これは幽霊の話ではない。怪奇現象でもない。おそらく、ただの夢の話だ。
けれど夢というものが、どこまでを内側と呼べるのかは、今もはっきりしない。
*
幼い頃、毎晩のように悪夢を見ていた。
怖さそのものよりも、逃げ場のなさがつらかった。眠れば必ず、あちらに連れていかれる。布団に入る行為が、底の見えない穴に横たわることと同じ意味を持っていた。
二段ベッドの上段は、とくにいけなかった。天井が近く、空間が狭い。その密閉された暗さの中で目を閉じると、現実の部屋よりも先に、夢の部屋が立ち上がってくる。
最初の夢は、和人形だった。
薄暗い室内。豆電球だけが点いている。私は布団に横たわっている。動けない。横を向くと、人形が立っている。さっきまで棚の上にあったはずのそれが、床に下りている。
足音はしない。
歩いているのに、音がない。
それが何よりもおかしかった。
人形はゆっくりと近づいてくる。周囲はぼやけているのに、人形だけが鮮明だった。まるで夢の背景に貼りついた異物のように。
枕元に立った瞬間、目が覚める。だが、心臓の鼓動だけが夢の静寂を引きずっていた。
別の夜、廊下に立っていたことがある。
奥に黒い塊があった。人の形をしているが、輪郭が溶けている。粘土のようにぐずぐずと崩れながら、それでも立っている。
逃げようとする。体が重い。声が出ない。
階段の方へ後退する。
塊は動かない。ただ、そこにいる。
逃げ切った、と思った瞬間、現実に戻る。汗で濡れた枕。喉の奥に残る呻き声。
顔のない女もいた。
窓の外に浮かんでいる。体はある。顔だけが真っ白だ。目も口もない。それでも視線があるとわかる。
腕が伸びる。ガラスを通り抜ける。冷気が指先に触れる。
叫んだ。
そのとき、自分を見下ろしている感覚があった。布団の中で泣いている自分を、少し高い位置から眺めている。
夢の中で見ているのか。夢から外れて見ているのか。
区別はつかなかった。
*
祖母に相談したことがある。
「お腹に手を置いて寝ると、怖い夢を見るよ」
それだけだった。
確かに私は、両手を腹の上に重ねて寝ていた。死人のような姿勢だと、あとで思った。
やめてみると、悪夢は減った。
ぴたりと止んだわけではない。けれど、頻度は明らかに落ちた。
私は成長し、一人で眠れるようになった。
*
中学に上がった頃、試してみた。
もう大丈夫だろうと思ったのだ。
両手を腹の上に重ねる。ただそれだけのこと。
その夜、黒い塊が出てきた。
廊下ではなかった。部屋でもなかった。
暗い空間に、私と塊が立っていた。
いや、もう一人いた。
幼い頃の私だ。
布団に横たわったまま、こちらを見ている。
塊は動かない。子どもの私も動かない。
ただ、私を見る。
その視線に、非難も怒りもない。
あるのは、待機だ。
何かが起こるのを、待っている。
目が覚めたとき、両手は腹の上にあった。
自分で置いたのに、置かれたような感覚が残っていた。
*
この話を何人かにした。
「試してみる」と言った人はいなかった。
賢明だと思う。
夢は主観の産物だ。科学的に説明もつくだろう。金縛りや睡眠麻痺という言葉もある。
ただ一つだけ、気になることがある。
あの夜以降、腹の上に手を置いて眠らなくても、まれに視線を感じる。
目を閉じる直前、暗闇の向こうに、誰かがいる気配。
幼い私かもしれない。
あるいは、別の何かかもしれない。
もし確かめたいなら、方法は簡単だ。
布団に入り、両手を腹の上に重ねる。
動かさない。
目を閉じる。
沈んでいく。
そのとき、あなたが一人で眠っていると、どうして言い切れるのか。
[出典:536:本当にあった怖い名無し:2013/11/21(木) 01:16:28.11 ID:DdQwFsQF0]