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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

走り来るもの r+5,918

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あれは高知に住んで五年目のある晩のことだった。

夜の空気はやけに冷えていて、夏の残り香と秋の気配が入り混じる、気持ちの落ち着かない夜だったと記憶している。

その夜、友人と二人で居酒屋に入り、軽く飲んで飯を食った。酔いはほどほどで、気分は悪くなかった。くだらない話をしながら笑って、終電を気にするような時間でもなかったから「またな」と別れたのは十一時を回った頃だろう。

俺の車に彼の作業着を忘れたと電話がかかってきたのは、別れてから五分も経たないうちだった。
「取りに行くわ」
声は少し慌てていたが、それ以上の違和感はなかった。俺の家は国道から一本脇道に入った住宅街にある。街灯はまばらで、夜はほとんど人通りがない。彼が来るのにそう時間はかからないはずだと思い、俺は外で煙草を吸いながら待っていた。

車のヘッドライトが角を曲がって現れ、停まったときの彼の表情を、俺はいまでも鮮明に思い出せる。笑っているようで、しかし目だけがぎょろりと泳いでいた。

「なんか変なのいたんだよ」

第一声がそれだった。
酔っぱらいでも見たのか、と軽く返したが、彼は真剣な顔で首を振る。

「いや、あれは酔っぱらいじゃねえ。薬やってんだと思う」

詳しく聞くと、腕をめちゃくちゃに振り回しながら奇声を発し、ドブに転げ落ちながらも同じところをぐるぐる走っていた、という。
五年住んでいてそんな人間は見たことがなかった。普段なら歌を歌いながら帰る酔っ払いじじいが一人いるくらいだ。

彼の話を半信半疑で聞きながら、俺は少しばかり興味が湧いた。大きなドブに落ちて動けなくなっていたら、さすがに危ない。だから二人で車を出して現場を見に行くことにしたのだ。

その路地に着いたとき、そこには誰もいなかった。
「幽霊でも見たんじゃねえのか」
冗談半分でそう言いながら、俺たちはドブを覗き込んだ。スマホのライトで照らすと、水の底に丸太のような影が見え、思わず二人で声をあげて飛び退いた。

「なんだよ、丸太かよ」
笑い合いながらも、背筋に冷たいものが残った。

その後も別の路地に回ったが、やはり何もいない。
「明日も仕事あるし、帰るか」
空き地で車を回したときだった。

「来た来た来た来た!後ろ!」

助手席から叫ぶ声。慌ててミラーを見ると、全速力で追いかけてくる人影があった。腕をむちゃくちゃに振り回し、叫び声とも呻き声ともつかない音を発しながら、確実にこちらに向かってくる。

恐怖が爆発した。俺たちは叫びながら国道へ出ようとしたが、赤信号に阻まれて脇道へ逸れ、再び空き地に車を滑り込ませてエンジンを切った。

心臓が暴れていた。汗が冷たく背中を流れ、息を潜めるしかなかった。
そのとき、あの男が現れた。暗闇のなか、肩で大きく呼吸しながら、何かを探すようにきょろきょろしている。その姿を見ただけで、俺は「あれは酔っぱらいじゃない」と確信した。

数秒が何分にも感じられた。やがて国道の信号が青に変わり、俺たちは息を合わせてエンジンをかけ、国道沿いのTSUTAYAに逃げ込んだ。

蛍光灯の明るさが、まるで救いの光のように思えた。
「やべえな……」
「歩きじゃなくてよかった」
笑いながらも声は震えていた。

コンビニで飲み物を買って少し時間を置き、再び家へ戻る道を走った。だが、心のどこかでまだ終わっていない気がしていた。

そして、アパートの前まで来たとき――またあの人影が走ってくるのが見えた。
「バレたらヤバい!」
叫んで車をバックさせ、別の空き地に逃げ込む。心臓が爆発しそうで、笑いがこみ上げるのに、指先は震え続けていた。

今度は完全に車を覚えられていたらしい。男は一直線にこちらへ走ってきて、車のすぐ後ろに立った。そして……。

立ちションを始めた。
「は……?」
俺も友人も声を失った。暗闇のなか、男はゴニョゴニョと何かを呟きながら小便を垂れ、終わると窓に顔を近づけ、ハアハアと曇らせながら何かを書きつけて走り去った。

動けなかった。五分以上は固まっていたと思う。やっと外に出て窓を見ると、車のナンバーと並べて、漢字で『覚』の一文字が指でなぞられていた。

鳥肌が一気に立った。
「覚える、ってことか……?」

その瞬間、自分の家が知られている気がして、背筋が凍りついた。

結局その夜は友人に家まで送ってもらい、チェーンロックをかけ、窓を閉め切って寝た。眠れるはずもなかった。頭のなかで、何度もあの『覚』の文字が浮かんでは消えた。

五年住んでいて初めての出来事だった。噂には聞いていた。周囲には右寄りの人間や、引退した組長も住んでいると。薬物関係のにおいが濃厚なのかもしれない。

それでも、あの夜の恐怖を理屈で説明できる気はしない。
追いかけてきた男の表情、窓に残された曇り、耳に残る呼吸音。あのすべては「ただの薬中」では片付けられない何かを孕んでいた。

夜道を歩けば、またあの腕を振り回す姿に遭遇するのではないか。
今でも暗い路地を歩くとき、視線の端で影が動いた気がすると、心臓が跳ねる。

「本当に怖いのは幽霊じゃなくて人間だ」
あの夜ほど、その言葉を実感したことはない。

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