夜更け、机の上に一枚の紙があった。
いつ置いたのか思い出せない。
白いコピー用紙で、折り目もなく、インクの匂いだけが妙に新しい。
文字は縦書きで、古い言葉遣いの詩だった。
地獄、鞭、血、暗闇。
内容は重たいが、特別珍しいほどでもない。
途中まで黙って目で追った。
意味はわかる。
比喩も読める。
感情も動く。
それなのに、三分の一ほど読んだところで、行がずれた。
文字が滲んだわけではない。
視界も正常だった。
ただ、次の一行が、なぜか頭に入らない。
視線を戻す。
同じ行をもう一度読む。
読めているはずなのに、読んだという感触が残らない。
胸の奥が重くなった。
息苦しさではない。
理由のない圧迫感だ。
ここでやめようと思った。
だが、ページを閉じようとしても、どこまで読んだのか分からない。
指でなぞる。
そこに文字はある。
だが、自分が「今どこを読んでいるか」という感覚だけが消えている。
音を立てて読んでいない。
声は出していない。
それでも、口の中に言葉の形だけが残っている気がした。
気付くと、紙の下半分は白紙だった。
最初からそうだったのか、途中でそうなったのか、判断できない。
詩は未完のまま終わっていた。
あるいは、終わりまで読めなかっただけかもしれない。
翌朝、その紙はなかった。
捨てた記憶も、しまった記憶もない。
ただ一つ確かなのは、
あの詩を「読み終えた」という感覚だけが、どこにも存在しないままだということだ。
決して声に出して読んではいけない詩~トミノの地獄
この世には決して声に出して読んではいけない詩があるといいます。
それが童謡作家としても知られる詩人、西条八十が出版した詩集「砂金」に収録されている
「トミノの地獄」という作品です。
トミノという少年が地獄を旅するというさびしくもロマンチックな内容の詩で、
心の中で読む(黙読)までならかまわないが、声に出して読むと凶事が起こるといわれています。
寺山修司はこの詩を声に出して読んでしまったためにしばらくして亡くなったといいます。
こんなトンでもない話の出所は文学者、四方田犬彦(よもたいぬひこ)氏の著書「心は転がる石のように」
著書より、引用します。
今日は、こないだ予告したように、絶対に声に出して読んではいけないと、長い間いわれてきた一編の詩を紹介することにしよう。ただ黙って字面だけを追い、意味を了解するのならかまわないが、万が一にも朗読などしてしまうと、あとで取り返しのつかない恐ろしいことが生じるという、かの有名な童謡? のことである。今までその掟を破った人に寺山修司がいた。彼はそれからしばらくして、46歳で死んでしまった。
●●してはイケないと言われると、やりたくなるのが人の常。
でも、自分でやるのも怖いから、2ちゃんねらーあたりを焚き付けて実験台にして様子を見てみよう、そうしよう!
という輩がいてもおかしくないのだが、煽るやつもいなけりゃ、
『トミノの地獄 音読したった結果wwwww』
みたいな記事も見あたらない。
唯一、放送関係者の貴重な体験談が残っていましたので紹介します。
……実は私もこの「トミノの地獄」を音読してちょっと大変な目に遭ったことがあります。
都市伝説ラジオの放送中にこの詩の全文が投稿されまして、『おもしろそうだし、それじゃあ声を出してちょっと読みましょうか』と軽い気持ちで読み始まることになりました。
最初の方はサクサクと読めましたが、詩の半分ほどに差し掛かったあたりからなんだか気持ちが悪いというか体が重くなってきたのです。
そして三分の二まで来ると不快感に耐え切れず、放送を中断して回線を切ってしまいました。
なので、みなさんも声に出してこの詩を読むのは控えたほうがいいと思います……
その後、彼からの書き込みはどこにも見当たりません。
無事だといいのですが……
決して声に出して読んではイケない詩はこれだッ!
トミノの地獄
姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
地獄くらやみ花も無き。
鞭(むち)で叩くはトミノの姉か、
鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、
無間(むげん)地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、
金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、
無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、
暗い地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、
可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に
妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、
狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、
可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、
針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、
可愛いトミノのめじるしに。
(了)