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中編 r+ 集落・田舎の怖い話

育てるもの rcw+5,925-0129

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今でも、祖父の家の裏山に漂っていた湿った匂いを思い出す。

夏休みごとに弟と連れて行かれたその家は、瓦屋根が低く沈み、庭先には使われなくなった農具が無造作に積まれていた。夕方になると、裏山から蝉の声と湿った土の匂いが押し寄せ、空気が重く滞った。道は細く、集落もまばらで、外の世界と切り離された場所にいる感覚があった。

当時の私は、その隔絶を誇らしくも不安にも感じていた。広い畑や池は珍しかったが、どこか人を拒む冷えがあった。子どもの頃は気づかなかったが、今思えば、あの土地は人を選んでいたのだと思う。

祖父は口数が少なく、煙草を離さなかった。笑っていても、目の奥に硬い影があり、祖母は家事をしながら、理由もなく外の音に耳を澄ませる癖があった。私と弟は、それを気にも留めず遊び回っていた。

森の中の池だけは、祖父が執拗に近づくなと言った場所だった。理由を聞いても答えはなく、ただ視線を伏せるだけだった。

その年、私は落ち着かない衝動を抱えていた。弟と池へ向かう途中、胸の奥がざわつき、何かを試さずにいられない気分だった。無知と、名前のつかない残酷さが混じっていた。

池の水は濁り、倒れかけた木々が覆い被さるように枝を伸ばしていた。弟が竿を投げると、すぐに鯉がかかった。外して池に戻そうとした弟に、私は思いつきのように言った。「これに洗剤をかけたらどうなるんだろう」

弟は一瞬ためらったが、結局頷いた。持ってきたペットボトルの中身をかけると、鯉は痙攣し、ほどなく動かなくなった。私たちは「猫が食べる」と口裏を合わせ、岸に放置した。

そのとき胸にあったのは後悔ではなく、湿った期待だった。弟も同じだったのか、「食べるところを見たい」と言い、私たちは茂みに身を隠した。

夕刻、森の奥で大木が揺れた。風はなかった。枝を掴む音がして、何かが降りてくる気配があった。

それは猫ではなく、猿とも言い切れない影だった。重さのある動きで池に近づき、低い声を漏らしていた。「……もの……もの……」

私は息を止め、弟の手が震えて膝に触れたのを感じた。影は鯉を覗き込み、しばらく黙ったあと、言葉になりきらない声を繰り返した。「いきる……そだてる……」

意味は分からなかったが、言葉の並びだけが異様に胸に残った。影は笑ったように身を揺らし、「これで……」と呟いて森へ消えた。蝉の声は戻らず、池の水面だけが波打っていた。

家へ戻る途中、弟は何度も振り返った。夕食の席で、弟が「あの……」と口を開きかけた瞬間、祖父の表情が変わった。箸を置き、低い声で問う。「何をした」

白状すると、祖父は顔色を失い、何度も同じ言葉を繰り返した。「本当に……触ったのか」

その夜、祖母は私たちに酒を浴びせ、塩を振った。理由は説明されなかった。祖父は電話をかけ終えると、荒い声で言った。「もう来るな」

私たちは仏間に押し込まれ、「何があっても開けるな」とだけ念を押された。深夜、窓を叩く音がした。「……あけてください」弟が泣き、私は布団を握り締めたまま動けなかった。

朝が来て、何事もなかったように送り出された。それ以来、祖父の家には行かなかった。

高校一年の夏、祖父が亡くなったと知らされた。理由は語られず、母は「年だよ」と言った。だが、あの夜の声を知る私には、その言葉は薄かった。

葬儀で久しぶりに家を訪れると、門をくぐっただけで胸が詰まった。庭は荒れ、畑も池も手入れされていなかった。仏間に置かれた祖父の遺影は、こちらを見ているようで、どこか外を向いているようでもあった。

夜、線香番をしていると、弟が囁いた。「……また、いる」

障子の隙間から庭を見ると、赤い光が揺れていた。近づいてくる影は、かつてのものと似ていたが、輪郭は曖昧だった。声がした。「いきる……そだてる……」

遺影が音もなく傾き、線香の灰が畳に落ちた。影は障子の前で止まり、低く言った。「……あけてください」

その声は、人の声に近かった。祖父の声にも聞こえた。私は襖に手を伸ばしかけ、背後から祖母の声が飛んだ。「開けるな」

影はやがて庭に溶け、何も残らなかった。

翌朝、祖母は短く言った。「もう、いい」

何が終わったのかは分からなかった。

今でも線香の煙を見るたび、耳の奥であの言葉が重なる。「いきる……そだてる……」

それが祖父の声だったのか、あの影の声だったのか、もう区別がつかない。

私の手には、あの日の洗剤の感触が残ったままだ。

[出典:270: 2009/07/07(火) 00:27:42 ID:MDJEHio50]

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