トオルは山岳部所属。
101 :2006/12/08(金) 02:56:33.64 ID:EAeQzUcW0
友人三人と山登りに来たが、仲間たちとはぐれてしまう。
最悪なことに天気は崩れ、やがて暴風雨となった。
トオルは奇跡的に仲間と再会するが、下山は無理なので、途中で見つけた粗末な山小屋に避難することにした。
山小屋は十二畳くらいの広さだ。
真正面にトイレのドアがあり、入り口のドアの脇に大きなガラス窓がはまっている。
部屋の真ん中にぶら下がっている大きな裸電球のほか、部屋には何もない。
やがて夜になったが、嵐はますますひどくなっているようで、とても外には出られない。
どうやらここで一晩を過ごすしかないようだ。
トオルの服はびしょ濡れだった。
小屋はすきま風がひどく、ひゅうひゅうと冷たい風が流れてくる。
夜が完全にふけると恐ろしいほど気温が下がった。
このまま寝たら風邪をひくだろう。肺炎を誘発したり、最悪死んでしまうかもしれない。
トオルはガタガタ震えながら、必死で眠るまいと努力する。
と、幸一がある提案をする。
部屋の四隅に一人ずつが寝る。
一人が右隣りの隅へ歩いていき、そこに寝ている者を起こす。
起こされた者はまた右隣りの者を起こしにいく。
そうすると必ず誰かが目を覚ましていることになるのだ。
……電気が消された。
だがもともとトオルはひどく怖がりなので、疲れているのに眠れない。
余計なことを考えているうち誰かに身体を揺らされた。
左隣の弘明だろう。トオルは大輔を起こしにいく。
それを二度ほど繰り返してから、トオルはある事実に気づいて絶叫する。
このローテーションは五人いないと無理だ。
部屋の四隅に一人づついる。
一人目が二人目の場所へ移動し、二人目が三人目の場所へ移動し、三人目が四人目の場所へ移動する。
四人目が一人目の場所へ行ったときには、一人目は二人目の場所へずれているから、そこは空白でなければならない筈だ……
トオルは幽霊がいる!幽霊がいる!と言って大騒ぎを始める。
ところが、仲間は落ち着いたものだった。幽霊なんかはいないと相手にしようとしない。
そのうちに寒さのせいだろう「トイレに行きたい」と幸一が言うと、その言葉で尿意をもよおされたか、三人がドアをあけ、互いに譲り合いながら用を足す。
トオルはひとり離れて部屋の隅で考えを巡らせる。
自分を起こしたのは弘明だったのだろうか?あるいは、彼が起こしたのは本当に大輔か?
肉の感触はあった。だが幽霊はいなくてはならない。
そう考えるうち、トオルは、このうちの誰かが幽霊なのではないか……と思い始める。
実はもう死んでいて……
トオルは身を震わせる。
そういえば自分は仲間とはぐれていたのだ。ばらばらになった四人を探し出したのは大輔だ。
だがあの嵐の中、そんなことが起こりうるだろうか?
四人が再び合流するなどという可能性は……三人ならまだしも。
四人は電球をつけて、車座になって座る。黄色い明かりが四人の顔を照らし出す。
しばらくの沈黙を破って幸一が口を開く。
「この中に……死んだ人間がいるな?」
弘明が大笑いを始める。馬鹿げた話だと一蹴して相手にしようとしない。
だが幸一は平然として、そう言うのはお前が死人だからだろう、と言う。
弘明が腹を立てる。
温厚な大輔がまあまあと二人をなだめる。
嵐の中、自分が見つけたのは、間違いなく生きている三人だったと断言する。
トオルがはっと顔を上げる。
三人を見つけたのは必ず大輔だった……あの状況で?
そんなことが普通の人間にできるだろうか。
可能だったのは、大輔がもう死んでいるからではないのか……
そう考え出すと、誰もが怪しい。
冷笑的な弘明は怪しい。変に落ち着いている幸一も怪しい。大輔も怪しい。
トオルは言う。
何とか幽霊であることを……あるいは、ないことを…… 証明する手段はないものかと。
幽霊は手が冷たい筈だ、と大輔が言う。
幸一は鼻で笑う。
全員の手足が冷え切っているさ、と。
お互いに触りあったがみな氷のように冷たい。
顔色を見ようにも、黄色い光の下だし、だいいち光がもっと強くても、全員の顔色は決まって青白いだろう。
肉の感触は当てにならない。
いま握った手は明らかに弾力があったし、それはさっきゆり起こしたとき、あるいはゆり起こされたときに明白な筈だった。
それ以外に証明の方法は?
大輔がぼそりと言う。
「そう言えば、死んだ人間は、鏡に写らないっていうよね?」
それを聞いて弘明がけたけた笑う。幸一が彼をにらみつける。
「たしか、トイレに小さな鏡があったな」
と幸一。
「いいぜ俺は。写るかどうか確かめても」
苛立った口調で弘明が言う。
「だいたい、お前らはみんな怪しいんだ。俺は、俺が生身の人間だってことを知ってる。俺は幽霊じゃない。確かなのはそれだけだ」
幸一が鼻で笑う。
「どうだか」
二人がつかみあいの喧嘩を始める。
仲介に入ったトオルを、弘明が弾き飛ばす。
「大体な!お前が一番怪しいんだよ!」
トオルはぞっとする。三人の視線が、いっせいにトオルの身に注がれる。
「そうだ」
幸一が落ち着いた声で言う。
「一番怪しいのはトオルだ」
「何で?」
声が震える。
「何でそんなことを?」
「さっきみんながトイレに行った……遅れて一人で入ったのはお前だ」
「それが……?」
唾を飲み込む。
「お前は誰とも一緒に入ろうとしなかった。何故だ?トイレには鏡があるからだ。お前は、お前の姿が鏡に写らないことを、他の誰にも知られたくなかったんだ」
「そんな馬鹿な!」
トオルは笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「じゃあ何で、一緒に行かなかった?」
「……狭いし、考えごとを……」
「怖くなかったのか?俺だって怖かったのに」
と弘明。
「そうだ……人一倍怖がりの君がね」
と大輔。
三人の目が、トオルに注がれていた。
嘘だ、とトオルは思った。
自分は生きてる……
それは自分が知っている。……だが本当か……?
本当に自分は生きているのだろうか…?
仲間とはぐれたときのことを考えた。
大輔が見つけてくれるまで自分は何をしていたのか?覚えがない。
自分は死ぬのだ、と絶望にかられなかったか?
その時、本当に死んでいたのではないか?自分では気づかないだけで……
崖から落ちるか、あるいは雷に打たれて、死んでいるのではないか?
この手の冷たさは、気温のせいか?
ずっと肌寒いのは何故だ?
お前は自分が生きていると、本当に言い切れるのか……?
どーんと雷がなり、後ろの窓ガラスがびりびりと震えた。
三人の凍るような視線に耐えられず、トオルは振り返った。
電球の明かりを反射して、窓ガラスは部屋全体を写し出していた。
鏡のように。そしてトオルは絶叫した。
三人の目線の意味に気づいたから。
凍るような視線……
ガラスに写っていたのは……
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トオルだけだった……
(了)