宮崎に行ったのは、十年前の十一月だった。
大学の仲間五人で、夏休みをずらしての旅行だった。車を借り、ルートを決めたのは先輩の女だ。霊感だの波動だのを半分本気で語る人間だったが、面倒見はよく、誰も逆らわなかった。
行き先の目玉は高千穂だった。渓谷も神社も回った。観光地としては十分に整っていて、写真を撮り、笑い、普通に楽しかった。
問題は天安河原だ。
川沿いの細い道を歩き、岩陰へ近づくにつれ、空気が重くなった気がした。谷底を流れる水音が、やけに近い。木漏れ日の下、石が積まれていた。
無数だった。
掌に乗るほどの石が、三段、五段、七段と積まれ、道の両脇を埋めている。崩れた痕跡は見当たらない。どれも静かに、同じ高さで止まっている。
「ここ、しゃがまないで。笑わないで」
先輩が真顔で言った。
奥の岩のくぼみに小さな祠があった。その脇に、子供が二人しゃがんでいた。
上が六歳ほど、下が四つか五つ。ランニングシャツに薄いズボン。季節を無視した格好だった。石を拾い、積み、口を動かしている。
「〇〇はもうだめやね」
「今夜でしまいや」
「うらみかっとるけんね」
人の名前らしき音が混じる。遊びの調子ではない。声は小さいのに、やけに明瞭だった。
背後から腕を強く引かれた。先輩だった。
「行こ」
祠の方を一度も見ないまま、早足で歩き出す。
「見た?」
小声で問うと、短く答えた。
「三年前も、いた」
「同じ子?」
「同じ」
それ以上は言わない。
駐車場まで戻る間、誰も振り返らなかった。夕飯の席でも、あの話題は出なかった。
東京に戻ってから検索したが、それらしい話は見つからない。写真には、石の山と祠しか写っていなかった。子供の姿はどこにもない。
ただ、ひとつだけ気になったことがある。
あれだけ積まれた石に、崩れた跡がなかった。子供たちが歩いたはずの足跡も、石の列の乱れもなかった。
積まれたまま、誰にも触れられず、誰にも壊されない。
あの場所では、壊す役目の何かが、来ないのかもしれない。
それなら、積む役目の方はどうなる。
三年前に見たという先輩は、いま連絡がつかない。
最後に届いたメッセージは、短かった。
「名前、呼ばれた」
それきりだ。
あの河原では、今日も誰かの名が積まれているのだと思う。石は崩れず、声だけが増えていく。
そして、まだ呼ばれていない名前が、ひとつ残っている。
それを、いま誰が持っているのかは、分からない。
[出典:785 :本当にあった怖い名無し:2020/07/15(水) 17:22:25.13 ID:7Ty1/vsL0.net]