これは、同僚の田村さんから聞いた話だ。
彼の家系には、代々「男子の名前はある特定の法則に従って付けねばならない」という、奇妙な決まりがあるらしい。その法則を記した古い本が本家に存在し、そこには画数や読み方といった一般的な姓名判断のような項目に加えて、生まれた日時、両親の名前、母方の出身地など、さまざまな要素を考慮した複雑な計算方法が書かれているそうだ。
田村さんが幼い頃からその法則について家族から説明を受けてきたが、どうやら名前を決める過程そのものに神聖な儀式やお祓いがあるわけではないらしい。ただ単純に、本で示された法則に基づいた名前を決め、役所に提出するだけだという。しかし、その名前の法則には恐ろしい一面があった。家の言い伝えによると、「法則に従わない名前を付けた男子は、必ず5歳の誕生日を迎える前後に死ぬ」というのだ。
田村さんの兄も、この「法則」に従って名付けられた。しかし兄は迷信や古い言い伝えといった類をまったく信じない性格で、自分の息子が生まれたとき、頑なに法則を無視して名前を付けてしまった。それを知った両親、特に祖父母は「名前だけは法則に従ってくれ」と必死に懇願したが、兄は一切聞き入れず、「ただの迷信だ」と一笑に付して、独自に考えた名前を役所に届け出た。
田村さんの祖父母は、それこそ裁判に持ち込んででも名前を変えさせようとしたという。祖母にとっては孫の命がかかっていることだったが、周囲の親族からも「変な名前じゃないし、揉めても仕方ない」と止められ、結局そのまま事態は収束した。
それから5年後、兄の長男が5歳の誕生日を迎えてから2週間が過ぎた頃、何の前触れもなく体調を崩し、高熱を出した。最初は風邪のようだと思っていたが、どんな薬を与えても熱は下がらず、病院での検査でも原因がわからない。高熱が続く中、子供は意識を失い、そのまま数日後に息を引き取ってしまった。
葬儀の場で、普段は温厚な祖母が初めて、兄を激しく罵った。「だから、あの名前ではダメだと言ったのに!」と叫び続けた祖母の様子は、まるで別人のようだった。田村さんは、静かに泣き崩れる祖母の姿に恐怖すら覚えたと言う。人一倍愛情深く、いつも家族を優しく包んでいた祖母が、血走った目でわめき散らす姿は、まさに悪夢そのものだった。
この出来事があった後、田村さんは祖父に真相を尋ねた。すると、祖父は一度深く溜息をつき、過去にあったという同じような悲劇を語り始めた。
祖父の弟、つまり田村さんの大叔父は、かつて家出をしていたことがあった。数年後、大叔父は三人の幼い息子を連れて帰郷したのだが、その理由は大叔父の妻が失踪し、ひとりで子供たちを育てられなくなったためだった。帰郷した当時、大叔父の息子たちは4歳、3歳、そして2歳。全員が年子の男児で、しかもいずれも法則に従わない名前が付けられていた。
祖父と祖母は、大叔父を見限り、幼い三人の男の子たちを引き取り、実の息子同然に愛情を注いで育てた。だが翌年から、悲劇が始まる。まず4歳だった長男が、5歳の誕生日を迎えて間もなく原因不明の高熱に襲われ、程なくして亡くなった。その翌年には、二番目の子も同じ運命を辿った。医師を呼んでも、祈祷師に頼んでも、いかなる方法を試しても何も変わらなかった。そして最後の年、3番目の息子の誕生日が近づくと、祖母はお百度参りを続け、必死で神にすがったという。しかし、全ては無駄だった。三人の男の子たちは、まるで「5歳の呪い」を背負わされたかのように命を奪われてしまった。
最愛の幼子たちを失った祖母は、ショックのあまり一時精神を病み、故郷に戻って静養した。ようやく立ち直り、元の生活に戻る頃には、田村さんの父が生まれていた。祖父母は、自分たちの経験を絶対に繰り返すまいと、田村さんの父の名を決めるときは、他のどの命名よりも慎重に、そして恐怖に似た執念を持って名前の画数や法則を厳守したという。
その後も田村さんの家族では、男子の命名に関して法則が厳守されてきた。その理由は祖父母の代からも語り継がれたものの、肝心の「なぜ」という部分は分からない。田村さんが祖父にその点を尋ねたとき、祖父はこう呟いたそうだ。「この法則に従って名前を付けることで、何か得体の知れない存在から家族を守っているのかもしれない」と。
田村さんもまた、「名前の呪い」と呼ばれるものについて幼い頃から漠然と聞かされてはいたものの、それを真剣に考えたことはなかった。長男の悲劇も、自分が学生で家を離れて暮らしていたため、身近に感じることがなく、兄とその妻も軽く考えていたのではないかと今になって思うのだという。祖父から過去の事件をもっと早く聞かされていれば、兄も安易に法則を無視しなかったかもしれない。
田村さんがその疑問を祖父に投げかけたところ、祖父は顔を曇らせて「祖母には三人の幼子の話は禁句だ」と話した。あの悲劇以来、祖母は三人の話題には触れないようになったという。療養から戻った直後、祖父は祖母の心の負担を減らそうと、亡くなった子供たちの遺品をすべて処分した。それでも祖母は毎年、墓参りには欠かさず通っていたそうだ。
田村さんは、今では時折、祖母の話を静かに反芻する。祖母が5歳を迎えられなかった三人の子供たちに手を合わせる姿が、頭から離れないという。
不思議な法則に従わない名を背負った者は、何かの呪いに囚われているかのように、定められた時を超えられない。この家の名前の「法則」にまつわる謎は、いまだに何一つ解明されていないままだ。