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歌の残る墓地 r+1,710

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山に入って三日目、ようやく最初の目的地にたどり着いた。

古地図にだけ記され、国土地理院の地形図ではただの雑木林とされているその場所は、実際、道など存在しなかった。高巻きしながら枝を払い、沢を跨ぎ、獣道すら途切れる中を進んで……気づけば、ぽっかりと、開けた。

木々が不自然に弧を描くようにして、空を囲っていた。鳥の声がまるで聞こえない。自分の呼吸と草を踏む音だけが濁って響く。

そこには、確かにあった。

本で読んだ通りだ。朽ちかけた墓石が、五つ。土に半ば呑まれたそれらは、風雨に晒され、ほとんど銘も読めない。ただ、一番手前の墓にだけ、花が供えてあった。季節外れの百合。造花ではない。指で茎を挟むと、水を含んだみずみずしさが指先に伝わってきた。

……ここまで来るのに、最寄りの町から徒歩で六時間以上。私以外に誰が、ここに花を供えるというのか。

記録によれば、五百年前、この地には不思議な集団が住み着いていたという。どこから来たのか、なぜ来たのか、記録は不明瞭だが、とにかくある日突然、現れたらしい。山間にある、この誰も見向きもしなかった土地を、信じがたい速さで切り拓いていった。

棚田を築き、水路を引き、果樹を育てた。木工細工に通じ、織物も巧みで、何より、歌と踊りがこの上なく美しかったそうだ。あまりに洗練された文化に、当時の豪族すら一目置き、庇護を与えていたという。

その村は、地図にさえ残されていない。だが、確かに存在した。周囲の山に遺る段々畑の跡、祠の礎石、そしてこの墓地が、それを物語っている。

当時、日本は応仁の乱とやらの只中にあった。あちらで火の手が上がれば、こちらで首が飛ぶ。芋虫が葉を食うように、じわじわと争いが広がっていたというのに、この谷だけは別世界だった。戦略的価値のない土地として放置されていたせいで、誰も攻めてこなかった。

村人たちは日々の収穫を喜び、歌い、踊った。戦の噂を聞いても、遠くの火事程度にしか思わなかったらしい。

だが――

新たな領主が赴任してきた。

彼は、力によってこの乱世を生き抜こうとしていた。統治する村々に兵を徴発し、訓練のため各地の男子を集めた。あの村も例外ではなく、若い者たちが軍役に駆り出された。二週間後、訓練を終えた彼らは、再び村へと帰っていった。

翌朝。

村は、空っぽになっていた。

家々は無傷で、炊事道具もそのまま、食べかけの粥さえ冷めたまま残っていたのに、人だけが消えていた。

領主は怒り、探索を命じた。隠れ潜んでいると考え、村の周囲数里を兵で封鎖した。が、見つからなかった。川も崖も、洞穴も調べ上げたのに、子供一人すら見つからなかった。

やがて、兵も飽き、領主の関心は別の戦場へ移った。村は焼き払われた。地図からも名前が消された。ただひとつ、この墓地だけが焼かれずに残った。

理由は不明だが、花が絶えることがなかったという。領内の誰が供えに来ていたのか、調べた者はいたが、結局わからずじまいだったそうだ。

私は今、その墓石の前にいる。

花は、つい数時間前に供えられたように新しかった。

……誰かが、まだ、この村のことを忘れていない。

この山塊を縦断して、隣県へ抜ける予定だった。三日かけて。けれど、いまは別の道を選びたくなっている。

この先に、何があるのか見てみたい。

誰がこの墓に花を供えているのか。五百年前、村に帰ってきた彼らが見たものは何だったのか。姿を消した人々は、どこへ行ったのか。

……そんなことを考えていたときだった。

背後で、草を踏む音がした。

咄嗟に振り向いたが、誰もいない。

……いや、いた。

視界の端に、小さな影。墓石の陰に、ひょいと隠れたように見えた。

「……誰?」

声をかけてみた。返事はない。慎重に一歩近づいた瞬間、風が吹いた。いや、風ではない。まるで、音楽のような空気の震えが、背中を撫でた。

耳を澄ますと、遠くから……いや、近くから、囁くような歌声が聞こえる。

忘れてはいけない 忘れてはいけない
ここに在りし日 歌い踊りし者たちを
いまも在るのよ この地に在るのよ

私は、足を止めた。息が止まった。

音は、風に乗って背後から聞こえていたのに、振り向いても、誰もいなかった。

だが。

花が、揺れていた。誰かが触れた直後のように。確かに風などなかったのに。

私は、手帳を閉じ、ゆっくりと跪いた。そして、供えられた花に手を合わせた。

ありがとう、とだけ、口の中で唱えた。

それから、何故か涙が止まらなかった。

彼らは、消えたのではない。帰ったのだ。誰にも知られない、誰にも見つからない、自分たちだけの場所へ。

ここは、その入口かもしれない。

……そう思ったとき、不意に、目の前の墓石が音もなく崩れた。まるで、役目を終えたかのように。

私は、花を一輪だけ持って山を降りた。三日かけて横断する計画は、白紙になった。

再びあの地を訪れることはなかったが、花は今でも夢に出てくる。

あの村の歌とともに。

[出典:30 :全裸隊 ◆CH99uyNUDE :2005/06/15(水) 23:51:36 ID:dsL5gb3h0]

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