十二月の半ば、吐く息が白く固まるような寒さだった。
地元の古い公共施設を貸し切ったコスプレイベントに参加していた。天井の高いホールと、四方を壁に囲まれた中庭のある建物で、屋内は撮影用のセットや小道具で賑わっていた。屋外のテラスは寒すぎて、まともに人がいない。
その日は四人で来ていた。午前中は屋内で撮影を回し、昼過ぎになって誰かがお腹が空いたと言い出した。受付で確認すると、飲食は屋外のみとのことだった。
コートを羽織り、中庭へ出る。テーブルは冷えきっていて、弁当の湯気はすぐに消えた。友人三人は、大型併せの集合時間があるからと、食べ終わるなり屋内へ戻っていった。
わたしだけが残った。ジュースのパックを吸いながら、白い息を吐き、周囲を眺めていた。
鮮やかな衣装。真っ白なウィッグ。大きな剣や杖。現実には存在しないはずの姿が、寒空の下に並んでいる。その光景を見ていると、ここがどこなのか、少しだけ曖昧になる。
一眼レフを取り出し、今日撮った写真を見返した。液晶に映る自分たちは、完璧に“別の存在”だった。鼻の奥にはウィッグスプレーの甘い匂いが残っている。
ふと、指先の感覚が戻った。
静かすぎた。
さっきまで人がいたはずの中庭に、気配がない。レイヤーも、カメラマンも、誰もいない。寒さのせいで屋内に戻ったのだろうと考えたが、物音ひとつしなかった。
立ち上がった瞬間、背骨を冷たいものが走った。
空が、緑だった。
雲も太陽もない。濃く濁った緑色が、頭上を塗りつぶしている。均一で、深く、底が見えない。地面に落ちる影も、壁の反射も、すべて緑を帯びていた。
目を閉じて開く。変わらない。
耳鳴りが強くなる。鼓動が内側から叩く。
わたしは屋内へ走った。
ホールは、無人だった。
さっきまで人だかりだった撮影セットは崩れかけたまま放置され、三脚が倒れ、パイプ椅子がずれている。人間だけが抜き取られたようだった。
廊下を進む。スタッフを探さなければと考えた。
そこで、彼女に出会った。
白いカーディガンに青いブラウス。右腕に黄色い腕章。黒いサンバイザーで顔は影になっている。
人間だ、とわたしは思った。
「すみません」
声をかけた瞬間、彼女は目を見開いた。
「……どうして此処にいるの」
問い詰めるようでも、驚くようでもない声だった。
「イベントで来てて、気づいたら誰もいなくて」
説明しながら、違和感が走る。彼女の背後の壁が、わずかに揺れているように見えた。
彼女はゆっくり微笑んだ。幼稚園の先生のような、柔らかい笑顔だった。
「怖かったね」
その言葉に、なぜか安心しかけた。
彼女は携帯電話を耳に当てたまま、小さく話す。
「……うん。遭難者。……今年で六人目。……若い」
六人目。
自分のことだと理解するまでに、少し時間がかかった。
「遭難なんてしてません」
言葉にすると、声が震えた。
彼女はうなずいた。
「そう思うよね」
肩に手が置かれる。
その瞬間、視界が内側から裂けた。光が爆ぜ、音が消え、身体の輪郭が溶けた。
気づくと、わたしはテラスに座っていた。
ジュースのパックを握ったまま。友人三人が笑いながら戻ってくるところだった。
「遅いよ」
「寒すぎ」
誰も何も起きていない顔をしている。
空は冬の青だった。
わたしは無意識にカメラを確認した。
最後に撮ったはずの写真は、記憶と違っていた。中庭の集合写真。そこに、見覚えのない人物が写っている。
白いカーディガン。青いブラウス。黒いサンバイザー。
腕章の黄色だけが、妙に鮮やかだった。
拡大しようとした瞬間、画像は消えた。
帰り道、スターバックスで温かいカップを握りながら、何気なく今日の話をした。
友人は首を傾げる。
「中庭? あそこ、ずっと立入禁止だったよ」
「寒すぎて、誰も外なんか出てないし」
笑いながら言われた言葉に、うまく返事ができなかった。
わたしは、どこで食べたのだろう。
あの緑の空は、どちら側の空だったのか。
今でも冬の空を見ると、ほんの一瞬だけ、色が濁る気がする。
そのとき、自分が戻ってきたのかどうか、わからなくなる。
[出典:344 :本当にあった怖い名無し:2011/02/01(火) 20:22:27 ID:7epRpRpk0]