学生の頃、妹と向かい合って話をしていた。
他愛のない会話だった。試験がどうとか、友達がどうとか、そんな内容だったと思う。
途中で、妹が急に黙った。
声を止めたというより、思考そのものが止まったような顔だった。
顔色が一瞬で変わり、目だけがこちらを通り越して、床のあたりを見ていた。
その視線の動きが不自然で、反射的に「どうした」と聞いた。
妹はすぐには答えなかった。
数秒間、硬直したまま何かを見送るような目をしてから、ゆっくりと息を吐いた。
「……今、見えた」
妹は、少しだけ霊感があると言っていた。
本人も自覚していて、時々、見えちゃうことがあるらしいという程度の話だった。
家族の中でも、その手の話を信じていたのは妹本人だけで、俺は完全に聞き流していた。
「何が」
そう聞くと、妹は床を指差した。
俺の足元、そのあたりから。
「足が出てきた」
意味が分からず聞き返すと、妹は首を横に振った。
「人の足。踝から下だけ」
妹の説明は妙に具体的だった。
靴も履いていなかった。裸足だった。
皮膚の色は普通で、透けてもいなかった。
床から、すっと現れて、そのまま俺の背後を横切っていった。
「歩いてた」
歩く、という表現が一番しっくりくるらしい。
跳ねるでも、浮くでもなく、当たり前の動作で一歩ずつ進んでいったと言う。
俺は「ふうん」と相槌を打った。
正直、半笑いだったと思う。
怖がるほどの話でもないし、妹の見間違いだろうと決めつけていた。
だが、妹は真顔だった。
冗談を言う時の表情ではなかった。
「前から、何回か感じてた」
そう続けた。
視界の端で何かが動く気配。
足元に、誰かが立っているような感覚。
けれど、今まではぼんやりしていて、はっきり見えたことはなかったらしい。
その日はそれで終わった。
それ以上、何かが起きることもなかった。
時間が経つにつれて、妹はそういう話をしなくなった。
本人いわく、だんだん見えなくなったのだと言う。
霊感らしきものが、成長と一緒に薄れていったのかもしれない。
俺も、その出来事を忘れていた。
日常の中で、思い出す理由がなかった。
それから十年ほど経った頃、事故に遭った。
詳細を書くほどの話ではない。
車と接触して、倒れて、意識を失った。
気がついた時には病院のベッドの上だった。
左足が、ひどい状態だった。
半切断に近い、と医者は言った。
骨も、筋も、血管も、無事とは言えなかった。
手術が何度も行われ、時間がかかった。
結果的には、奇跡的に回復したと言っていい。
今は普通に歩ける。
ただ、入院中、何度も左足を見た。
自分の足なのに、どこか他人のもののように感じる瞬間があった。
ある夜、ふと思い出した。
妹の話だ。
あの時、見えたと言っていた足。
踝から先だけの、人の足。
床から現れて、背後を横切った足。
「どっちの足だった?」
聞いた記憶はない。
だが、なぜか分かった。
左足だった。
理由はない。
妹がそう言ったわけでもない。
ただ、そうだったとしか思えなかった。
あの時、妹が見た足は、
事故で失いかけた、俺の左足だった。
そう考えた瞬間、背筋が冷えた。
予言だったのか。
身代わりだったのか。
あるいは、何かが先に通り過ぎただけなのか。
分からない。
妹に確認する気にもなれなかった。
確かめたところで、意味があるとも思えない。
偶然だろう。
そう言い聞かせることはできる。
ただ一つだけ、今も気になっている。
妹が見た足は、
俺の前を横切って、
そのままどこへ行ったのか。
俺の左足は、
あの時、
もう一度、戻ってきたのだろうか。
[出典:800 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/04/27 16:23 ID:i/ojpXXv]