中編 未解決事件

【未解決殺人事件】佐賀女性7人連続殺人事件【水曜日の絞殺魔事件・ゆっくり朗読】13k

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佐賀県女性七人連続殺人事件とは

1975年から1989年(昭和五十年から平成元年)までに佐賀県で七人の女性が殺された事件。

その内、六人が水曜日に失踪している事から「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれる。

五人目から七人目の犠牲者である三人の女性が1989年に遺体で発見された殺人事件は、訴追され「北方事件(きたがたじけん)」と呼ばれている。

しかし、無罪判決が出ており、未解決事件となった。

なお、一件目から四件目に関しては、時効が成立している。

概観

1975年から1989年までの十四年間に、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20キロの地域で七件もの女性の殺人事件が発生した事件の特徴として、以下の点があげられている。

・被害者女性の失踪が七件中六件、水曜に集中している
・夕方から夜にかけて失踪している
・白骨化して死因が不明な二件を除いた五件の死因が絞殺であった

内四件は捜査機関が犯人を起訴できずに公訴時効が成立。残り三件は起訴されたが、無罪が確定し、七件とも未解決事件となった。

※北茂安町は、中原町とともに2005年3月に三根町と合併し、みやき町となっている。また、北方町も2006年3月1日に武雄市と合併された。

 

七人の女性の失踪・発見の詳細

第一の事件

1975年8月27日(水曜日)
北方町に住む当時中学一年生であった山崎十三子さんが、一人で留守番していた自宅から失踪。いつも履いている靴が残されたままとなっていた。

1980年6月27日
に白石町須古小学校プール横トイレの便槽の中で遺体で発見された。遺体の上には遺体を隠そうと丸い石が百個ほど積んであった。

第二の事件

1980年4月12日(土曜日)
杵島郡大町町に住む当時二十歳のHさんが一人で留守番中の自宅から失踪。
抵抗した痕跡も見られず、顔見知りによる犯行とも考えられた。

三月末に買った時計が現場からなくなっている。また、これまで二度自殺未遂をしており、日頃から二十歳の誕生日に自殺すると漏らしていた。

失踪直後の4月16日、山崎さんの父親宛てに『娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ』と書かれた手紙が届いた。

同じ頃には『人捜しのテレビに出るな』という脅迫電話もあったという。

1980年6月24日
衛生会社のし尿の汲み取り作業中に、第一の事件と同じ白石町須古小学校の北側校舎トイレ便槽から遺体で発見された。

第三の事件

1981年10月7日(水曜日)
杵島郡白石町に住む縫製工場の従業員池上千鶴子さん(当時二十七歳)が、近くの縫製工場での勤務を終えて、午後五時半頃にスーパーで買い物をした後に失踪。

最後に目撃されたのはスーパーの駐車場で、「乗用車に乗った三十代の男性と親しげに話しているところを見た」と同僚が証言した。

1981年10月21日
40km離れた三養其郡中原町の空き地で発見。電気コードによる絞殺、性的暴行された跡はなかった。

第四の事件

1982年2月17日(水曜日)
北茂安町の小学五年生西山久美ちゃん(当時十一歳)が、下校途中に何者かに首を絞められ殺害され、翌日午前11時半頃、北茂安中学体育館北側の町道脇のミカン畑の中で、ランドセルを背負ったままの久美ちゃんの遺体が発見された。

遺体はうつぶせで、下半身は裸、首にはストッキングが巻きつけられてあった。

なお、久美ちゃんが何者かに殺される直前、車に乗った怪しい男が何人にも目撃されていた。

第五の事件

1987年7月8日(水曜日)
武雄市の温泉街の老舗割烹従業員藤瀬澄子さん(当時四十八歳)が失踪。

仕事終わりに同僚と一緒に割烹近くのスナックへ行き、一時間ほど楽しく過ごした。

店を出たあと澄子さんは「知っている人がよく来る店があるから、もう一軒行こう」と誘ったが、同僚の女性は電車の時間があるからと断ったためその場で別れ、自宅までの1kmの間で行方不明となり、1989年1月27日に北方町大峠の崖下で白骨化した遺体で発見された。

第六の事件

1988年12月7日(水曜日)
北方町の主婦中島清美さん(当時五十歳)がミニバレーボールの練習があるからと家族に言い残して外出したあと行方不明。

1989年1月27日に北方町大峠の崖下で遺体で発見された。

失踪から一週間後の昼ごろ、清美さんの自宅に中年男から謎の電話があった。

第七の事件

1989年1月25日(水曜日)
北方町の会社員吉野タツ代さん(当時三十七歳)が失踪。1989年1989年1月27日北方町大峠の崖下で遺体で発見された。

 

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北方事件

1989年1月27日午後5時頃、遺体発見者の女性Aさん(五十五歳)は夫が運転する車で用事を済ませて自宅に帰る途中。

すっかり、日も暮れた午後5時50分ごろ、暗い山道を抜けて北方町の大峠と呼ばれる地区に入ったところで、仏壇に供えるのに丁度いいと思ったトウゴシュの花を見つけトウゴシュの枝を拾いに車を降りた。

約2mのその枝は何かで切り落とされているようだった。

ついでに、道沿いに咲く花を摘んでいたAさんは、ふと崖下に目をやると、何か白いものを見つけた。なんだろうと思い、崖を降りその白いものに3mまで近づいたとき、それが女性の死体であることに気づいた。

110番通報で、警察が駆けつけ捜査が始まった。
すると、その白い服を着た女性の死体からわずか2mのところに上半身が腐乱状態になっている女性の死体を発見した。

さらにその1メートルほどのところで白骨死体を発見。三人の遺体のそばにはシャツやセーター、肌着、タオルなどが木の枝に通してぶら下がっていた。

また、Aさんが見つけたトウゴシュの枝はノコギリで切られたような跡があり、それは死体遺棄現場を指し示すか のように丁度、真上に置かれていた。

被害者の物と思われる遺留品が遺体発見現場の周囲2キロ圏内に点々と捨てられていた。

1989年11月、別件で拘置されていた松江輝彦さん(当時二十六歳)が任意の取調べに対し犯行を認める上申書を書いたが、すぐに否認に転じた。

2002年6月12日になって佐賀県警は鹿児島刑務所に服役中の松江さんを吉野さんの殺害容疑で逮捕した(藤瀬さん殺害容疑の逮捕は7月2日、中島さん殺害容疑の逮捕は7月9日)

7月7日に吉野さん殺人事件の公訴時効成立約六時間前に起訴。
同年10月22日に公判が開始され、検察側は死刑を求刑したが、2005年4月10日、佐賀地裁で行なわれた公判で、物証の乏しさや上申書の証拠価値の無さ(限度を越えた取調べの上で担当者の誘導により作成されたと認定)などにより、松江さんに無罪が言い渡された。

その後、検察側が控訴していたが、2007年3月19日に福岡高等裁判所にて一審の佐賀地方裁判所の判決と同様に無罪の判決。

二審では検察側が新たに提出したミトコンドリアDNAの鑑定結果を提出するも、被告を有罪とする根拠とはなり得なかった。

なお、判決では長期間に渡って被疑者を拘束した上での取り調べなどの佐賀県警察の杜撰な捜査が指弾された。

3月29日に福岡高等検察庁(福岡高検)が最高検察庁(最高検)と協議した結果、二審の判決には上告に必要とされるであろう重大な事実誤認ないしは判例違反が見あたらない上に原判決を覆すのに必要とされる物証も乏しいことから上告を断念。

4月2日の上告期限を過ぎても上告せず、被告の無罪が確定した。これによって、北方事件との関連が疑われている四つの事件も含めて時効が成立し、実質的には未解決事件となった。

又、二審の判決でも指摘されたような佐賀県警や検察の杜撰な捜査や起訴の有り様も批判された。

(了)

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