近所のおじいさんから聞いた話。幼い頃の記憶だが、鮮明に覚えている。
そのおじいさんは若い頃、一度事業に失敗し、実家の田舎に帰ったのだという。その家は山を持っており、古くから伝わる「謂れ」がいくつかあったらしい。しかし、おじいさん自身は上京して長らく都会暮らしをしていたため、それらの話には疎かった。
ある日、気晴らしに山を散歩していた時のこと。ふと茂みの中に動く気配を感じ、覗き込むと、一羽の兎が目に入った。ただ、それは普通の兎とはどこか違っていた。耳が長いという点を除けば、毛もなく、目も開いていない、不気味な姿。生まれたばかりの子兎のような外見なのに、その体は成獣と同じくらい大きかった。
じっと見ると、その兎は怯えて動けないでいた。よく見ると、後ろ脚が細い草のようなもので絡め取られている。罠と呼ぶにはあまりにも粗末なそれを、特に深い考えもなく外してやったそうだ。そして、何を思ったのか冗談交じりに「恩返しでもしてくれよ」と呟いた瞬間、兎の醜悪な姿に得体の知れない恐怖が込み上げ、慌てて山を下りたのだという。
家に戻って家族に話すと、居合わせた分家の親戚たちが急に険しい顔になり、こう言ったのだ。「すぐにここを出て行け」と。なぜそんなことを言われたのか理解できず、若かった彼は憤慨したが、反論の余地も与えられず、新妻とともに実家を追い出されてしまった。
その後、彼の生活は奇妙に暗転した。妻は三度も流産し、結局二人の間に子供は生まれなかった。「あれは山の神への生け贄だったのだろう」と、後になってそう悟ったという。
しかし、最も恐ろしいのはその後だった。腹立ち紛れに、再び山に入った時のこと。兎を見つけた場所に立つと、不意に頭上から何かの気配がする。見上げると、錆びた斧が自分めがけて落ちてきた。間一髪で飛び退いたものの、あと少し遅れていれば命はなかっただろう。
「きっと、あの時に自分の腕か脚を捧げていれば、妻との間に子供を授かることができたのだろう」と、彼はぽつりと漏らした。その言葉を聞いた時、ひどく胸がざわついたのを覚えている。
おじいさんは良い人だったが、禁忌を犯したことで、報いを受けざるを得なかったのだろう。それが怖くて、そして哀しかった。
[出典:808 :あなたのうしろに名無しさんが…:04/04/30 21:32 ID:ck6RUsKv]