九月の終わり、校内で妙な噂が流れ始めた。
南中山に「ぐるぐる」が出る、という話だ。目撃した六年生がいるらしい。黒くて、どこかが回っている。見た者は呪われる。
だが証言は揃わない。背丈は子どもほどだと言う者もいれば、木の幹ほどあったと言う者もいる。ただ一つ、身体のどこかが回っている、という点だけが共通していた。
俺は興味がなかった。怖い話は嫌いだったし、山も好きではない。だが四つ上の姉は違った。噂が広がるほど、目が輝く。
「今夜、南中山に行くよ」
夕食後、唐突にそう言った。父と母には内緒。十一時に抜け出す。俺に拒否権はなかった。断れば、翌日からのあだ名は決まっている。
夜、二階の窓から外に出た。父はまだ起きていた。車庫から自転車を引き出す音がやけに大きく響く。姉を後ろに乗せ、俺が漕いだ。二十分。南中山は街の端にある、小さな山だ。昼間は散歩コースだが、夜は別物に見える。
入り口で自転車を置き、歩行者用の階段を上る。虫の声が近い。途中で山を回る横道に入り、北側へ出た。姉は何度か振り返り、懐中電灯で俺の顔を照らした。
「最近の噂、形がばらばらなんよ。だから集めてみた」
姉はそう言った。
「黒い。片腕がない。回っている。出るのは北側。危害は加えない。そこまでは揃ってる」
「危害ないなら、別にいいじゃん」
「だから消えないんよ」
意味が分からなかった。
やがて細い道から少し開けた場所に出た。雑草が膝まであり、ナラの木が覆う。姉が光をゆっくりと横に振る。白いものが浮かんだ。平たい石がいくつも積まれている。小さな塔だ。
「供養塔やね」
姉は言った。
「この山、昔から掘ると骨が出るって。戦争の頃の、身元の分からん人らが埋められとる」
足元を見る。踏んでいる土の下に、誰かがいる。急に喉が渇いた。
しばらく待ったが、何も起きない。姉が「今日はお留守かな」と言った時だった。石の横、視界の端に黒い塊があった。
最初は影だと思った。だがそれは、こちらを見ていた。
ライトを向ける。黒い。墨を流したような色だ。身体がねじれている。一本の棒を腰から、胸から、首から、同じ方向に曲げたように。螺旋。頭が膝の横にある。全身が渦を巻いている。
皮膚が裂け、黒く焦げている。片腕がない。残った手で地面を支えている。片目だけが開いていた。
動かない。ただ、そこにある。
俺は声が出なかった。姉がライトを持てと言い、俺の手に押しつける。姉はゆっくり近づいた。
「何してんだよ」
言えなかった。姉はそいつの足元でしゃがみ、しばらく見ていた。
「ライト消して」
言われるまま消す。闇が落ちる。虫の声だけが戻る。何秒か分からない。
「つけて」
光を戻す。そこには姉しかいなかった。黒い塊は消えている。
姉は供養塔に手を合わせた。俺も倣う。何に対してか分からないまま。
山を下りる途中、俺は訊いた。
「あれ、何なんだよ」
姉は少し黙った。
「足の甲に、白いVの跡があった。そこだけ火傷してなかった」
俺は理解できなかった。
「爆発は横から来ると、片側だけ焼ける」
姉はそれ以上言わなかった。
家に戻り、窓から部屋に入る。だが翌日、母に抜け出したことがばれ、姉も俺も叱られた。姉が山で叫んだ声を近所が聞いていたらしい。
それから数年、南中山の噂は消えた。
大学生になり、俺は友人にその話をした。笑い話のように語った。だが、ある日帰省した時、違和感に気づいた。
供養塔が、増えていた。
石の数が明らかに多い。俺の記憶より、一段高い。
母にそれとなく訊くと、首をかしげた。
「昔からあれくらいよ」
祖母も同じ答えだった。
姉は今、家にいない。三年前に突然、街を出た。理由は聞いていない。連絡もない。両親は「落ち着いたら帰る」と言うが、帰ってこない。
南中山の噂は、今年また小学校で流れているらしい。
黒くて、回っている。片腕がない。北側に出る。危害は加えない。
そして、最近加わったという新しい証言がある。
「供養塔の前に立っている」と。
俺は一人で山に上った。北側の開けた場所に立つ。供養塔は、確かに高くなっている。
石の前に、何かがあった。
黒い。
渦を巻いている。
だが、前に見たものと違う。背丈が高い。腕が二本ある。焦げていない。足の甲に、白いVの跡が二つある。
顔が、こちらを向いている。
片目だけが、開いている。
その目の高さが、俺の目と同じだった。
動かない。ただ、そこにある。
俺は供養塔の前に立っている自分の足元を見る。靴の甲に、泥で描いたようなV字がある。いつついたのか、思い出せない。
虫の声が止まる。
黒い塊の内側で、何かが、ゆっくりと回る。
俺は目を逸らさない。
逸らしたら、次に立つのが誰か、分からなくなる気がした。
南中山には、ぐるぐるが出る。
危害は加えない。
ただ、立っている。
供養塔の前で。
――石は、まだ積める。
[出典:http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9405/1401772436/]