ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 r+ 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

鏡の庭 r+2,160

更新日:

Sponsord Link

死んだ祖父の話だ。

いや、あれが本当に「死んだ」と言えるのかは、正直、俺にもわからない。

八十四歳で息を引き取った。
戦後の焼け跡から這い上がった世代で、背中には見事な不動明王の入れ墨が彫られていた。
あの時代の人間らしい、黙って不器用なまま貫き通すような頑固者だったが、
老いてからは半分壊れたようになって、家の一室で寝たり起きたりの生活になった。

介護が大変だったかと言えば、そうでもない。
暴れるでもなく、夜中に徘徊するわけでもない。トイレも自分で行っていた。
ただ、徐々に食が細くなって、次第に顔色も痩せた布みたいになっていった。
食事の世話は、俺の嫁がやってくれていた。あいつには頭が上がらない。

それがある日。忘れもしない、春の朝だ。
まだ冷たい光の中、台所でパンを焼いていたら、
パタン、と襖の音がして、祖父が背筋をしゃんと伸ばして立っていた。

まるで何年か前の元気だった頃に戻ったみたいに、ぴんとした背筋で歩いてきて、
「鏡を買ってきてくれ」
とだけ言った。

あまりに唐突で、一瞬、意味がつかめなかった。

「部屋に鏡が欲しいのか?鏡台持ってこうか?」と訊いても、
首を振って「庭に据えるんだ」と。

庭に鏡……?

言ってる意味はわからなかったが、その目は妙に澄んでいて、拒否する気にはならなかった。
そして続けて、ぽつりと呟いた。

「あれが……入ってこようとしてる。ひっ返させねばならん」

意味はわからない。けれどその声は、冗談のようには聞こえなかった。
「“あれ”って何だ?」と訊いても、祖父は何も言わず、ただじっと外を見ていた。

仕方がないので、その日の帰り、近所のホームセンターで五十センチ四方の鏡を買った。
祖父が望んだ通り、シンプルな壁掛け用のやつだ。

渡すと、祖父はそれを抱えて庭に出ようとする。
夜だったし、転ばれても困るので、俺が手伝って一緒に庭に出た。

うちは田舎の家で、庭はやけに広い。
敷石が門まで数メートル続いていて、その両側には松やツツジ、季節の草花が植えられている。
その中で祖父は、敷石を外れた場所──ちょうど一階のベランダの前を指さして「ここだ」と言った。

言われたとおり、そこに穴を掘り、ゴロタ石で支えて鏡を立てた。
ガーデニングにはうるさい嫁が眉をしかめていたが、祖父は満足そうに鏡をじっと覗き込み、
口元に笑みを浮かべて、何も言わずに家に戻った。

それからというもの、祖父の日課がひとつ増えた。
夕方になると、庭に出て鏡をボロ布で磨く。
雨ざらしの鏡は、当然水滴で曇る。
それを祖父は律儀に拭くのだ。
寒い日も、風の強い日も、決して欠かさなかった。

数日後、また新たな要求が出た。
「常夜灯を買ってきてくれ」と。
鏡の前を照らすスポットライトのようなものが欲しいと。

夜でも鏡に何かが映るようにしたい、と言うのだ。
「何が映るって言うんだ」と思ったが、祖父の目があまりに真剣なので、
また俺はホームセンターに行って、簡易の照明を買ってきた。

その日から、鏡の前は夜になると淡く照らされるようになった。
それでも特に何かが起こるわけではなく、俺たちは日常を続けていた。

季節が巡って、祖父はとうとう寝たきりになった。
病院に入ることになり、そのまま意識が混濁していった。

いよいよ臨終、というとき。
あの頑固な祖父が、酸素マスクを自分で外し、最後の力をふりしぼって俺に言った。

「鏡を……俺の四十九日が終わるまで……動かすなよ」

それが祖父の最期の言葉だった。

葬式が終わり、四十九日が過ぎた。
そろそろ鏡を片づけようかと庭に出ようとしたとき、嫁が俺の袖を引いた。

「ちょっと、あの鏡、本当に片づけて大丈夫かな……」

「何だよ、急に」

「この前の夜ね、十時くらいに外に出たの。洗濯物取り込み忘れてて。
そしたら……あの鏡の前に、女の人がいたのよ」

「誰だ?」

「見たことない人……うずくまったまま、這うように鏡の前に来たの。
ボロボロの服で、頭にスカーフ巻いてて、なんか、時代劇みたいな……」

その女は、鏡の前でぴたりと止まり、鏡を覗き込んだ瞬間、
「ヒッ」と短く悲鳴をあげて、そのまま、ふっと、消えたのだという。

俺は冗談だと思ったが、嫁の顔は真っ青だった。
「追い返されたように見えた」と彼女は言った。

そんなことがあって、鏡はすぐには片づけられず、さらにしばらく庭に残された。
けれど一ヵ月、何も起こらなかった。

ようやく撤去する決心をして、鏡を裏返すと──
台座の石の下から、古い五円玉がひとつ出てきた。
妙に黒ずんで、腐ったような匂いがした。

祖父の若い頃の写真を見ようと思って、古いアルバムを引っ張り出してみたが、
一枚もなかった。
親戚に訊いても、「昔のことはあまり話さなかったねえ」と言うだけだった。

嫁が言うには、庭に来た女は「笠置シヅ子みたいな格好だった」と。
それはつまり、戦後間もない頃の服装ということだ。
祖父が青春を過ごした、あの混沌の時代。

だけど──なぜだろう。
あの鏡を片づけた日の夜。
窓の外で、何かがふと動いたような気がして、カーテンをそっとめくって覗いたとき──
鏡のあった場所の土が、妙に柔らかく盛り上がっているように見えた。

翌朝、スコップでそこを少し掘ってみたが、何も出なかった。
ただ、指先に何かざらりとしたものが触れた気がして、それきり、やめた。

もう二度と、鏡は置かない。
たとえ誰が望んだとしても。

[出典:54 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/09/12(火) 18:09:06.28 ID:kaCSdF3u0.net]

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, r+, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.