たいして面白い話じゃないが、大学時代の友人・保積の身に起きた出来事について書いておく。
保積には年上の姉がいて、ある時期、執拗なつきまといに悩まされていた。警察沙汰にはしたくないという姉の意向で、保積は「一晩、家に泊まって抑止力になってほしい」と頼まれたらしい。
何かあれば力ずくで止める役も期待されていたのだろう。気は進まなかったが、断れる状況でもなく、保積は引き受けた。
その夜、礼代わりにと姉に焼肉を奢ってもらった。店は賑わっていて、特別な違和感はなかったという。
異変は、食事の途中だった。
姉が突然、箸を落とし、肩を小刻みに震わせ始めた。顔色が抜け落ち、低い声で言った。
「……後ろにいる」
保積が振り向くと、すぐ背後の席に中年の男が座っていた。
笑っていた、としか言いようがない。作り笑いでも、愛想笑いでもない。七福神の面をそのまま貼り付けたような、不自然に完成された笑顔だったと、後で保積は言った。
姉には、その顔に覚えがあった。自分をつけ回していた男だと、即座に確信したらしい。
保積はその場で立ち上がり、男に詰め寄った。
「いい加減にしろ。これ以上つきまとうなら警察に行く」
男は、何も答えなかった。
表情も変えず、視線も逸らさず、ただ立ち上がり、そのまま店を出ていった。
騒ぎになった手前、追いかけることはできなかったが、保積は「これで終わりだ」と思ったそうだ。実際、姉へのつきまといは、それ以降ぱったりと止んだ。
安心できたのは、そこまでだった。
数日後、保積から妙に切迫した連絡が来た。
「今度は、オレかもしれない」
男は、保積の後ろに現れるようになった。
自転車ですれ違う。地下鉄の車内で背後に立つ。キャンパスの人混みに紛れて、数メートル先からこちらを見ている。
触れない。声をかけない。
ただ、あの笑顔のまま、視線だけを向けてくる。
警察にも相談したが、実害がない以上、取り合ってもらえなかった。
ストーカーと断定するには距離がありすぎる。しかし偶然で片付けるには、出来すぎていた。
次第に男の行動はエスカレートした。
大学構内にまで入り込み、講義棟の影や図書館の奥で、必ず視界に入る位置に立っている。
仲間を集めて捕まえようとしたこともある。だが、そういう時に限って男は現れない。まるでこちらの行動を先に知っているようだった。
保積は、少しずつ壊れていった。
危害はない。ただ見られている。それだけ。
それが「いつでも何かできる」という余白として、精神を削っていった。
最終的に、保積は大学を辞め、家にこもるようになった。
その後、連絡は途絶えた。
――これは、つい先日、共通の友人から聞いた話だ。
当時の自分は、正直、被害妄想だと思っていた。
だが、その友人は、何気ない顔でこう付け加えた。
「最近さ、保積の姉の近所で、同じ笑い方の男を見たって人がいるらしい」
それを聞いたとき、なぜか真っ先に思ったのは、
あの夜、焼肉屋で最初に振り向いたのが、保積ではなく姉だったという事実だった。
誰が、最初に見つけたのか。
誰が、最初に関わってしまったのか。
今でも、はっきりしない。
[出典:749 :本当にあった怖い名無し:2016/10/20(木) 01:12:42.86 ID:ScKyjwQx0.net]