泥濘む記憶
今でも、雨の降る前の湿った土の匂いを嗅ぐと、不意に視界が歪むような錯覚に襲われる。
半世紀という歳月が過ぎても、私の身体の深層には、あの「庄原」の夜が黒い澱のように沈殿しているのだ。
五〇年ほど前、私がまだ子供だった頃の話である。当時、私たちは広島県の北東部、中国山地の山懐に抱かれた庄原という土地に住んでいた。冬になれば雪に閉ざされ、夜になれば漆黒の闇が支配する、古き良き日本の農村だった。
私の家は集落の外れにあり、町へ出るには小高い山を一つ越えなければならなかった。舗装などされていない、雑草と轍が交互に続く心細い道である。大人の足で二十分もあれば越えられるその山道が、幼い私にとっては世界を隔てる境界線のように感じられた。
父は酒飲みだった。仕事が終わると毎晩のように町の居酒屋へ繰り出し、泥酔しては帰路を見失う。母に言いつけられ、懐中電灯を片手に父を迎えに行くのが私の日課となっていた。嫌な役目だったが、駄賃として十円をもらい、貸本屋で漫画を借りる楽しみだけが、私の足を前へと動かしていた。
あの日も、空気が湿り気を帯びた重苦しい夜だった。私は借りたばかりの貸本を小脇に抱え、山道に入った。懐中電灯の頼りない光が、足元の闇を円形に切り取る。周囲からはカエルの合唱と、時折混じる正体不明の鳥の声だけが聞こえてくる。
私は歩きながら、盗み見るように貸本のページをめくった。白土三平の描く忍者の世界に没頭することで、周囲の闇から意識を逸らしたかったのだ。足の裏には、踏み固められた土の硬さと、砂利が擦れる感触が伝わってくる。一歩、また一歩。物語の展開に合わせて、私の足取りもまた、機械的なリズムを刻んでいた。
どれくらい歩いただろうか。ふと、違和感を覚えた。
普段ならとっくに峠を越え、眼下に町の灯りが見えてくるはずの時間だ。しかし、周囲の景色は一向に変わらない。道の左手にある古びた地蔵、右手に茂る笹藪。懐中電灯が照らし出す光景は、先ほどから奇妙なほど均質で、変化に乏しかった。
おかしい、と首を傾げたその時である。
背後から、ズシリと重い声が掛かった。
「おい。何をしとるんな」
心臓が跳ね上がった。恐る恐る振り返ると、そこには見知った顔があった。近所に住む農家のおじさんだった。彼は怪訝な顔で私を見下ろし、そして私の足元を指差した。
「さっきから見とったが、お前、そこで何を足踏みしとる」
その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
私は歩いていたはずだった。確かに足を動かし、地面を蹴り、前進していたはずだった。太腿には心地よい疲労感さえある。しかし、おじさんの懐中電灯に照らされた私の足元を見て、息が止まった。
地面の土が、そこだけ不自然に抉れていた。
まるで何百回、何千回と同じ場所を繰り返し踏みつけたかのように、私の靴の形に合わせて、深さ五センチほどの窪みが出来ていたのだ。私は進んでいなかった。一歩も。ただひたすらに、その場で地面を掘り続けていたのだ。
背筋を冷たい汗が伝った。もしおじさんが通りかからなければ、私は朝まで、あるいは死ぬまで、この場所で足踏みを続けていたのだろうか。
「狐じゃ。狐に化かされとる」
おじさんは低い声でそう断じると、私の頭から帽子を取り上げた。そして、自分が履いていた草履を片方脱ぐと、それをそのまま私の頭の上に載せたのである。土と汗の染み付いた草履の底が、私の髪に触れる。強烈な藁と泥の臭いが鼻を突いた。
「ええか、そのまま動くなよ。狐の目を逸らすんじゃ」
子供心にも滑稽で、しかしどこか底知れない恐ろしさを秘めた儀式だった。私は頭上の草履が落ちないよう、首をすくめて直立した。闇の奥から、何者かの視線がじっとこちらを覗っている気配がする。それは獣のようでもあり、もっと別の、湿った何かのような気配でもあった。
しばらくして、おじさんが「もうええ」と草履を下ろした。
それから町までの道のりは、拍子抜けするほど短かった。山を越えるのに、十分とかからなかったのだ。
後日、村の古老たちが集まる寄り合いでこの話を耳にした際、彼らは一様に「ああ、あそこか」と頷き合った。同じ場所で、同じように足踏みをさせられた者が、過去に何人もいるのだという。
「あそこは『結び目』なんじゃよ」
誰かがそう呟いたのを覚えている。空間がねじれ、進むという行為が空転する場所。狐という便利な言葉で彼らは納得していたが、私はあの日、自分の足元に空いたあの奇妙な窪みを見つめながら、もっと物理的で、抗いようのない「山の理(ことわり)」に触れてしまったのだと感じていた。
そして、その予感は正しかった。
山は、一度印をつけた獲物を、決して逃しはしないのだ。私が次にその「理」と対峙したのは、それから十年以上が過ぎた、南の島の森の中だった。
緑の断層
広島での怪異から一〇年余りが過ぎ、大学生になった私は、逃げるように南へ向かった。山に対する根源的な畏怖を抱えながらも、なぜか私は再び山に惹きつけられていた。まるで、あの夜に刻まれた見えない窪みに、身体が引き戻されているかのように。
向かった先は、洋上のアルプスと呼ばれる屋久島だった。宮之浦岳の縦走。月に三五日雨が降ると言われるその島は、私が訪れた日も濃密な霧と雨に閉ざされていた。視界は白濁し、足元には数千年を生きる苔が、音もなく山肌を侵食している。
私の身体は限界に近づいていた。重たいザックが肩に食い込み、登山靴の中は雨水でふやけて感覚がない。ただ機械的に足を前に出すだけの、あの幼い日の夜と同じ動作を繰り返していた。目指す山小屋まではあと少し。地図上ではすぐそこにあるはずなのに、風景は無限の反復のように続いていた。
異変が起きたのは、稜線から少し下った、登山道が狭くくびれた場所だった。
右側は切り立った崖、左側は鬱蒼とした杉林。その境界にある道の一箇所に、鮮やかな緑色の草が群生しているのが見えた。雨に濡れた岩場の中で、そこだけが妙にふっくらとして、踏めば心地よさそうに見えたのだ。
疲労で判断力が鈍っていた私は、無意識にその草むらへと足を下ろした。
その瞬間、世界が裏返った。
地面があるはずの場所には、何もなかった。
草はただ虚空に張り出した飾りに過ぎず、その下は断崖絶壁だったのだ。私の身体は重力に従い、真っ逆さまに落下した——はずだった。
「あっ」と声を上げる暇もなかった。胃袋が浮き上がるような浮遊感と、視界の激しい明滅。ガリガリと岩肌を削る音と衝撃が全身を襲う。
しかし、次の瞬間、私は登山道の真ん中で、泥にまみれて四つん這いになっていた。
落ちた、と認識した時には、私は元の場所に戻っていたのだ。あるいは、落ちる寸前の時間まで引き戻されたのか。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗と雨水が混じって目に入る。私は震える手で道端の木の根を掴み、自分が確かに「ここ」に存在していることを確認した。今の感覚はなんだ。あの十年前の、足踏みをさせられた感覚の逆だ。あそこでは進めなかったが、ここでは空間が飛んだ。
這うようにして辿り着いた山小屋は、湿気とカビの匂いが充満していた。無人の小屋の中で、私は荒い息を整えながら、卓上に置かれた一冊のノートを開いた。登山者たちが記念や情報を書き残す、雑記帳である。
ページを捲る手が止まった。
インクが滲み、紙が波打ったそのノートには、異常な記述が連なっていたからだ。
『ここにはワープゾーンがある。落ちたと思ったら、道の先に出ていた。ラッキー』
『草のトラップに気をつけろ。あそこは空間が薄い』
『落ちたはずなのに、気付いたら小屋の裏にいた。得した気分だが、何かを落としてきた気がする』
『私は帰り道だったのに、あの草を踏んだら登りの手前まで戻された。最悪だ』
冗談ではない。筆跡の異なる無数の人間が、あの場所での「跳躍」を報告しているのだ。中には『草のおかげで助かりました』という、感謝とも皮肉とも取れる記述もあった。
数年前の日付から、この奇妙な現象は報告され続けている。小屋を管理する人間や、地元のガイドが見ていないはずがない。誰かが草を刈り払い、危険を周知すれば済む話だ。しかし、あの草は青々と茂り、トラップは放置されている。
なぜか。
私はノートを閉じ、雨音に包まれた小屋の中で身震いした。
それは放置されているのではない。「温存」されているのだ。
山には、人が触れてはならない「通り道」がある。庄原の山では時が止まり、屋久島の山では空間が歪む。それはバグのようなものでありながら、同時に山の生態系の一部として機能している。下手に塞げば、その歪みは別の形で噴出するかもしれない。だから人は、見て見ぬふりをして共存するしかないのだ。
だが、この時の私はまだ知らなかった。
山が引き起こす歪みの中で、空間や時間のズレなど、最も無邪気な部類に入るということを。
人が山に入る時、最も恐ろしいのは「混ざり合う」ことだ。生と死、他人と自分、その境界が曖昧に溶け合う場所。
就職して数年後、私は捜索隊の一員として、あの青木ヶ原樹海へと足を踏み入れることになる。
そこで私は、山が見せる「理」の完成形を目撃することになったのだ。
結合する指

私が青木ヶ原樹海の捜索隊に加わったのは、屋久島からさらに一〇年が過ぎた後のことだった。もはや趣味でも好奇心でもなく、一種の義務感、あるいは宿命的な引力に引かれて、私は再び「山」に身を置くことになった。しかし、樹海はこれまでの山々とは異質な場所だった。生きた緑の迷宮というよりも、巨大な口を開けた、生の記憶を反芻する霊安室だった。
樹海の森は光を拒む。頭上の樹冠が分厚い天井となり、地上には常に青みを帯びた薄暗い影が横たわる。腐葉土が重なり、湿気とカビ、そして、死肉が発する独特の甘い匂いが空気全体を飽和させていた。歩くたびに足元が沈み、方位磁石は意味をなさない。時間も空間も溶解し、人為的な理(ことわり)が一切通用しない、完全な「山の世界」である。
我々の仕事は、年に一度の定期捜索と遺体の収容だった。静かで淡々とした作業の中に、時折、耐えがたい現実が混ざる。特に、我々が用意する二種類の担架の存在が、その現実を象徴していた。
一つは、一般的な一人用の担架。そしてもう一つは、不自然なほど幅広に作られた二人用の担架である。
樹海で命を絶つ人々の中には、稀に「二人」でその道を選ぶ者たちがいる。夫婦、恋人、あるいは見知らぬ同志。彼らは、極限の孤独と絶望の中で、互いに手を握り合ったまま最期を迎えている場合が多いのだ。
問題は、その「繋がれた手」だった。
遺体は死後硬直によって固く強張っているが、心中者の手は、それとは質が異なる結合を見せるのだ。それは物理的な硬直というよりも、何らかの粘り強い「意思」によって結びつけられているように感じられた。どんなに力を込めて引っ張っても、どんなに繊細な角度を探っても、指と指の絡み合いは解けない。まるで皮膚が薄い膜を介して融合しているかのように、二つの生体が一つに結びついてしまっているのだ。
だから、我々は決してその手を無理に引き剥がそうとはしない。もし強引に分離させようとすれば、手首から先がちぎれてしまう。そのような尊厳を傷つける行為は許されない。故に、二人で一つの運命を選んだ者たちのためだけに、幅広の二人用担架が必要となるのである。それは樹海が我々に強いる、無言のルールだった。
あの日、我々は森の奥、苔むした岩の陰で、一組の遺体を発見した。彼らの姿勢は穏やかで、対になった二つの顔は、今にも語り合いそうなほど近づいていた。そして、二人の右手と左手が、まるで一つの編み物のように複雑に結びついていた。
隊長に命じられ、私は遺体を担架に乗せるための最終確認をすることになった。特に結びついた手を慎重に観察する。腐敗が進み、皮膚は変色し、甘い異臭を放っている。手袋を伝って、その冷たさが指先まで滲みてきた。
私はふと、好奇心に駆られた。硬直ではないというこの「結び」は、一体どれほどの力で成立しているのか。
そっと、最も弱そうな、指先の絡みを一つ解こうと試みた。人差し指と中指の間の隙間に、自分の指を差し入れ、ごくわずかに力を加える。
すると、指先から伝わってきたのは、硬い抵抗ではなかった。
冷たさ。極度の冷たさだった。
そして、その抵抗を感じた瞬間、私の左手に、まるで誰かの指がそっと触れたかのような、明確な「重み」を感じたのである。
ハッと、作業を止めた。
私の身体は樹海の暗闇の中で静止する。周囲には、他の隊員の気配も、森の音もない。
私は右手に全神経を集中させて、遺体の手を観察していた。だが、その冷たい重みは、私の左手に感じられたのだ。
恐る恐る、自分の左手を見下ろした。軍手の隙間から覗く自分の手首は、誰にも触れられていない。隣には、誰も立っていない。
しかし、私の左手の甲から小指にかけて、誰かの指の形を模した、凍てつくような圧力がかかっているのがわかる。
私は気づいてしまった。
あの庄原の夜、同じ場所を足踏みさせられた時。あの屋久島の崖で、空間を跳躍してしまった時。あの瞬間から、私はこの山の「理」に取り込まれていたのだ。私は一人の人間として山に入ったつもりでいたが、既に山の中では、誰かと—見えない誰かと—手を繋いだ「二人組」として扱われていたのではないか。
私が必死に引き剥がそうとしている遺体の手は、私と繋がりたがっている、あるいは既に繋がってしまった、未来の私自身の姿なのかもしれない。
私は、あの二人組を収容するために、この担架を運んでいるのではない。
この二人用の担架は、私がいつか運ばれるために、最初から用意されていたのだ。
山は人を試すのではない。山はただ、人を「結び」、そしてその理の通りに、回収する。
私は、あの頃からずっと、この樹海に運ばれるための、半身として生き続けてきたのかもしれない。私の左手の重みは、今も消えない。
(了)
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