小学生のころの話をしようとすると、まず鼻の奥に、あの夜の匂いがよみがえる。
煮詰まった味噌汁と、焼け残った魚の脂と、畳に染みこんだ湿気が混ざった、少し重たい匂いだ。
その日が土曜日だったことは、今でもはっきりしている。
台所のカレンダーに赤い丸がついていて、「今週は絶対に見る」と、自分で書いた丸だったからだ。
当時の土曜の夜、うちでは必ずちゃぶ台の向こうでブラウン管が光っていた。
画面の角が丸くて、端のほうが少し歪んで見える古いテレビだったが、そこから流れてくる笑い声だけは、家じゅうの空気を明るくしていた。
「八時だよ!全員集合」が始まる前、父はいつも風呂から上がって、パンツ姿のまま缶ビールを一本あける。
母は洗い物を途中までやって、続きは番組が終わってからにすると決めていた。
私はといえば、ちゃぶ台にあごを乗せて、時計とテレビ欄ばかり見ていた。
自分の一週間の楽しみが、そこに集約されていたと言っても大げさじゃない。
妹はそのころ幼稚園で、いつもなら番組が始まる前に眠たくなって、母にしがみつきながら舟をこいでいた。
その日だけは違っていた。
「今日は最後まで見るから。八時になったら起こしてね」
夕方七時少し前、妹はそう言って、まだ明るさの残る階段をとことこ上がっていった。
白いパジャマの背中が、廊下の薄暗がりに吸い込まれていくのを、私は半分うらやましく眺めていた。
自分の胸のあたりには、妙なそわそわが溜まっていた。
宿題も全部終わらせてあるし、母からも「今日はいいよ」と言われているのに、体のどこにも置き場がないような感じがしていた。
ちゃぶ台の下では、飼い犬の太郎が丸くなっていた。
犬独特の温かい体臭と、さっきまで雨が降っていた外の湿った風の匂いが、部屋の中でゆっくり混ざっていた。
テレビの前の番組が、だらだらと終わりに近づいていく。
笑いも涙もない、どうでもいいドラマの最後のやりとりが続くたびに、私は腕時計をいちいち確認していた。
七時五十分を過ぎたころ、テレビからCMのジングルが流れた。
画面が一瞬白くなって、派手な色の洗剤の宣伝に切り替わる。
「今のうちだよ」と母に言われ、私は立ち上がった。
足が畳から離れる瞬間、ひやりとした冷気が足首にまとわりつく。
二階へ上がる階段は、いつもきしむ同じ段が決まっていた。
その段を踏んだときの、ぎい、という乾いた音まで、今も耳に残っている。
二階の廊下は、階下よりひんやりしていた。
窓ガラスの向こうの空は、すでに群青色で、遠くの方でかすかな電車の音がした。
子ども部屋の引き戸の前で立ち止まり、「起きろよ」と声をかけてから、私は戸を開けた。
紙と木が擦れ合う音がして、部屋の中の空気がすっと流れ出てくる。
そこは、いつもの子ども部屋のはずだった。
畳の目に沿って置かれた二つのベッド。
窓際の、色あせたカーテン。
机の上には、削りかすの残った鉛筆削りと、教科書が山になっていた。
ただひとつ、いつもと違うのは。
妹が、いなかった。
最初は、ただ布団がめくれているだけだと思った。
妹のベッドの掛け布団を、ぺらりとめくる。
そこには、しわになったシーツがあるだけで、温もりも、寝息の気配もなかった。
「おい、冗談やめろよ」
思わず口から出た声は、自分でも驚くほど乾いていた。
私は枕をどかし、クッションを持ち上げ、その下も覗き込んだ。
何もない。
畳に手のひらをつけると、ひんやりしている。
ほんの数分前まで、人が寝ていた感じは、そこにはなかった。
ベッドの下を覗き込むと、埃と、落として忘れていた消しゴムと、丸められたお菓子の袋が見えただけだった。
妹の足も、パジャマの裾も見えない。
私は自分のベッドのほうも同じようにひっくり返した。
二つのベッドのマットレスをずらして、壁との隙間まで手を伸ばす。
指先に触れるのは、冷たい壁紙と、小さなゴミだけだった。
心臓が、急に重くなったような感覚があった。
胸の真ん中あたりがじわじわ熱くなるのに、掌は冷えていく。
「おかあさーん」
階段に向かって叫ぶと、自分の声が妙に遠くから聞こえた。
階下で食器の当たる音が止まり、母の返事が届く。
しかし、その返事さえ、現実感が薄かった。
母が二階に上がってくる気配を待つ間にも、私は部屋中を動き回っていた。
押し入れの襖を開け、布団を引きずり出し、奥まで手を突っ込む。
布団に長く閉じ込められていた湿気の匂いが、もわっと顔に当たる。
くしゃみが出そうになるのをこらえながら、中を全部かき回したが、妹の気配はなかった。
母は最初、私が何か悪ふざけをしているのだと思ったらしい。
私の顔を見て、すぐにその考えを引っ込めたのがわかった。
「ほんとにいないの?」
母の声は低く、押し殺したようだった。
その声を聞いた瞬間、私の背筋を、冷たいものが上から下へ走り抜けた。
そのあとのことは、ところどころ飛び飛びにしか思い出せない。
父が呼ばれるまでの間に、母と私はトイレと風呂場を見に行った。
誰もいない白い浴槽、閉じたままの蓋、その上にたまった細かい埃。
玄関を開けると、湿った夜風が入り込んでくる。
軒先の蛍光灯には蛾が何匹も貼りついていて、その羽音が妙に耳についた。
庭の隅の犬小屋では、太郎が落ち着かない様子で出たり入ったりしていた。
いつもなら眠たそうにしている時間なのに、鼻をひくひくさせ、家のほうばかり見ている。
「どこ行ったのよ……」
母の呟きが、闇に吸い込まれていく。
私は裸足で土を踏んでいた。ひんやりしているはずなのに、足裏の感覚が妙に鈍かった。
父が二階から降りてきたとき、すでに私は何度か同じ場所を探していた。
押し入れ、布団の間、階段の踊り場、廊下の隅。
父は無言で靴をつっかけ、家の前の道を左右見回した。
その仕草だけが、やけにゆっくりに見えた。
近所に知らせに行く役目を、いつの間にか私が引き受けていた。
母に背中を押され、サンダルをつっかけて、暗い路地に飛び出した。
小さな町だったので、顔見知りの家は全部で数えるほどだった。
一軒一軒の玄関を順に叩き、「妹がいなくなった」と言うたび、喉の奥が砂利を飲み込んだようになった。
近所の人たちは、まだ夕食の片づけの途中だったり、テレビをつけたままだったりした。
玄関を開けるたび、いろんな料理の匂いと、テレビの音と、柔軟剤の香りが、むせかえるほど混ざって押し寄せてくる。
その中に、さっきまで自分がいたはずの、のんきな土曜の夜の空気が、まだ生きていた。
それを一度外に出てしまった自分だけが、もう取り戻せないような気がした。
何軒か回るうちに、私の足は泥で汚れ始めた。
街灯に照らされるたび、その汚れが妙にくっきり見えた。
誰も、妹を見ていなかった。
近所の友達の家を回っても、親戚の家のチャイムを押しても、返ってくる答えは同じだった。
「あらまあ」「どこに行ったのかしらねえ」という、少し困ったような表情と、曖昧な声。
家に戻ったころには、空気が変わっていた。
玄関の外には、近所の大人たちが数人集まっていた。
靴が玄関からはみ出し、廊下にはよその家のスリッパの音が響いていた。
誰かが二階に上がり、誰かが庭に出て、誰かが裏口のほうを見に行く。
うちの小さな家が、一気に広く、知らない迷路のように感じられた。
私は、ちゃぶ台の前にいるべき時間に、廊下の隅で立ち尽くしていた。
テレビからは、まだCMの音が聞こえていた。
時間の感覚が、そこで一度途切れる。
誰かが時計の話をしていた気がする。
「もう七時半を過ぎた」とか、「警察に電話したほうがいい」とか、そんな言葉の断片だけが、頭の中に残っている。
畳の上に座ったり立ったりする大人たちの足が、視界の下のほうを落ち着きなく行き来していた。
そのリズムに合わせて、胸の鼓動が勝手に速くなっていく。
もう一度、家の中をすべて探そう、ということになった。
父の声だったのか、誰の提案だったのか、今ではもうはっきりしない。
ただ、その言葉が出たとき、部屋の空気が一瞬固まったように感じた。
全員が同じ方向を向いたような気配があった。
二階へ向かう階段には、いつもより多くの足音が重なった。
ぎいぎいと、木が抗議するような音が続く。
私は、先頭には立たなかった。
誰か大人の背中に隠れるようにして、階段を上がった。
子ども部屋の前の廊下に、数人の影が並んだ。
さっきまで、ここには自分しかいなかったことが信じられないほど、人の気配で満ちていた。
引き戸の前に立ったのは、父だった。
父は一度だけ深呼吸をしてから、ゆっくりと戸を引いた。
その瞬間、廊下の空気が、すっと冷えたように感じた。
戸の向こうには、見慣れた子ども部屋があった。
二つのベッド。
窓際のカーテン。
散らばった教科書。
そして。
妹が、いつもの自分のベッドで、すやすやと寝息を立てていた。
部屋の中の誰もが、一瞬声を失った。
私の耳には、自分の呼吸の音だけが大きく響いていた。
妹の胸が、規則正しく上下している。
枕元には、昼間遊んでいたぬいぐるみが転がっていた。
ほんの一時間ほど前、私がひっくり返して、マットレスまでずらしたはずのベッドは、きちんと元通りになっていた。
シーツはたるみ一つなく伸びていて、掛け布団は妹の肩まできちんとかかっていた。
「おい、起きろ」
父が肩を揺さぶると、妹は眉をひそめて、眠たそうに目をこすった。
何が起きているのか理解していない顔で、きょろきょろと周りを見回す。
「どこ行ってたの」
母の声は、かすれていた。
その言葉に、妹は目を丸くして、ゆっくり首をかしげた。
「ずっとここで寝てたよ」
その返事を聞いた瞬間、背中の汗が冷たくなった。
さっき、自分がこのベッドをどう扱ったか。
布団をめくり、枕をどかし、クッションを裏返し、マットレスまで持ち上げたときの、指先の感触。
あのとき、このベッドには、確かに誰もいなかった。
それなのに、今ここには、最初から何もなかったみたいな顔で、妹が横たわっている。
近所の人たちは、「よかったねえ」と口々に言った。
笑い声も出たが、その笑いの中に混じっている、言葉にできないざわつきは、子どもの私にもわかった。
廊下に戻るとき、誰かがぽつりと言った。
「家から出てないはずなんだけどな」
玄関には、ずっと誰かがいた。
庭にも、裏口にも、人の目があった。
その間をすり抜けて、幼稚園児がどこかへ行き、また戻ってくる。
そのためには、誰にも気づかれない通り道が必要だ。
うちの小さな家に、そんな道があるとは、とても思えなかった。
近所の人たちが引きあげてから、家の中には疲れ切った静けさが残った。
テレビはいつの間にか消されていて、画面は黒い鏡のようになっていた。
ちゃぶ台の上には、食べ残しの皿と、冷めた味噌汁の鍋が残されていた。
父は何も言わずにビール缶をつぶし、母は洗い物に戻った。
妹は、階段をこつこつ下りてきた。
いつもなら抱きついてくる太郎を、遠巻きに見るような視線で眺めていた。
「起きたんだ」と声をかけると、妹は一瞬こちらを見た。
その目つきに、微かな違和感があった。
乱暴で、人の話を最後まで聞かない子だったはずなのに、そのときの妹は、黙って、じっとこちらの顔を見ていた。
まるで、初めて会う人を観察するみたいな目だった。
「さっきのこと、覚えてる?」
そう聞くと、妹は少しだけ考えるふりをしてから、ゆっくり首を横に振った。
「眠かった」
それだけ言って、ちゃぶ台の端に座り、冷めたご飯を黙々と食べ始めた。
箸を持つ手つきも、どこかよそよそしかった。
いつもならこぼす味噌汁も、その夜は一滴もこぼさなかった。
その日を境に、妹は変わっていった。
それまで、男の子と平気で取っ組み合いの喧嘩をしていたのに、翌週からは、誰かに話しかけられても小さな声で返事をするようになった。
幼稚園の先生から、「びっくりするくらい大人になりましたね」と言われたと、母が苦笑いしながら話していた。
家の中でも、妹は急に丁寧になった。
玩具を片づけるようになり、私のお菓子を勝手に食べることもなくなった。
ただ、その変化が、当時の私には素直に喜べなかった。
いつも大騒ぎしていた場所に、急に別の人間が座り込んでいる。
そんな印象のほうが強かった。
ふとした瞬間に、妹と目が合うことがあった。
そのとき、妹の視線がほんの少しだけ私の肩の上を通り過ぎて、どこか別の場所を見ているように感じることがあった。
それが、何なのかはわからない。
けれど、そのたびに、背中の皮膚が薄くなったような、外の空気がじかに骨に触れるような感覚になった。
年月が経ち、その出来事は、家族の中でも、半ばタブーのようになっていった。
母は数えるほどしか話題にしなかったし、父は一度もあの日のことを口にしなかった。
私自身も、あの夜のテレビ番組の内容を覚えていないことに気づき、妙な気持ちになった。
一週間も待っていた番組のはずなのに、その回だけ、記憶がすっぽり抜け落ちている。
妹は大人になった。
結婚し、子どもができ、たまに実家に帰ってくる。
ある年、盆で帰ってきたとき、久しぶりに昔話になった。
ちゃぶ台はもうなく、代わりに買い替えたテーブルの上に、スイカとお茶が並んでいた。
「うちさ、昔、変なことあったよね」
思い切って口を開くと、妹は首をかしげた。
子どものころの話をするたびに見せる、あの懐かしい顔つきだ。
「ほら、おまえがさ、幼稚園のとき、一時間くらい消えたじゃん。土曜の夜」
私がそう言うと、母が手を止めた。
湯吞みを拭いていた布巾が宙で止まり、視線だけが私に向けられる。
妹は少し笑ってから、「なにそれ」と言った。
「本当に覚えてないの?」
「うん。全然。そんな大ごとになってたの?」
妹は本気で驚いたように目を丸くした。
その表情には、作り物の影は見えなかった。
「まあ、幼稚園のことなんて、忘れててもおかしくないでしょ」と妹は言った。
その言葉は正しい。
けれど、私はそこで引き下がれなかった。
あの夜の、手のひらの冷たさや、布団をひっくり返したときの布の感触が、まだ体に残っていたからだ。
「お母さん、覚えてるよね」
思わずそう言うと、母は目を伏せた。
少し間を置いてから、「覚えてるよ」と静かに答えた。
「ほんとにあったのよ。あのときは、警察呼ぶ寸前まで行ったんだから」
母の声を聞いて、妹は「へえ」と相槌を打った。
その横顔を見ていると、昔のあの違和感が、少しだけ戻ってきた。
「性格、変わったよね。あの日から」
そう口に出すと、妹は笑って、「それは成長しただけじゃない?」と肩をすくめた。
その会話で終わっておけば、ただの不思議な昔話で済んだのかもしれない。
数日後、私は押し入れを片づける用事ができて、実家の二階に上がった。
懐かしい階段のきしむ音と、あのころから変わらない廊下の匂い。
子ども部屋は、もう物置に変わっていた。
二つあったベッドは処分され、代わりに段ボール箱が積み上げられている。
押し入れを開けると、昔のアルバムが何冊か出てきた。
時間を忘れて、一冊ずつめくっていく。
運動会の写真、遠足の写真、正月の写真。
そこには、今の妹に繋がる顔が、確かに写っていた。
問題のあの頃のページに差し掛かったとき、私は思わず手を止めた。
土曜の夜、居間でテレビを見ている写真が、一枚だけ挟まっていたのだ。
薄く色あせたその写真には、ちゃぶ台と父と母と、幼い子どもが二人写っていた。
ひとりは、妹だった。
もうひとりは……私のはずだった。
だが、その子どもの顔に、私は自分の顔をうまく重ねられなかった。
額の形、目の位置、笑っている口元。
どれも、確かに自分に似ているのに、どこか別の誰かにも見える。
写真の隅には、テレビ画面も写っていた。
そこには、見覚えのあるコントの場面が映っているはずなのに、私はその内容をまったく思い出せなかった。
写真の裏を見ると、母の字で「小学三年 土曜の夜」と書かれていた。
それだけで、日付も番組名も書かれていない。
階下から母の呼ぶ声がして、私はアルバムを閉じかけた。
そのとき、ふと、別のページの端に、何かが挟まっているのが目に入った。
小さな、切り取られた写真の断片。
そこには、子ども部屋のベッドと、その端に座っている小さな後ろ姿だけが写っていた。
後ろ姿の髪の長さは、妹と同じだった。
けれど、その肩の線を見た瞬間、なぜか自分の背中を見ているような気がして、指先がじっとりと汗ばんだ。
「なに見てるの」
振り返ると、母が廊下から顔を出していた。
私は、とっさにアルバムを閉じた。
「昔の写真」
そう答えると、母は少し笑って、「片づけ終わったらお茶入れるからね」と言って階段を下りていった。
私は、閉じたアルバムの上に手のひらを置いた。
その下にある、自分に似ていて、自分ではないような子どもの顔を意識すると、掌の中に微かな脈打ちがあるように感じた。
あの夜、消えたのは、本当に妹だけだったのか。
布団をひっくり返し、押し入れを探し、近所中を走り回っていたのは、本当に「私」だったのか。
階段を降りる足音が、自分のものなのかどうか、一瞬わからなくなった。
それでも体はよく知ったように、ぎい、と鳴るあの段を、当たり前のように避けて歩いた。
その感覚の馴染み方が、いちばん厄介だった。
私はあの家のすべてのきしみや匂いや薄暗がりを、昔から知っている。
でも、それを知っている「私」が、本当に最初からこの家にいた「私」と同じなのかどうかは、誰にも確かめようがない。
妹は今も、自分が一時間ほど消えていたことを覚えていない。
その代わりに、あの夜をはっきり覚えているのは、私だけだ。
まるで、あの一時間分の記憶ごと、どこかから持ってこられたみたいに。
ちゃぶ台のかわりに置かれたテーブルで、妹の子どもがテレビを見て笑っている。
画面には、今の人気お笑い番組が映っていて、笑い声が部屋に響いている。
その音を聞きながら、私はふと、二階の空き部屋に耳を澄ませる。
誰もいないはずのそこから、微かな寝息のようなものが聞こえた気がして、首筋の皮膚がゆっくり粟立った。
あの夜、布団の下を探したとき、確かに誰もいなかったはずのあの場所に。
今も、まだ、探されないままの「誰か」が寝ている気がする。
その「誰か」と、今ここでスイカを食べている「私」が、いつ入れ替わったのか。
それとも、最初から区別などなかったのか。
はっきりしているのはひとつだけだ。
あの土曜の夜、八時前後の一時間を、妹は覚えていない。
代わりに、その一時間を、私はやけに細かく覚えすぎている。
私が語っているこの話を、本当の意味で誰の体験と呼ぶべきなのか。
それを考え始めると、畳の感触も、階段のぎいという音も、自分の記憶ではなく、どこかから借りてきた映像みたいに思えてくるのだ。
[出典:231 :本当にあった怖い名無し:2009/03/11(水) 12:10:14 ID:wlqAGO1U0]