今でも、あの土の匂いを思い出すたびに鼻の奥が痛む。
乾いた赤土と湿った木の皮の混じる匂い。
小学校三年の夏、両親が旅行先で買ってきたハニワを居間に飾った日から、家の空気は少しだけ変わった。
笑い声の裏に、誰かもう一人が息を潜めているような気配があった。
最初にそれをはっきり感じたのは、夕食後の団欒の最中だった。
ハニワの鼻の先が、音もなく落ちた。
ポトリ、と乾いた響き。
皆が同時に顔を上げた。誰も何もしていない。風もなかった。
母が割れた欠片を拾い上げようとして、ふと手を止めた。
その破片を捨てることが、なぜかとてもいけないことのように思えた。
私はそれをハニワの足元にそっと置いた。
翌日、自転車で転倒した。
舗装の継ぎ目に前輪がとられ、顔からアスファルトに叩きつけられた。
鼻の中央が裂け、血が止まらなかった。
鏡の中でガーゼを巻かれた自分を見たとき、ハニワの欠けた鼻先が思い浮かんだ。
家に帰って、包帯のままそれを見に行った。
土の鼻の欠片は、元の位置に戻っていた。
誰が直したのかは、今もわからない。
それから一年ほどして、また同じようなことが起こった。
今度は右肩が欠けた。
あの独特の音――乾いた土がひび割れて崩れる音が、耳の奥で弾けた。
その翌日、鉄棒から落ちて右肘を骨折した。
病院のベッドで腕を吊ったまま、ぼんやりと思った。
あのハニワ、腕がない。
それでも“肩を割る”ことで私の怪我を示したのかもしれない、と。
そう考えた瞬間、腕の痛みが少しだけ軽くなった。
数年後、ハニワはまた割れた。
今度は胴の中央を斜めに。
土の割れ目から見える中空は、まるで腹を裂かれたようだった。
私は高校生になり、心のどこかがずっと軋んでいた。
友人のいじめを庇って、次は自分が標的になった。
無言の圧が続く日々、夜にだけ土の匂いが濃くなった。
その割れたハニワを見た時、「代わりに壊れてくれたんだ」と思い込もうとした。
けれどそれは勘違いだった。
数週間後、椎茸の原木を切っている最中にチェーンソーが跳ねた。
左足に喰い込み、肉の中をチェーンが走った。
鉄の焼けた匂いと血の匂いが混じり、吐き気がした。
ハニワの胴体は上半分しかなかった。
つまり“下の傷”を伝えるには、胴を割るしかなかったのだ。
そのとき初めて、あれが“知らせ”ではなく“連動”だと気づいた。
高校を卒業して下宿生活に入る頃、ハニワは家の大広間のガラスケースに移された。
居間から出て、玄関に近い場所。
それはまるで“見送り”の位置のように見えた。
家を離れた数年、私は夢の中でよく土を掘る夢を見た。
手のひらの中で湿った土を丸めるたび、鼻の奥にあの懐かしい匂いが蘇った。
あれは故郷の匂いではなかった。
“誰かの身体”の匂いだったのかもしれない。
父が亡くなり、葬式のために帰省した。
家中が片付き、ハニワの姿はなかった。
誰に聞いても知らないと言う。
そのまま東京に戻り、転職を繰り返し、半年ほど経って母から電話があった。
「納屋の奥から出てきたの。少し欠けてたけど、また居間に置いたわ」
通話の向こうで、母が笑っていた。
その夜、夢の中で私は家の畳の上に立っていた。
鼻の奥に、あの土の匂いが蘇った。
数日後、実家に戻ることになった。
仕事を辞め、婚約者の家にムコ入りすることになったのだ。
姓が変わり、戸籍も別の家に移った。
引越しの手続きを終えて、ふと気づいた。
あのハニワは、もう“私の家のもの”ではない。
つまり、私の“身体”でもなくなったのかもしれない。
それからというもの、不思議なほど怪我をしなくなった。
だが夜、夢の中で誰かが欠けていく音を聞く。
乾いた“パキン”という音と共に、土の匂いが漂う。
目を覚ますと、指先に細かい砂がついている。
それがどこから来たものか、確かめる気にはなれない。
最近になって母が言った。
「納屋に置いたはずなのに、あのハニワが見当たらないのよ」
その声を聞いた瞬間、鼻の奥が焼けるように痛んだ。
鼻腔の奥で、土の粒がこすれるような感覚があった。
私は笑ってごまかした。
もう一度、あの匂いを嗅ぎたくなかったからだ。
でも時々、玄関を出る前に微かな土の香りが漂う。
乾いた粘土の香りに混じって、どこか懐かしい血の匂いがある。
あれは家の方角から吹いてくる。
“居間から外へ”──かつてのあの移動の向きと同じだ。
もしかしたら、あのハニワはまた居間に戻ったのかもしれない。
そう考えると、不思議と安堵する自分がいる。
いずれまた、同じ匂いに包まれて眠る日が来るのだろう。
[出典:538 :本当にあった怖い名無し:2012/06/17(日) 00:27:54.11 ID:Ck328LN+0]