大学生の頃のことだ。
あの頃、俺は駅前のファーストフード店でアルバイトをしていた。深夜まで続くシフトは眠気と油の匂いにまみれ、時間の感覚を曖昧にしていったけれど、それでも人間関係は意外に悪くなかった。
ただ、ひとりだけ妙な働き方をしている先輩がいた。
三か月働いて三か月休む。それを繰り返すのだ。バイトリーダーからは「使えない」と露骨に嫌われていたが、どうやら店長と昔からの知り合いらしく、誰も強く追い出すことはできなかった。
俺はなぜか、その先輩と組まされることが多かった。暗い雰囲気はあるが、話してみれば普通の人間だと思っていた。むしろ無言でいるのも気まずく、こっちからしょっちゅう話しかけていた。
ある日の夜、ふと訊いてみた。
「三か月休んでる間って、何してるんですか」
彼は一瞬、言葉を選ぶように黙り込んでから答えた。
「旅行、してるんだよ」
国内旅行らしい。観光地巡りではない。地図にダーツを投げて、その土地へ行く――そういう気まぐれに近いものらしかった。
「で、旅行先では何をしてるんですか」
「石を集めてるんだ」
その一言に俺は食いついた。当時、俺自身もパワーストーン収集に凝っていたからだ。原石なのか、奇石なのか……いろいろと聞き出したが、彼は「近いかも」と曖昧に笑うばかりだった。
結局その晩、頼み込んでバイト後に石のコレクションを見せてもらえることになった。
深夜零時過ぎ、店を閉めて掃除を終えたあと、彼のアパートへ向かう道すがら――奇妙なことが起きた。
歩いていると、急に体がだるくなった。特に頭が異様に重く、うまく前に進めない。俺は病気知らずの健康体だったから、何が起きているのか理解できなかった。ゾンビのように前かがみで歩くことさえできなくなり、やがて赤ん坊のように地面を這って進んでいた。
横で先輩はただ心配そうに見ていた。
「大丈夫か」
声をかけられても、返事をする気力すらなかった。今思えば救急車を呼ぶべきだったのだろうが、そのときの俺は「自分は丈夫だから大丈夫だ」という変な自信に囚われていた。焦りと混乱のせいで、助けを求める発想が出てこなかったのだ。
やっとのことでコンビニの駐車場までたどり着いたとき、俺はかろうじて声を振り絞った。
「……すみません、やっぱり用事思い出したんで、今日はやめときます」
先輩は「そうした方がいいかもな」とだけ言って、足早に去っていった。
奇妙なことに、彼が去ると同時に体調はみるみる回復していった。五分もすれば元通り。追いかけようか迷ったが、怖さが勝ち、そのまま帰宅した。
半年ほど経った頃、気づけば先輩はバイトに来なくなっていた。誰も特に気にしなかった。就職でもしたのだろうと考えていた。
そんなある日、店長に突然「明日バイトしないか」と言われた。休日出勤かと思って了承すると、妙なことを告げられた。
「朝四時に店の前に来てくれ」
指定通りに行くと、店長の車に乗せられ、静まり返った住宅街を十五分ほど走った。着いたのは三階建ての古いマンション。その前には険しい顔の管理人らしき老人と、困惑した様子の中年の女性が立っていた。
軽く会釈を交わしたあと、俺たちは階段を上り三階の角部屋へ。ドアは開け放たれ、そこに広がっていた光景に思わず息を呑んだ。
部屋の中は黒いゴミ袋で埋め尽くされていたのだ。
部屋中、隙間なく置かれた袋は数十、いや百を超えていただろう。それらを一つずつ持ち上げ、店長の車に積み込んでいく作業が始まった。二人がかりで抱えなければならないほど重い。汗が滝のように流れた。
車いっぱいに袋を詰め込むと、今度は海辺へ向かった。砂浜まで袋を担ぎ下ろし、破って中身をぶちまける。
中から現れたのは――手のひらほどの大小さまざまな石。
それだけだった。しかし、量が異様だった。
袋を破るたびに、波の音に混じって石がぶつかり合う乾いた音が広がる。無数の石が月明かりに照らされて光った。
戻ってまた運ぶ。浴室にもトイレにも、袋は隙間なく置かれていた。最後の一袋まで海に散乱させ、マンションへ戻ると、管理人の老人の姿は消えており、代わりに女性だけが残っていた。
女性は店長に封筒を渡し、深く頭を下げた。
「小学校からの腐れ縁なんです。中学の頃、いじめを受けてから……墓地の石を集め始めたんです。最初は近所の墓地に自転車で行って拾っていたけど、そのうち電車やバスで見知らぬ墓地に出かけて……。でも、どうせなら大事に整理して保管すればいいのに、ゴミ袋に放り込むばかりで。袋が一杯になれば、また次の袋へ……」
彼女は声を震わせた。
「リサイクル業者も気味悪がって持っていってくれません。お金を払うって言っても断られて……ほんと迷惑なんです」
そのまま中を確認もせずに封筒を押しつけられた。帰宅して開けてみると、そこにはアルバイト三か月分の給料が入っていた。
俺は封筒を手にしながら、あの夜の体の異変を思い出していた。あのだるさ、頭の重さ――あれは単なる体調不良だったのか。それとも彼の「石」と何か関係があったのか。
答えは出ない。けれど、あの海辺に散乱した石の光景が、今もまぶたに焼き付いて離れない。
そしてもう一つ。もし、あの夜、先輩の部屋まで辿り着いていたら――俺は何を目にしていたのだろうか。
想像するだけで背筋が冷える。
[出典:837 :本当にあった怖い名無し:2022/04/09(土) 03:02:08.56 ID:Rego1kZs0.net]