七年ほど前の話だ。高校に入学したばかりの夏に、父の実家で聞いた話がある。
俺の父親は三男坊の次男で、家を継ぐ立場ではなかった。そのため都会に出てきたが、父の実家、つまり本家はそれなりに古い家らしい。祖父も三男坊で、本家とは疎遠だったが、俺は中学生の頃から妙に家系図に執着していた。皇室や貴族の血筋を調べるうちに、身近な「家の過去」も知りたくなったのだ。
正月に父の実家へ帰省した際、墓を見せてもらったことがある。だが墓石に刻まれていたのは、祖父の父の代までだった。それより前の名前はない。墓地を移した際に古いものが失われたのだと説明されたが、どこか釈然としなかった。
受験を終えた翌年の盆、本家に親戚が集まることになった。本家の跡取りに子どもが生まれ、百歳近い曾祖母にとって玄孫にあたる祝いだった。十三日に墓参りを済ませ、俺は祖父に改めて家の話を聞いた。
祖父は穏やかに語ってくれたが、話の端々に引っかかる部分があった。曾祖父が亡くなった年の前後、近所や親戚で立て続けに人が亡くなっていたという。戦争とは無関係で、多くは病死だったらしい。その年、祖父は十三歳で、ほとんど交流のなかった親戚の家を継ぐことになった。
話の途中で、祖父はふと思い出したように言った。
本家に、五、六歳ほどの少女が二人いたことがある、と。
名前は千代と万里。家では「ちーちゃん」「まーちゃん」と呼ばれていた。祖父が子どもの頃、いつの間にか家にいた存在だったという。すでに子どもが大勢いる家で、なぜ二人を迎えたのか。祖父が理由を聞いても、曽祖父は曖昧に笑うだけだったそうだ。
二人は長くはいなかった。数年で相次いで亡くなり、その後、家の中で名前が出ることはなくなった。ただ一つ、はっきり覚えていることがあるという。
二人の墓だけが、他と離れた場所にあったこと。そして、勝手に参るなと強く言われていたことだ。
翌日、本家で百歳の曾祖母に会った。俺は家系図の話を振り、ついでのように二人の少女のことを尋ねた。すると曾祖母は、一瞬だけこちらを見て、すぐ視線を外した。
「昔のことは、覚えていないよ」
それだけ言って、話を切り上げた。
代わりに、親戚の誰かがぽつりと教えてくれた。
「あの子たちのことは、今も本家では触れない」
理由は聞けなかった。ただ、その夜、本家の一室に置かれた簡素な雛人形を見せられた。古い部屋の奥に、場違いなほど新しい人形が並んでいた。飾る時期でもないのに、埃ひとつ被っていなかった。
その部屋に入った瞬間、妙に息が詰まる感じがした。空気が重いというより、何かが足りない。人がいるはずの場所が、長い間空席だったような感覚だった。
帰り際、祖父がぽつりと漏らした。
「昔は、人形じゃなかったんだ」
それ以上、祖父は何も言わなかった。俺も聞けなかった。
今も本家では、あの雛人形が同じ場所に飾られているという。跡取りに子どもが生まれても、外されることはないらしい。
あの家では、何が終わっていて、何がまだ続いているのか。
それを確かめる方法は、もう残っていない。
(了)
[出典:157 :本当にあった怖い名無し:2012/11/14(水) 12:14:48.41 ID:pKaiE3qJ0]