その家は、いつからか「陽の射さぬ家」と呼ばれていた。
三代続けて男子が生まれず、家の中には絹の擦れる音と、低く湿った女たちの声だけが満ちている。大工の名跡は残っているが、先代の残した借財が梁のように重くのしかかっていた。
当代の女主人は、人里離れた社を訪ねた。
盲目の巫女は名を呼ばれず、ただ「オナカマ」とだけ呼ばれている。
巫女は虚空に向かって囁いた。
「日の入る方角。土の匂いのする末子。拾いなさい」
それ以上は言わなかった。
指し示された方角にいたのは、貧農の末息子、清次だった。
清次は噂を知っていた。あの家に入った婿は、皆、背が曲がるという。家が傾かぬ代わりに、婿が傾くのだと。
見合いの日、清次は一升瓶を抱えて現れた。
酒をあおり、畳にこぼし、膳を叩き、声を荒げた。
「俺みてえなのを入れたら、家が腐るぞ」
長女の背後で、女主人は笑わなかった。ただ清次の足元を見つめていた。
泥にまみれた足裏を、じっと。
「……この土なら、合う」
その言葉だけで、話は決まった。
婿入りした清次は、朝から晩まで鑿を振るった。
借財は減らない。だが、手は止まらない。酒は喉を通らず、夜になると指がひとりでに動く。削る角度も、鉋の引き加減も、誰かに教えられた覚えはないのに、体が知っている。
夜更け、壁の向こうから軋みが聞こえる。
ミシリ、ミシリ。
家が鳴るのか、柱が鳴るのか。
寝返りを打つと、暗がりに女たちが座っている。
清次の削り出した木屑を、指で撫でている。
誰も何も言わない。
数年が過ぎ、借財は消えた。
同じ頃、長女が産気づいた。
吹雪の夜だった。
家中に低いうめきが満ちる。
やがて、産声が上がった。確かに力強い声だった。
清次は産室に入った。
産着に包まれた赤子を抱き上げる。
温かい。
柔らかい。
だが、指先に、かすかな木の匂いがした。
赤子は清次の指を握った。
強い力だった。
その力が離れない。
清次は笑おうとした。
だが、胸の奥がひやりと冷えた。
視界の端で、女主人が頷いている。
「……よく立つ子だ」
誰に言ったのかは分からない。
それからしばらくして、清次の背は曲がった。
重い梁を背負っているように、ゆっくりと。
村の者は言う。
あの家は繁盛している、と。代々立派な男子が生まれ、大工として腕も立つ、と。
ただ、婿に入った男たちは皆、若いうちに痩せ細る。
年寄りのような指で、最後まで木を削る。
家の奥の工房では、今夜も音がする。
ミシリ、ミシリ。
削っているのは木だろうか。
それとも、もっと柔らかい何かだろうか。
戸口に立つと、足裏に土の匂いがまとわりつく。
日の入る方角から、また誰かが歩いてくる気配がする。
――あの家は、今も楔を探している。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]