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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

それは肉の味がした nc+

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十一月の冷たい雨が、タクシーの窓ガラスを無数に引っ掻いていた。

ワイパーが拭い去っても、すぐに新しい雫が視界を歪める。向かう先は、市街地から遠く離れた元冷凍倉庫の建屋だという。友人の英島がそこに「研究所」兼レストランを構えたと聞いたときは正気を疑ったが、彼はかつて都内の三ツ星レストランで副料理長まで務めた男だ。奇行もまた、天才の余興として許容される範囲なのだろうと思うことにした。

運転手が不審げな顔で車を止めた。
「本当にここでいいんですか。明かりが見えませんが」
湿ったアスファルトに降り立つと、潮と錆びた鉄の匂いが混じった重たい空気が肺に入り込んだ。巨大な鉄扉がわずかに開き、そこから漏れるのは暖色ではなく、手術室のような青白い光だった。

中は異様なほど静かだった。高い天井、磨き上げられたモルタル床。その中央にコの字型のステンレスカウンターがあり、英島が一人で立っている。
「来たな。靴音でわかった」
彼は痩せ、眼窩が深く落ち込んでいたが、瞳だけが異様に濡れている。
「今日は君だけだ。座れ」

八席ある客席の中央、一席だけが用意されていた。椅子は冷たい金属製だ。厨房に並ぶのは野菜や肉ではなく、ビーカーや注射器、銀色の装置ばかりだった。
「料理を食べに来たんだが」
英島は薄く口角を動かした。
「似たようなものだ」

噂では聞いていた。事故の後、彼は味覚を失ったと。

「正確には違う」
彼は透明な液体をボウルに注ぎ、青い液を一滴垂らした。
「ノイズが消えただけだ。甘いとか苦いとか、そういう曖昧なものがな」

前菜として出されたのは、灰色の小さなキューブだった。
「夏の夕立だ」
香りはない。フォークで刺すと硬い。口に入れた瞬間、味ではなく映像が弾けた。焼けたアスファルト、雷鳴、湿った風、西瓜の冷たい甘み。
咀嚼するたび、シャリという感触がある。だが舌にあるのは乾いた塊だ。

次は青いペーストだった。
「森のバター」
目を閉じると濃厚な脂の旨味が増し、目を開けると青という色が味を壊しにかかる。
「迷いが出ている。そのズレがいい」

私は汗をかいていた。美味しいのに気持ちが悪い。英島は淡々と記録を取っている。
「お前は、これをどう感じている」
「数値だ」

次に出された黒い泥のようなものには、名前だけがあった。
「走馬灯」

口に入れた瞬間、音と光と記憶が同時に押し寄せた。味噌汁、ケーキ、安酒、磯の香り。すべてが一斉に襲う。
「噛むな。飲み込め」
喉を通ったそれは灼熱と冷気に変わった。

「成功だ」
英島は淡々と頷いた。

最後に出てきたのは、あまりにも普通なステーキだった。焼けた香り、肉汁、完璧な火入れ。
美味い。心からそう思った。
「結局、普通が一番だな」
「そうだな」

食べ終えた後、英島は鏡とモニターを出した。

画面の中の私は、ボロボロに朽ちた灰色の布のようなものを嬉々として食べている。
「嘘だ」
「現実だ」

口元は黒い油で汚れていた。歯に灰色の繊維が絡んでいる。
胃が反転し、床に吐いたものは黒く油臭かった。

「君は何を食べていたと思う」
答えられなかった。

英島はリンゴを齧り、私に差し出した。
齧った瞬間、廃油とカビの味がした。
水を飲んでもガソリンの味しかしない。

外へ逃げ出した。雨は酸のように感じられ、自販機のミルクティーは泥水だった。
世界中の食べ物が、汚物と化していた。

ポケットに、あの灰色のキューブが入っていた。
口に入れると、甘美な味がした。

偽物だとわかっている。
だが、それだけが現実だった。

私は雨の中、這いながら探し始めた。
あの店へ戻る道を。

[出典:1303 :本当にあった怖い名無し:2020/04/07(火) 10:16:03 ID:zzmkkYz90.net]

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