平成元年7月24日午後
北海道大雪山系の黒岳(標高1984メートル)から旭岳(標高2290メートル)へ縦走中の2人の登山者が行方不明になったとの連絡を受けて、北海道警察航空隊のヘリコプター゛ぎんれい1号゛が上空から捜索中に、旭岳南方の忠別川源流部の湿原地帯に倒木を使ってSOSという文字を発見した。
すると、その地点から3キロ先に2人の登山者を発見し無事救助した。
ヘリの捜索隊は、当然この2人が倒木を使ってSOSの文字を作ったと思ったが、意外にも「そのようなことは知らない」と答えた。
そこで、北海道警は、この2人以外にも遭難者がいるものとみて翌25日の午後に改めてヘリを出動させ捜索にあたった。
その結果、SOSの文字は一辺が5メートル前後で作られており、その倒木には草が生い茂っていたことから少なくとも一冬前に作られたことが考えられた。
更に、この倒木文字から30メートルの範囲で白骨体の骨が散乱していた。
捜索隊は尚も慎重に調査をすると、100メートル先にテープレコーダーとテープ3本、リュクの中には免許証、歯磨きセットなどの日用品も発見した。
捜索隊は、これらの遺留品と白骨体を持ち帰り、旭川大学に骨の鑑定を依頼した。
その結果、女性の骨であることが濃厚とされた。
ところが、遺留品の持ち主は昭和59年7月に行方不明になっていた愛知県江南市の会社員Aさん(当時25歳)であることが分かった。
そして、不思議なことにテープの殆どがアニメソングだったのに対して、最後の2分間は男の声で、
「エスオーエス、たーすーけーてー、吊り上げてくれー……」
と遠くの誰かに呼びかけるような、一字毎に間合いをとった音声が録音されていた。
何故、助けを求める声を録音したのかは不明だが、いずれにしても現場からは女性の遺留品は見当たらなかった。
報道では、Aさんと女性が何らかの事件に巻き込まれたのではないか、或いは無関係だとしたらどのような経緯で白骨化したのかなど様々な憶測や噂が紙面を賑わせた。
ところが、白骨体を発見してから3日後の28日、旭川大学は更に詳細な鑑定をしたところ、白骨体は男性のものであり、しかもそれはAさんであると断定。
当初の女性の骨が濃厚というコメントを撤回した。それにしても、Aさんはどうして遭難したのか、そして木文字に至るまでの経緯はどうだったのか?
金庫岩とニセ金庫岩
Aさんは旭岳山頂から200メートル下りたところにある、金庫のような長方形の通称゛金庫岩゛を見て左折したと思われる(正規の登山道)。
すると、50メートル先に金庫岩とそっくりな通称゛ニセ金庫岩゛に突き当たる。
多くの登山者が、これを本物の金庫岩と思い直進してしまうようだ。大抵は、間違いに気付き引き返すのだが、Aさんは迷わず直進してしまったものと思われる。
ニセ金庫岩から4キロ進んだところで、Aさんは道を間違えたことに気付いたが手遅れだった。
遭難した現場は、ササが生い茂り、下るのは容易だが登るとなると絶望的な地形だった。
更には、湿原地帯の先は断崖になっており、Aさんは戻ることも進むことも出来なかったと思われる。
Aさんは孤独の中、死への恐怖と戦っていたのだろう。
そして、残されたテープを改めて聞くと、おそらく彼の頭上をヘリが飛び交ったことが想像できる。
そこで、最後の力を振り絞ってSOSと木文字を作ったに違いない。
ご冥福を祈る。
(了)