エロ原稿を書いていたときのことだ。
集中していると、背後から誰かの息遣いを感じた。すぐ後ろだ。首の後ろがじわりと熱を帯びる。振り向いたが、誰もいない。ペットは部屋の隅で丸まって寝ている。気のせいだと思い、作業に戻った。
しばらくすると、まただ。今度は覗き込まれている感じがはっきりする。視線というより、重さがある。そして、長い髪が首筋に触れた。ひやりとして、湿っている。思わず身をすくめた。
「気が散るやんけワレェ!!」
怒鳴りながら振り向いた。
ドアの前に、包丁を持った見知らぬ中年女が立っていた。硬直して、こちらを見ている。悲鳴を上げながら椅子を盾にして女を廊下へ押し出し、鍵をかけて友人に電話した。手が震えて、番号を何度も押し間違えた。廊下から物音がするたび、家族が殺される映像が頭に浮かび、床に座り込んで泣いた。
結果的に誰も死んでいなかった。
女は父親の浮気相手だった。父の鞄から鍵を盗み、家に入り込んできたらしい。包丁は護身用だと言い張っていたが、意味は分からない。父も女も五十代で家庭持ち。女の息子は大学生だという。外聞が悪いという理由だけで、すべてはなかったことになった。
その日からエロ本は発行停止にした。新刊は薄いペラ本になった。描いていたのはNTRものだった。たぶんもう二度と描けない。未完の原稿が遺品にならなかっただけ、まだましだと思うことにした。
十年経った今も、父とその女はまだ付き合っているらしい。それだけで十分に怖い。
ただ一つ、どうしても解けないことがある。
女が立っていた位置は、部屋の入口だ。私の背後ではない。髪が触れた高さも、距離も、ドアからでは絶対に届かない。振り向いた瞬間まで、女は一歩も動いていなかった。あの息遣いと長い髪の感触は、あの女のものではない。
あのとき、私のすぐ背後にいたのは、誰だったのか。
[出典:297 :名無しさん@どーでもいいことだが。:2018/05/29(火) 12:43:57.78 ID:85vW+Qq5.net]