにすると、彼は一瞬黙り込んだ。
「俺も見た。あの頃。娘が見てる時だけ、影が濃くなってた」
寺に通うようになって、ある日突然、その影は薄くなったという。
「住職さん、最後にこう言ったんだ。『もう大丈夫です。あなたの家からは離れました』って」
離れた先については、何も言われなかった。
その夜、自宅で天井を見上げることはできなかった。ただ、部屋の中央にあったはずの影が、いつの間にか壁際へ寄り、静かに消えているのだけが分かった。
動いたのだと、なぜか確信できた。
翌朝、影はなかった。
だが、それが終わったとは、どうしても思えなかった。
弔われたのは、あの子の声ではない。
そして、離れた先がどこなのかを、私は確かめる気になれない。
それ以来、夜に部屋へ入るとき、天井の中央だけは見ないようにしている。
(了)