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外を見ないで rw+5,130

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夕方、親父が物置の奥からガラクタを掘り返していた。

日が落ちる頃、居間に戻ってきた親父は、ちゃぶ台の上に戦利品を並べ始めた。古びたフレアパンツ、針の折れたレコード、鼻の欠けた陶人形、背表紙の文字が読めなくなった海外文学のペーパーバック。どれも使い道のないものばかりで、昭和の墓場みたいな光景だった。

その中に、一枚だけ妙に目を引く写真があった。

セピア色に褪せたソファ。そこに座る若い頃の親父と、見知らぬ白人の女。親父の髪は中途半端に長く、当時の流行りなのだろうが、今の目で見ると落ち着かない。女のほうは、頬がややこけて顎の線が緩んでいるが、整った顔立ちだった。

写真の裏には、日付も名前も書かれていなかった。

「大学三年の夏だ」
親父はそう言って、写真を指で弾いた。
「ヨーロッパを放浪してたときの」

それだけなら、よくある昔話で終わったはずだった。だが、親父は続けて、独り言のように呟いた。

「この女な……いまだによく分からん」

嫌な予感がした。若い頃の武勇伝か、酔いどれ話の前振りだろうと思い、席を立とうとした。

「気味の悪い話だ」

その一言で、足が止まった。親父は煙草に火をつけ、灰皿を引き寄せると、ゆっくり語り出した。

夏の終わり頃、北欧のラップランド地方。フィンランドの西のほう、地名も忘れた海沿いの町。親父はそこに一週間ほど滞在していた。珍しい日本人だということで、町ではやけに歓迎され、地元紙にまで載ったという。

泊まっていたホテルに、夏休み中の学生らしい女がウェイトレスとして働いていた。親父は、彼女が自分に興味を持っていると思い込んでいた。今にしてみれば、そう思いたかっただけかもしれない。

「正直、下心はあった」
親父は笑いもせずに言った。
「三日目の夜だ。変なものを見た」

その夜、なぜか眠れなかった。ベッドに横になっても、浅い眠りを行き来するばかりで、体が落ち着かなかった。夜中の二時半頃、女の悲鳴のような声で目が覚めた。

高く、細く、耳の奥に刺さる声だった。

カーテンを少しだけ開けると、外は完全な闇ではなかった。白夜の名残で、空がぼんやりと明るい。ホテル前の石畳の広場に、ネグリジェ姿の女が一人、首を激しく振り乱しながら走り回っていた。

長い黒髪が鞭のように宙を打ち、女は意味の分からない声を上げ続けていた。人間の叫びというより、何かが擦れ合う音に近かった。

不思議なことに、どの部屋の灯りも点かなかった。窓も開かない。町全体が、その存在を見ないことにしているようだった。

女はやがて広場の中央で止まり、何かを探すように首を巡らせた。

その瞬間、親父は直感した。見てはいけない。そう感じて、慌ててカーテンを閉め、背を向けた。

すぐにノックの音がした。

覗き穴から見えたのは、あのウェイトレスだった。ドアを開けると、彼女はいきなり親父の襟首を掴み、低い声で囁いた。

「外を見ないで。静かにして」

それだけ言うと、彼女は廊下の闇に消えた。

直後、窓の外から、再びあの叫び声が聞こえた。しかも、その声は階段を上がるように、少しずつ近づいてきた。一階、二階、三階。音が止まるたび、次の階から、同じ声が響いた。

五階。親父の部屋の高さで、声は止まった。

バン、と窓を叩く音がした。続けて、何度も。

その先の記憶はない。親父は気絶した。

翌朝、目覚めは異様なほど良かった。体の不調もなく、悪夢を見た感覚すらなかった。レストランで朝食を取っていると、あのウェイトレスが水を注ぎに来た。昨夜のことなどなかったような、明るい笑顔だった。

声をかけようとしたが、彼女は何も言わず立ち去った。テーブルの上には、小さな紙片が置かれていた。

そこには一行だけ、こう書かれていた。

「あなた、生贄にされる。早く逃げて」

親父は即座に荷造りをし、チェックアウトを申し出た。そのとき、ホテルのオーナーらしい髭面の男が部屋を訪ねてきた。

「もっと泊まっていけ。安くする。彼女も、それを望んでいる」

その言葉で、親父は確信した。昨夜の出来事は偶然ではない。町ぐるみで、何かをやっている。

親父は適当な理由をつけて町を出た。駅に向かう間、ずっと背後に視線を感じていたという。

「説明はつかん」
親父は写真を見つめながら言った。
「ウェイトレスの名前も、顔も、思い出せない。確かに話したはずなのに」

そのとき、親父は俺を見た。

「お前、写真見て何か気づかんか」

言われて、改めて写真を見た。二人は確かにソファに座っている。だが、女の片手が、ソファの下に伸びている。何かを掴んでいるようにも、引きずり込まれているようにも見えた。

その瞬間、部屋の隅のラジカセがノイズを吐いた。

俺は反射的に写真を裏返した。そこには何も書かれていなかった。ただ、紙の繊維の奥に、薄く指の跡のような凹みが残っていた。

親父は煙草を消し、ぽつりと言った。

「なあ、あの町を出てからな、夜中に窓を叩く音が聞こえることがある」

そう言って、笑った。

その笑い方が、写真の中の女に少し似ていることに、俺は気づかなかったことにした。

(了)

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