高一のとき、某チェーンの飲食店でアルバイトをしていた。
同じ日に入った子が一人いた。年も近く、見た目も性格も普通で、特別仲良くしようと意識したわけでもないのに、気づけば一緒にシフトに入ることが多くなった。
ただ、あの店には一人だけ、妙に彼女を嫌っている先輩がいた。理由は誰にも分からなかった。仕事が遅いわけでも、態度が悪いわけでもない。ただ「気に入らない」という空気だけがあった。
最初は些細なことだった。
「先輩には絶対敬語な?」
「返事はもっと大きく」
それだけ聞けば、どこの職場にもある指導だ。でも、それを言われるのは彼女だけだった。他の後輩が同じことをしても、何も言われない。気づいたときには、彼女の動き一つひとつが監視されるようになっていた。
ミスをすれば皆の前でため息をつかれ、誰かの失敗でも彼女のせいにされる。休憩室では、彼女が入ってくるだけで空気が固まる。誰かがわざとらしく席を立つ。「また来た」という視線が、言葉よりはっきり伝わってくる。
それでも彼女は辞めなかった。
「辞めたら、私が間違ってたみたいじゃん」
そう言って笑った。笑顔だったが、どこか顔の筋肉だけで作ったような、不自然なものだった。
私は先に辞めた。見ていられなかったからだ。
それでも連絡は続いた。電話で愚痴を聞き、たまに遊びに行った。だが、次第に彼女の話は同じところを何度も行き来するようになった。同じ出来事を、少し言い回しを変えて、何度も。
ある日、病院から電話が来た。
彼女が自殺未遂をしたと。
病室で会った彼女は、別人のようだった。目が合わない。話しかけても、一拍遅れて反応する。笑うことはあったが、音がなかった。口だけが動いている感じだった。
枕元には一枚の紙があった。遺書というより、名簿だった。
店の先輩、同僚、店長、責任者。名前が、ただ静かに並んでいた。
彼女は生き延びたが、元には戻らなかった。入退院を繰り返し、外に出られる期間も短くなった。私は見舞いに通ったが、次第に怖くなっていった。
彼女は、私を見るたびに微笑んだ。
懐かしい友人に向ける笑顔ではなかった。安心でも喜びでもない。ただ、口角が上がっているだけの表情だった。
三年後、あの店は突然閉店した。詳しい事情は知らされなかった。ただ、あっという間だった。そこで働いていた人間たちは、次々に職を失った。
その後、噂が流れ始めた。
誰が訴えたのか。何が罪に問われたのか。正確なことは誰も知らない。ただ、関わっていた人間が、順番に呼び出されていった。
彼女の病室に、元同僚たちが来ているらしい、という話を聞いたのは、その頃だ。
謝罪したいと言っているらしい。許してほしい、と。
私は久しぶりに、彼女の見舞いに行った。
病室の前で、誰かが土下座しているのが見えた。顔は伏せられていたが、かつて彼女に向けてため息をついていた人物だと分かった。
中に入ると、彼女はベッドに横になっていた。相変わらず、あの微笑みを浮かべていた。
彼女は、床に頭を擦りつけている人間を見ていなかった。
視線は、その奥。
私の方でも、壁でもない。
まるで、そこにいない誰かを数えているようだった。
「ねえ」
私は小さく声をかけた。
「もう、いいんじゃない?」
彼女は一瞬だけ私を見て、また微笑んだ。
そして、こう言った。
「忘れてないだけ」
その場にいた全員が、息を止めた。
誰に向けた言葉なのか、誰にも分からなかった。
帰り際、背中に視線を感じた。振り返ると、彼女はまだ微笑んでいた。
その微笑みが、私に向けられている気がして、急に息が苦しくなった。
帰り道、ふと気づいた。
彼女の紙に、私の名前は書かれていなかった。
でも、それは「許された」という意味ではない。
ただ、まだ呼ばれていないだけだと、今は思っている。
(了)