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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

空室の生活音 nrw+693-0109

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俺が今のアパートに引っ越してきたのは、ちょうど半年前だった。築三十年。

外壁の色はところどころ剥げていて、共用階段を上ると湿った埃の匂いが鼻につく。でも家賃が安かった。それだけで決めた。

最初の数ヶ月は普通だった。隣の部屋からは生活音が聞こえた。足音。テレビの音。水を使う音。壁が薄いから、まあこんなものだろうと思っていた。

三ヶ月ほど経った頃、ふと気づいた。隣の住人を一度も見ていない。六ヶ月間、顔を合わせないのは珍しい気もしたが、生活時間がずれているだけかもしれない。そう思うことにした。

それでも気になって、管理会社に電話した。「隣の部屋の方とお話ししたいことがあるんですが」と言うと、担当者は一瞬黙ってから答えた。

「隣ですか。あそこは二年前から空室ですよ」

思わず聞き返した。音が聞こえていると説明すると、「古い建物なので配管音や建物のきしみでしょう」と言われた。理屈としては納得できた。無理やり納得するしかなかった。

数日後、大家さんにも直接聞いた。近所に住んでいる七十歳くらいの女性で、穏やかな人だ。

「隣は本当に空いてるよ。鍵も私が管理してるから間違いない」

そう言い切ったあと、少しだけ声を落とした。

「でもね、確かに時々音がするのよ。私も気にはなってた」

配管や上階の音だろう、という説明で話は終わった。だが音は続いた。それも、妙に規則正しく。

毎朝同じ時間に足音がする。夜になるとテレビの音がする。水音は決まって朝と夜。どれも生活のリズムとして不自然ではなかった。

ある日、通りすがりに隣の部屋の郵便受けを覗いた。空室なら何も入っていないはずだった。

中には郵便物があった。束ねられ、順序よく並んでいる。昨日の日付の配達物も混じっていた。

大家さんに連絡すると、「明日一緒に見ましょう」と言われた。

翌日、鍵を開けて部屋に入った。中は空だった。家具も家電もない。電気も水道も止まっている。それなのに、床はきれいで、埃がほとんどない。二年間空室だった部屋とは思えなかった。

「誰かが掃除してるのかしら」

大家さんが首をかしげた直後、管理会社の担当者が現れた。

「実は」と彼は言った。「内見に来た人、全員断るんです。理由を聞いても、雰囲気が、とか、誰かいる気がするとか」

その時だった。

部屋の中から足音がした。

三人とも聞いた。はっきりと。部屋の中央から、こちらに向かうような足音だった。だが視界の中には誰もいない。

それから一ヶ月経った今も、音は続いている。不思議なことに、音がしない日の方が落ち着かない。

最近、もっと奇妙な変化が起きている。

隣の音が、俺の生活と噛み合い始めた。俺が起きると足音がする。テレビをつけるとテレビの音。シャワーを使うと水音。

偶然だと思おうとした。だが毎日続く。

昨夜、喉が渇いて台所へ行った。隣からも同時に足音がした。水を飲んでいる間、隣からも水音。部屋に戻ると、隣からも戻る音。

午前三時半。わざとトイレに行った。隣からも同じタイミングで音がした。

最近、考えるようになった。
最初から隣に誰かがいて、俺が無意識に合わせているんじゃないか。
それとも、誰もいない部屋に、俺の生活が映っているのか。

どちらが異常なのか、分からない。

今、この文章を書いている間も、隣の部屋からキーボードを打つ音がしている。

俺と、同じ速さで。か?

(了)

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