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短編 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

【閲覧注意】蜘蛛嫌いの理由【ゆっくり朗読】4200

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私は蜘蛛が大嫌いです。

それこそ、洒落にならない程の恐怖を感じます。

……何故でしょうか。

これは小学校に上がる前の話です。

兵庫県のSというところにあるマンションに住んでいました。

マンションは敷地内に3棟あったと思います。

私のうちは、そのうちの1棟の、8階の一番奥にある部屋です。

8階には、私と同い年の男の子が私を含め3人いて、皆仲が良く、いつもマンション内の公園や、敷地内の色々な場所で遊んでいました。

場所によってはガガンボや蜘蛛が沢山いて、気味が悪い。

マンションの背後には大きな山がそびえているせいか、虫がやたらと多いマンションでした。

さて、仲良し3人組とは別に、たまに一緒に遊ぶ久二君(仮名)という男の子がいました。

久二君はマンションの1階に住んでいて、少し内気な感じの子です。

外に出て遊び回るより、家の中でおもちゃで遊ぶのが好きだったようで、外遊びが好きな私達とは、1ヶ月に数度遊ぶ程度の仲だったと思います。

ある時、私一人で久二君のうちに遊びに行きました。

マンションの一階は少し薄暗いのです。

さらにその日は曇りだったので、廊下が夜のように暗く、久二君のうちに入るまで、かなり心細かったのを憶えています。

久二君のうちに着くと、久二君と久二君のお母さんが出迎えてくれ、ホッとしました。

久二君は救急車やパトカーのミニカーを取り出してきたので、子供なりにストーリーを仕立てて、2人で遊んでいました。

しばらく遊んでいて、ふと視線を上げると、久二君の部屋の箪笥の上に、見慣れないおもちゃが置いてあることに気が付きました。

下から見上げる限りでは、レールが立体的に交差した造形しか判別出来ませんが、いかにも面白そうなおもちゃです。

「あのおもちゃで遊ぼうよ」と、久二君に頼みました。

すると久二君は素っ気無く、

「壊れてるから遊べないよ、和也君が壊したんじゃないか」と言います。

吃驚して、「嘘だあ。あんなおもちゃ見たことないよ」と言い返すと、

「だってこの前遊びに来た時壊したじゃないか!」

と言い張るのです。全く記憶にない事です。

ちょうどその時、久二君のお母さんが部屋に入ってきて、箪笥に洗濯した服を仕舞い始めました。

「久二君が、僕があのおもちゃを壊したっていうんだよ」

と、久二君のお母さんに訴えました。

「だって和也君、この前遊びに来た時壊したでしょう」

と、久二君のお母さん。

当時4歳か5歳だったと思いますが、私は3歳位からの記憶がわりとハッキリと残っています。

既に物心ついていましたので、友達のおもちゃを壊したかどうかくらいは判断出来ます。

断じてそんな記憶はありませんし、そもそも、そのおもちゃを見るのは初めてなわけです。

「どうしてそんな事言うの?ぼくは壊してないよ!」

「この前遊んでて壊したじゃないか」

「そうよねえ、和也君が壊したから遊べなくなったのよね」

その時は勿論この言葉を知りませんでしたが、生まれて初めて『不条理』を感じた瞬間だったと思います。

しばらく必死に記憶を辿って、以前に久二君のうちに遊びに来た時の事を思い出そうとしてみましたが、やはり何も憶えていませんでした。

その場にいたたまれなくなり、自分のうちに帰りました。

私にとってはかなりショックな出来事で、帰宅しても親に話せません。

その後間もなく、私達一家は東京へと引越ししてしまったので、久二君のおもちゃのことは、不可解なままになってしまいました。

その後、私は叔母から誕生日の贈り物に、幼年向けの『ファーブル昆虫記』をもらい、大変に気に入って何度も何度も読み返していたので、虫がとても好きになりました。

引っ越した先は東京にしては自然が多い地区でしたので、外に出ては色んな虫を捕まえて遊んでいました。

ただ、どうしても蜘蛛だけは好きになれません。

好きになれないどころではない、蜘蛛の事を考えるだけで身の毛がよだつ思いがします。

ファーブル昆虫記にも蜘蛛の話は載っていて、お話としては非常に面白いのですが。

小学校、中学校、高校と、いつまでたっても私の蜘蛛嫌いは直りませんでした。

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ある日、幼い頃育ったマンションでの日々について、母親と思い出話を語ることがありました。

色々懐かしく思い出しながら話しているうちに、

「お前は今でも蜘蛛が大嫌いだけど、子供の頃は本当に酷かった。夜中にいきなり、『蜘蛛は嫌だーっ!』って叫び始めるんだよ」

先に書いた通り、私は自分ではわりと小さい頃の記憶がある方だと思っている。

でも、夜中に泣き出したという記憶は全然ないわけです。

母親が語るには、私の泣き叫ぶ様があまりにも真に迫っていて、まるでそこに本当に蜘蛛がいるかのように怯えていたそうです。

寝ぼけたという様な生易しいものではなく、錯乱状態といってもよいぐらいで、気でも違った様に見えた。

そんなことが何度も続くので、病院に連れて行った方が良いのではと、悩んだほどだそうなのです。

そこで少し、自分の記憶があやふやになってきました。

いくらなんでも、そんなことがあったら憶えているんじゃないか?でも全く憶えていない。

ハッとしました。こういうことは前にもあったなあ……

そうだ、久二君のおもちゃのことだ。

そこで何か思い出しそうになり、久二君の薄暗い部屋のイメージが、頭の中にフラッシュバックしてきました。

でも、はっきりと思い出す前に、記憶の糸がフッと途切れてしまい、それ以上は思い出せません。

その時母親が、

「あのマンションは裏手が山だったから、大きな蜘蛛がたまに出たんだよねえ。大人の手くらいあるやつ。あんな大きな蜘蛛、子供が見たら、すごい大きさに見えるだろうねえ」
と言いました。

その瞬間、私の頭の中に幾つかのイメージが同時に駆け巡り、気が付くと私は頭を抱えてウゥと唸っていました。

すんでのところで叫び声を抑えていました。

久二君の部屋で走り回っている時に転んで、あのレールのおもちゃの上に倒れこむ瞬間、床を叩きながら泣いて私を非難する久二君。

久二君に、「どうすれば和也君を許す?」と聞く久二君のおかあさん。

久二君のおかあさんが、彼女の手より大きな蜘蛛をつかんで……

僕の口に……

……感触が!

私の母親は驚いたことでしょう。

私は逃げるように自分の部屋まで走り、そのまま布団をかぶって、頭の中に蘇ってくるイメージを消そうともがきました。

その日は朝まで眠れずに記憶と葛藤し、その後数週間は、日常生活の合間に蘇ってくる記憶に苛まれ続けました。

なにしろ人と会っていても、いきなり頭を抱えてうめき始めるわけです。

頭がおかしくなったと思った人もいたでしょう。

「蜘蛛を食べれば、許す」

「じゃあ、蜘蛛とってくるね」

冗談かと思いきや、数分も経たぬうち戻ってくる久二君のおかあさん。

「廊下に巣を張ってる蜘蛛を取ろうと思ってたんだけど、すごい大きな蜘蛛がいたからそっちの方を取って来た」

「うわっ、でっかー!」

「ほーら和也君、食べなさい」

今では分かる。

久二君の母親は、本気で蜘蛛を食べさせようとしたわけじゃない。

でも、彼女の目は、加虐の喜びに満ちていた。

彼女はひとしきり大きな蜘蛛を私の口のまわりになすりつけると、ひょいと窓から蜘蛛を捨て、

「おかあさんに言っちゃだめよ!」

と、恐ろしい顔をして言った。

そして久二君にも、

「これで和也君を許してあげなさい!」

と叱りつけた。

これが私の、蜘蛛を嫌いになった理由です。

(了)

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