親戚に元刑務官がいる。
酒の席で、仕事の話をほとんどしない人だった。こちらが何を聞いても、曖昧に笑って流す。だが一度だけ、ぽつりと零すように言ったことがある。
刑務官の仕事は監視じゃない。あそこでは人を見続ける。人として扱い続ける。それが一番きつい仕事だ、と。
収監者と話す時間が長かったそうだ。用事がなくても声をかけ、雑談をする。すると不思議なことに、相手の方から自分の話を始める。家族のこと、失敗のこと、罪のこと。語るうちに、相手が何を恐れているのかが見えてくるという。
その中で、忘れられない男が一人いる。
仮にAと呼ぶ。
Aは特別な経歴の人間ではなかった。中堅企業に勤め、結婚し、郊外の分譲マンションで暮らしていた。周囲から見れば、ごく普通の生活だった。
罪状は殺人。
被害者は妻。
犯行の動機は最後まで曖昧だったらしい。喧嘩の末だったとも、突発的だったとも言われているが、A自身はそれを詳しく語らなかった。
語ったのは、殺した後のことだけだった。
遺体をどうすればいいのか分からず、冷蔵庫に入れたという。生鮮食品を入れていたのと同じ場所だ。特別な意味はない。そこしかなかった。
仕事には行き続けた。帰宅後、少しずつ処理を進めた。日常の延長だった。料理をするのと大差ない感覚だったとAは言った。
冷蔵庫を開けるたび、特別な感情はなかったという。ただ、視線を合わせないようにしていた。
ほとんどが片付いた頃、最後に残ったのが頭部だった。
それだけは手を付けられなかった。
理由は分からない。怖かったわけでも、罪悪感でもない。タイミングを逃しただけだと言った。
そのまま数日が過ぎた。
ある夜、夢を見た。
リビングのテーブルに、妻が座っている。うつむいたまま、顔は見えない。手だけが見えていた。テーブルの縁に置かれ、微かに震えている。
最初は寒いのだと思った。だが震えは止まらず、音を立て始めた。爪が、指が、テーブルの周囲に落ちていく。床に転がる音が、やけに現実的だった。
Aは動けなかった。ただ見ていた。
やがて腕が崩れ落ち、音が変わった。骨が硬い面を叩く、乾いた音だった。
目が覚めた時、全身が汗で濡れていた。
喉が渇き、水を飲もうとしてリビングへ行った。冷蔵庫の前で足が止まった。扉が、ほんの少し開いていた。
中を覗いた。
見られている気がした。
それ以上は確認しなかった。扉を閉め、家にあったガムテープで何重にも封をした。その日はそれで終わった。
次の夜も夢を見た。
前夜の続きだった。今度は足が床を蹴っていた。一定のリズムで、強く。音が響くたびに床に染みが広がっていく。
部屋が、少しずつ赤くなっていく。
音が止んだ時、顔が上がる気配がした。
Aはそこで目を覚ました。
朝になっても、夢の続きを思い出せた。思い出せすぎることが気味悪かった。
頭部を処理しなければならないと思った。だが冷蔵庫の前に立つと、何をするつもりだったのか分からなくなった。
ガムテープは、すべて切れていた。
床に、何かが落ちていた。
それが何かを認識する前に、Aは視線を逸らした。見なかったことにした。片付けもせず、部屋を出た。
その週末、小型の冷蔵庫を買った。ワンルーム用の安いものだ。古い冷蔵庫はそのままにして、新しい方だけを使うことにした。
夢は続いた。
毎晩、少しずつ進んだ。動く部位が増え、音が増えた。ある夜、顔が上がった。
声が聞こえた気がしたが、内容は思い出せない。ただ、呼ばれている感じだけが残った。
Aは眠れなくなった。
起きている時間も、冷蔵庫の音が気になった。実際には何も鳴っていない。それでも、何かが中で動いている気がした。
ある朝、床に転がるものを踏んだ。
それが何だったのか、Aは最後まで語らなかった。
その日のうちに、Aは警察へ行った。
自首だった。
叔父は、取り調べの場でAと何度も顔を合わせたという。Aは落ち着いていた。泣きもしなければ、取り乱しもしなかった。
ただ、一度だけ、冷蔵庫の話をした後で、こんなことを言ったそうだ。
自分が怖かったのか、妻が怖かったのか、最後まで分からなかった。
叔父はそれ以上、何も付け加えなかった。
数杯酒を飲んだ後、静かに言った。
「残るもんがあるんだよ。片付けたつもりでもな」
それが、誰のものだったのかは分からない。
(了)