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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025 オリジナル作品

説明のつかない乗客 n+

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 朝、目が覚めたら、ベッドの横に見知らぬ自分が座っていた。

見知らぬ「自分」という表現はおかしいけど、そいつはどう見ても俺だった。寝癖の向きまで、全く同じ。

「時間ないよ。いつまでも驚いてないで、着替えて」

俺はパニックになる代わりに、とりあえず時計を見た。
針が、動いていない。秒針だけが、妙にゆっくり左右に揺れている。

「……誰?」
「今日の君。そっちは、昨日の君」

自分のくせに、ため息をつきながらそいつは立ち上がった。

「説明は、間に合わないから省略。電車、乗り遅れると、全部やり直しになるから。もう一回はダルい」

全部やり直し。何の話だ。

気づいたら、俺は制服を着て、玄関に立っていた。
着替えた記憶が、三コマくらい抜け落ちている。

「じゃ、行ってらっしゃい。うまくいったら、今度は俺が消える番」

俺が「なんで?」と言い終わる前に、視界がふっと切り替わった。

 気づくと、俺は電車の中に立っていた。

通勤ラッシュじゃない。車内はガラガラで、座席には五人だけ。
五人とも、俺だった。

一人はスーツ、一人はジャージ、一人は白衣、一人はパジャマ。そして、最後の一人は制服姿の俺。
俺はドア横に立っていて、その制服の俺と目が合う。

「やっと来たね」

制服の俺が言った。口が動く前に、声が聞こえた気がした。

「なにこれ」
「質問、多すぎるから、一個ずつにして」

パジャマの俺が眠そうに言う。

「まず、どこ?」
「電車」
「それは見ればわかるだろ」
「じゃあ、いつ?」
「それも、全部」

スーツの俺が、スマホをいじりながら答える。
答えになっていない。

車内アナウンスが流れた。

『次は、後悔、後悔です。ドアが閉まります。なんで?え?どうして?とお思いのお客様は、そのままお待ちください』

俺は思考を一瞬あきらめた。

「降りないの?」と白衣の俺が聞く。
「降りて、どこ行くんだよ」
「さあ? でも、いつもそこで降りてたじゃん」

「いつも」と言われても、記憶にない。
ドアの上の路線図を見る。駅名が全部、「〜しとけばよかった駅」「もっと早く言えよ前駅」「ここで引き返せば終点」みたいな、嫌な名前しかない。

「今日の目的はね」と、スーツの俺がスマホから顔を上げる。
「『誰の選択で、ここにいるのか』を決めること」

「は?」
「今の生活、ほんとは誰が選んだ? 親? 先生? 世間? 過去の自分? それとも、まだ決まってない?」

車内アナウンスがかぶせてくる。

『まもなく、この電車は分岐します。自分で選んだつもりのルートと、選ばされたつもりのルートにご注意ください』

窓の外を見ると、線路が何本も枝分かれしていて、空中でねじれて絡まって、途中でまた一つに戻っている。物理法則が仕事を放棄している。

「ねえ」と制服の俺が言う。「昨日の君、覚えてる?」
「今日の朝の、あれ?」
「そう。昨日の君から見たら、今の君は『未来』だった。でも、未来に来てみたら、なんか微妙じゃない?」

俺は反射的にムッとした。

「微妙って言うなよ」
「じゃあ最高? このままずっと、これでいい?」
「……それは、それで、なんか違う気がする」

ジャージ姿の俺が、スポーツドリンクを飲みながら笑った。

「毎回そこで詰むんだよね。『違う気がする』って言うくせに、じゃあ何がいいのか聞いたら黙る」

白衣の俺が、メモに何か書き始める。

「仮説1:現状に不満はあるが、代替案を具体化できないため、モヤモヤがループしている」
「やめろ、実験ノートみたいに書くな」

 電車が急に減速した。

車内アナウンスがまた、変なことを言う。

『右側のドアが開きます。降りる方は、自分の責任で。降りない方も、自分の責任で』

ドアの向こうにはホームがあって、巨大な鏡がずらっと並んでいた。
鏡には、俺が何十人も映っている。それぞれ服装も表情も違う。

その中の一人だけが、じっと俺を見ていた。
見覚えのない俺。髪色も、服も、まるっきり現在の延長線上じゃない感じ。
なのに、直感的にわかる。「あ、これ、ちょっと楽しそうな未来の俺だ」と。

スーツの俺が、ポケットから切符を取り出した。
真っ白な切符。何も印字されていない。

「どこまで?」と俺が聞く。
「どこまでって、君が書くんだよ」

制服の俺が、ボールペンを差し出す。

「いつもここで止まる。君はいつも、『なんで俺だけ?』『どうして選ばなきゃいけないんだ?』『どうなってるかわからないから決められない』って言って、電車に乗ったまま戻る」

パジャマの俺があくびしながら、窓にもたれる。

「戻ったらどうなる?」
「昨日に戻る。また同じ朝。時計の止まった部屋。『今日の君』が、『昨日の君』を起こす。永遠に」

白衣の俺が、さらっと付け加える。

「ちなみに、君が何もしなくても世界は進むよ。選ばないのも一種の選択、ってやつ」

なんで俺は、こんな重要そうな話を、見知らぬ自分たちから聞いてるんだ。
そもそも、こいつらはいつから俺なんだ。
いつから「昨日」と「今日」が分裂して、電車に乗って会議をしてるんだ。

頭の中で「なんで?」が渋滞を起こしている間に、アナウンス。

『発車いたします。選んだ後悔と、選ばなかった後悔、どちらをご利用ですか?』

ドアがピッ、と小さく鳴った。

 俺はボールペンを受け取った。

白い切符に、何を書けばいいのか分からない。
「有名大学」とか「安定」とか「推しの近く」とか「楽して稼ぐ」とか、そういう単語が頭をかすめるたびに、どれも借り物っぽくてしっくりこない。

「答え、間違えたらどうすんだよ」
「間違えたかどうかは、後でしか分からない」と白衣の俺。
「そもそも“正解”があると思ってる時点で、ゲーム選び失敗してる気がする」とジャージの俺。

スーツの俺が、少しだけ真面目な顔をした。

「ここで一番マズいのはね、“自分以外の誰かが書いた答え”を、正解だと信じて写すこと」

制服の俺が、じっと俺を見る。

「だからさ、どれだけダサくても、短くても、意味不明でもいいから、一行は自分で書いて。
それが、『ここにいる理由』になるから」

ホームの鏡の中の、見知らぬ未来の俺が、微かに笑った気がした。
別にこの顔になりたいわけじゃない。でも、あの顔になる権利くらいは、欲しい。

俺は、ペン先を震えさせながら、一行だけ書いた。

『とりあえず、自分で決めて失敗してみたい』

書いた瞬間、切符がじわっと発光して、普通の乗車券のデザインに変わった。
行き先の欄には、雑な字で「どっかマシな方」と印字されている。雑だな宇宙。

「それで十分」と制服の俺。
「それでもう、昨日には戻れない」とパジャマの俺。
「おめでとう。実験条件が変わった」と白衣の俺。
「新ルート解放。お疲れ」とジャージの俺。
「ここから先は、俺たちじゃなくて、君が責任者」とスーツの俺。

車内アナウンスが、少しだけやわらかい声になった気がした。

『ご乗車ありがとうございます。次は、“まだ名前のない駅”です。なんで?え?どうして?と感じる景色が続きますが、それが正常です』

電車が動き出す。
ホームの鏡の中で、無数の俺がそれぞれ違う方向を向いて、違う表情をしている。
その中で、ひとりだけ、さっきの「ちょっと楽しそうな未来の俺」が、はっきりこっちに手を振った。

俺は、わけが分からないまま、振り返した。

なんでこんなことになってるのかも、どうなっていくのかも、さっぱり分からない。
でも、「わからない」の責任くらいは、自分で持ってみてもいいかもしれない。

そう思った瞬間、止まっていたはずの時計の秒針が、頭の中でカチリと動いた気がした。

次の瞬間、景色がまるごと入れ替わった。

——そして、物語を読んでいるあなたの前の文章が、ここでぶつっと途切れる。

なんで?
え?
どうして?
どうなってるの?

その続きは、本当はさっき、あなたが心の中で少しだけ想像してしまった方のルートで、もう勝手に進み始めている。

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