九月一日、始業式の教室は、異常な熱気と、石鹸の匂いが混ざった汗臭さに満ちていた。
ガラス窓から差し込む光は真夏のそれとは違い、どこか力が抜けた、薄い黄色をしていた。久しぶりの再会に浮き足立つ友人の声が、コンクリートの壁に反射して、頭の中で飽和していく。私は、夏休みの最後の一週間を祖父母の家で過ごしたため、肌の色はさほど変わっていない。周りの生徒たちは皆、海や河原で焼き付いたような赤黒い肌をして、その体温までもが高いような気がした。
席について、ざわめきを聞いていると、扉が開く。担任の安藤先生が入ってきた。その瞬間、教室の湿った熱気が一瞬、冷たい風に掻き消されたような感覚が、私の首筋を滑り落ちた。私は思わず自分の腕をさすった。
安藤先生の顔は、生徒たちと同じか、それ以上に黒く焼けていた。日焼けというよりは、土埃を浴びてくすんだような、あるいは古びた銅像のような、深くて光を吸収する黒さだった。その黒さと対照的に、首元からのぞく襟の下の肌は、まるで雪のように白かった。コントラストがあまりにも鮮やかで、異様なものを見るように目を奪われた。
「おーっ! おまえらみんな真っ黒だなぁー! 海にでも行ったのか?」先生の声はいつもの朗らかさがあったが、どこか軋むような微かなノイズを含んでいた。声帯そのものが砂で擦れているような、そんな乾いた音だ。
「うん。先生も黒いけど海に行ったの?」クラスの誰かが屈託なく尋ねた。先生は一瞬、顔から表情を消し、まるでその問いかけが意図せぬ地雷を踏んだかのように硬直した。
「先生はな……」と、言いかけて、先生は教室の中央で立ち尽くした。そして、手の甲で額の汗を拭った。いや、汗ではない。それは、黒く日焼けした肌の上を、わずかに光る粘性の膜が滑ったのだ。その動作のせいか、薄手のシャツの背中に、じっとりとした湿りの輪が広がっているのが見えた。
「先生は、〇山に行って来たんだ。だから、シャツの下は真っ白だけどな。この夏は、いろいろあって大変だったんだ」先生はそう締め括り、出席簿を手に取って、いつものリズムを必死に取り戻そうとしているのが伝わってきた。私は、先生が山で何を「大変」に感じたのか、その言葉の裏にある不穏な感触から目を離すことができなかった。
先生が目を伏せて出席を取り始めたとき、私は自分の右手に妙な感覚を覚えた。それは、皮膚の内側から数ミリの深さで、冷たい針金が巻き付いて、微かに締め付けられているような、持続的な違和感だった。
夏休み明けの浮かれた気分は、先生の纏う空気の変化によって、私の中で急速に萎んでいった。
腕の違和感は続いている。ペンを握っても、消しゴムを使っても、その手の感覚は「自分のもの」であるという確信が揺らぐ。右手の皮膚の下に、薄い紙が一枚挟まって、外界との触覚を遮断しているような、微細な麻痺。
その妙な感覚を誰にも言えずにいたが、それから二週間もしないうちに、クラスの異変は誰の目にも明らかになった。
怪我人が続出したのだ。それも、皆が皆、右半身のどこかを骨折している。一人目は体育で右足を捻り、二人目は階段で右肘を打ち、三人目は自転車で転んで右手首を折った。その数、二週間で実に十八名。学級の半数近くが、ギプスや包帯、松葉杖といった「白い異物」を身につけて登校してきた。
教室は白い異物で溢れた。右腕が固定された生徒は、左手でぎこちなく鉛筆を動かし、右足の生徒は休み時間も窓辺でじっと座っている。私自身の右手は、相変わらずあの冷たい針金のような違和感を抱えていたが、まだ折れてはいなかった。
異常な事態に、私は得体の知れない羞恥心のようなものを感じていた。それは、自分だけがまだその「白い異物」を身につけていないことへの、奇妙な疎外感だった。あるいは、自分もいつかそうなるという、抗いがたい予感のせいだったかもしれない。
誰もがその異常さに気づき始め、自然と呪いではないかという噂が囁かれ始めた。「右手だけなんて、絶対誰かが呪いをかけたんだ」という声に、私の右手の違和感が呼応するように、微かに脈打った。
学級会でこの話題が出たとき、安藤先生は教卓に肘をつき、疲れたような顔で皆の様子を見ていた。「みんな、最近怪我が多いけれども、夏休み明けでたるんでいるんじゃないか?」その声には、以前のような力強い軋みはなく、ただただ重い疲労が滲んでいるだけだった。
「先生! みんなは、呪いを誰かがかけたんじゃないかって言っています」生徒の直截的な発言に、先生の顔が、さらに黒く沈んだように見えた。先生は「そんな馬鹿なことを言うんじゃない」と否定したが、その言葉には、一切の確信が感じられなかった。
「だって、みんな右手、右足を怪我しているんですよ」畳みかける言葉に、先生は目を閉じた。教卓の上で組まれた先生の黒い両手が、微かに震えているのが見えた。その震えは、まるで強い寒気を感じているかのようで、九月の半ばだというのに、教室の隅に冷たい空気が溜まっている気がした。
先生が目を閉じてから、その沈黙は異様に長く続いた。
生徒たちのざわめきすら吸い込まれていくような、重たい沈黙だった。私はただ、自分の右手の内側に巻かれた見えない針金の冷たさを感じながら、先生をじっと見つめていた。
「………あっ!」
突然、先生は、まるで何かを思い出したかのように短い声を上げ、ガタリと椅子を押し倒して立ち上がった。その動きは俊敏で、二週間分の疲労を一瞬で振り払ったかのようだった。
「心当たりがあるから、任せなさい」先生はそう言い放った。その声の響きは、初めて教室で聞いた時の、あの微かに軋むようなノイズを含んだ、力強いものだった。しかし、その力強さには、解決への安堵ではなく、むしろ、何か決定的なものを引き受けてしまった後の、諦めのような響きが混じっていた。
学級会はその言葉で終わった。そしてその週、先生は学校を休んだ。理由は体調不良とだけ伝えられたが、誰もがその裏に、あの「心当たり」を探す先生の姿を想像した。
翌週の月曜日。私たちが教室に入ると、黒板の上、中央の一番目立つ場所に、一枚の木版摺りの白いお札が、画鋲で止められていた。それは、先生が夏休みに行ったと語っていた〇山にある、〇山神社のお札だった。
先生は、朝のホームルームで、「これで大丈夫! もう怪我はしないから安心だぞー」と、以前の朗らかさを取り繕うように、大声で言った。その顔はまだ黒かったが、どこか土埃が落ちて、ツヤを取り戻したような気がした。
その言葉通り、それ以降、クラスで骨折や大きな怪我をする生徒は、本当にぴたりといなくなった。
私の右手からも、冷たい針金が緩やかに解かれていくような感覚が続き、数日でその違和感は完全に消えた。私の手は、再び私自身の熱を帯びた、血の通った手になった。教室から白い異物は消え、皆が右手を自由に動かしている。
しかし、その安堵感は、やがて来るべき違和感の予兆に過ぎなかった。
卒業後、私は偶然、先生と再会する機会があった。あの夏の話を再度尋ねると、先生はいつものように言葉を濁した。「いや、ちょっと、山で心当たりがあってな……」と。その口調は二十年前と全く同じだった。
それからさらに二十年。同窓会で、私はクラスメイトの一人から、あの夏の真相を聞かされた。
先生が〇山に登った前日、滑落事故があったこと。そして、翌日、登山道から大きく外れた沢で、手足が激しく損傷した右半身が大きく欠損した遺体を、先生が偶然発見したこと。遺体をそのままにして、下山後に警察に通報したこと。
その話を聞いた瞬間、私の背筋に、あの冷たい風がもう一度吹き抜けた。私はあの夏、先生が教室に入ってきた瞬間に感じた、あの異常な温度差と、右手の皮膚の下に感じていた冷たい針金の違和感の、本当の意味を理解した。
しかし、私が本当に言葉を失ったのは、先生がその後
その遺体の右手の指輪を、形見として持ち帰っていたという、そのクラスメイトの言葉を聞いた時ではない。
私がその話を聞き終えて、思わず自分の右手を見たときだ。
私の右手は、もう二十年以上、何一つ傷ついていない、完璧な形を保っている。しかし、その手の甲の、皮膚の皺の一本一本が、あのクラスメイトが語った激しく損傷した遺体の、肉片を無理やり縫い合わせたような、不自然な濃い黒色を帯びているように見えた。
そして、二十年前、あの教室で感じた冷たい針金の感触が、今、私の右手を握りしめているのは、私の手ではなく、あの日山で取り残された、誰かの右手なのだと知った。私は、あの時、先生が黒板にお札を貼った瞬間、その呪いから解放されたのではなく、呪いの、あるいはその一部の、次の受け皿に選ばれていただけなのだ。今、私の右手は、私の意志とは無関係に、微かに、そして断続的に、誰かの体温を求めて、冷たい握り拳を作っている。
[出典:68 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/24 01:55]