記録開始:20XX年7月12日 14:32
「……はい、こちら〇〇です。SNSで募集されていた古民家修復ボランティアの件で来ました。活動支援金が高額だったのは事実です。正直に言えば、それが決め手でした。場所は……海沿いの集落跡。ほとんど人は住んでいないと聞いています。電波は入りません。連絡は事務局経由でと言われました」
ここで一度、音声が途切れている。
「到着しました。屋敷は想像より大きい。海に面して建っているはずなのに、窓から海は見えません。庭木が異様に高く伸びていて、潮の匂いだけが濃い。参加者は私を含めて七人。年齢は近い。全員、似た顔をしている気がします。表情というより、雰囲気が」
背後で微かな風音のようなものが混じる。
「指導員は年配の男性です。歓迎の挨拶のあと、柱に耳を当てていました。長い時間です。誰かが冗談めかして『何か聞こえるんですか』と聞いたら、『この家は、静かにしていれば答える』とだけ言いました。笑っていましたが、目は笑っていなかった」
数日分の記録は断続的である。
「清掃と補修作業の合間に、『記録を聴く』時間があります。屋敷の奥の部屋に集められ、灯りを落とされ、壁の中から音が流れます。最初はただの低いざわめき。波の音に似ていますが、周期が一定ではない。指導員は『集中してください』と言うだけです」
「……今日は、音の中に言葉のようなものが混じりました。誰かの息遣いのようにも聞こえます。隣の参加者も同じことを言いました。でも、指導員は『聞こえるものは各自違います』と」
ここから声の調子が変わる。
「耳がおかしい。詰まった感じがする。綿を詰められたような、それでいて、遠くの波打ち際の音が異様に近い。屋敷の中にいるのに、海の縁に立っているような感覚になる」
別の声が微かに重なるが判別できない。
「今朝、鏡を見ました。耳の形が違う気がする。外側の縁が内に寄っている。貝殻みたいだと、誰かが言った。笑い声が上がったけど、すぐに止んだ。誰も冗談にしようとしなかった」
音声に激しいノイズ。
「一人いなくなりました。昨夜、『うるさい』と叫んで外へ出たまま戻らない。探したと言っていますが、誰も名前を呼ばない。今朝、彼の寝具は片付けられていました。最初から六人だったみたいに」
沈黙が長く続く。
「音が、外にまで広がっている。作業中でも、床下から、壁から、足の裏から、波が上がってくる。波の中に、話し声がある。誰の声かわからない。でも、私の名前を呼んだ気がした」
「指導員に聞きました。この家は何を記録しているのかと。答えは曖昧でした。『家は家のままではいられない。聞くものがいなければ、音は重くなる』と。意味がわかりません」
声がひどく掠れている。
「今、柱に耳を当てています。何かが通っていく。家の中を。波の音ではない。もっと内側の、湿った音。……わかる気がする。ここに来る前から、聞いていた気がする。あの募集を見つけたときも、もう聞こえていた」
風の唸り。
「脱けます。今夜。残った者と一緒に。窓から降ります」
ここで再び大きな破損。
「……走っている。海沿いの道。波の音が追ってくる。振り返らない。振り返ったら、耳が――」
音声は途切れ、再開する。
「街に着きました。人が多い。安心するはずなのに、音が混ざる。車の走行音が、屋敷のざわめきと同じ調子でうねる。信号機の電子音が、あの部屋の低い音と重なる。違いがわからない」
「鏡を見ました。耳の形は戻っていません。でも、それよりも、音が内側にある。外の音ではない。私の中で鳴っている」
しばらく息だけが録音される。
「指導員が柱に耳を当てていた理由が、少しだけわかります。家の音を聞いていたのではない。聞くものを、待っていた。私たちは修復に来たのではなかった。家が崩れないように、音を移すために来た」
最後の部分はほとんど囁きである。
「街の雑踏の中で、誰かが立ち止まった。耳に手を当てている。私と同じ形だ。目が合った。あの人も、聞いている」
「……音は、ここにもある。海は遠いはずなのに」
長いノイズのあと、微かな波音のような低周波が続き、記録は途切れる。
記録終了:20XX年7月20日 03:17
追記
このICレコーダーは〇〇海岸の漂着物から発見された。
内部データの大半は破損しており、再生できた部分のみを書き起こした。
回収時、再生ボタンを押していないにもかかわらず、微かな低音が継続していたという報告がある。
現在、同型機種から同様の報告が複数寄せられている。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]