4歳のある夜、母に命を奪われかけた記憶が、その後の人生に深い影を落としている。
記憶は曖昧だが、光景だけははっきりしている。
夜だった。闇というより、夜そのものだった。静けさと空気の重みがあり、ただ暗いだけではなかった。庭に植えられた大きな木。枝が空を裂くように広がり、昼間でも薄暗いその下で、ロープが一本、垂れていた。
4歳の自分は、まだ言葉も世界も定まっていなかったはずなのに、不思議なほど「これは死ぬやつだ」と理解していた。恐怖は言語を飛び越えるらしい。母はそのロープを、無言で、何の説明もなく、自分の首にかけようとした。冷たく、淡々と、洗濯物を干すような手つきだった。
感情がなかったわけではない。感情を切り離していたのだと思う。ただの狂気ではなく、「この子は消すべきものだ」と判断した顔。表情は思い出せない。ただ、その無が、今もはっきり残っている。
その夜を境に、何かが壊れた。
母は兄には笑っていた。食事も服も兄は新しいもの、自分はお下がり。抱きしめられた記憶はなく、見下ろされる感覚ばかりが残っている。自分にとって母親は、優しさの欠如そのものだった。
それでも、怒鳴り散らす父よりは、母のそばにいたかった。声を荒げずに無視される方が、まだ安全だった。安心とは何かも分からない4歳の心は、ただ静かであることを求めていた。
両親が離婚し、兄と自分は父に引き取られた。当然の流れだと思っていたが、中学生の頃、祖母が漏らした言葉で認識は覆った。
本当は兄だけを父が引き取る予定だった。自分は母が育てるはずだった。しかし母は再婚の邪魔になるから要らないと言った。
怒りも悲しみも、強くは湧かなかった。妙に腑に落ちた。だからあの夜、あの木の下でああなったのだと。あれは事故ではなく、判断だった。
父は暴力的だった。暴走族だった過去は、彼自身の激情を正当化する理由になっていた。手が出なくても、言葉は刃物のように振り回され、家は常に緊張していた。それでも、自分を要らないと言った母より、怒声であっても関心を向けてくる父の方が、まだ人間に見えた。
高校を卒業し、社会に出る直前、兄が何気なく言った。
母とは時々会っていた。離婚後も何度か。
驚きより先に納得が来た。何度かかかってきた無言電話。受話器の向こうで呼吸だけが聞こえ、切れる。あれは兄と会う予定を確認するためだったのだろう。自分に言葉がなかった理由も分かった。存在ごと記憶から消したかったのだ。
就職が決まった頃、兄を通じて母から「会ってもいい」と伝えられたらしい。謝罪でも懇願でもなく、許可のような言葉。その瞬間、ようやく怒りが湧いた。どこかで期待していたのだと思う。あの夜は錯乱していたとか、後悔しているとか、そういう言葉を。
届いたのは、上からの了承だけだった。
あの夜、誰が止めたのか。今でも確信はない。ただ、あの木の下に何かが割り込んできた感覚だけが残っている。後になって考えれば、祖父だったのかもしれないし、そう思わなければ生きてこられなかっただけかもしれない。
祖父が入院していた頃、最後にかけられた言葉がある。
また見舞いに来てくれよ。
怒りも命令もない、ただ静かな声だった。
今でも夢に、あのロープは出てくる。だが、その下に誰かが立っている。顔ははっきりしない。ただ、こちらを見上げている気配だけがある。
何も言わない。引き上げもしない。
それでも、その場にいる限り、自分はまだ落ちていない気がする。
[出典:39 :本当にあった怖い名無し:2024/08/03(土) 13:31:29.40 ID:UY+8jtid0.net]