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五感侵食怪談集『残感』:五感が壊れるとき、怪異は始まる【Kindle出版】

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五感が、ほんの少しだけ現実とずれる。

見えたはずのものが、そこからは見えない。
聞こえた音に、その動作が存在しない。
触れていないはずなのに、感触だけが残る。
嗅いだことのない匂いを、なぜか知っている。
口に入れたものと、味の属する場所が合わない。

本書は、嗅覚・聴覚・触覚・視覚・味覚をテーマにした、全二十五話の怪談・反転ショートショート集です。

幽霊の正体を暴く話ではありません。
派手な血や呪いで驚かせる話でもありません。

扱っているのは、日常の中にある小さな違和感です。

消臭剤の減り方。
靴音のテンポ。
手のひらに残る感触。
窓に映る角度。
舌に残った味。

ひとつひとつは、見過ごせるほど小さい。
けれど、考え直すほどに説明がつかなくなる。

本書の特徴は、ボリュームのある解説です。

怪談は、正体を明かせば分かりやすくなります。
しかし、分かりやすくなった瞬間に、怖さは閉じてしまいます。

本書では、あえて正体を断定しません。
その代わりに、「何がずれていたのか」を丁寧に読み解きます。

なぜこの話は怖いのか。
どの感覚の前提が崩れているのか。
どこで日常が反転しているのか。
なぜ正体を明かさない方が怖さが残るのか。

解説では、怪異の答えを出すのではなく、恐怖の構造を分解します。

たとえば、ある話では「匂いの正体」ではなく「匂いを消そうとする行為の移動」が怖さの核になります。
別の話では、「何が見えたか」ではなく「見えていたはずのものを誰も見ていなかったこと」が怪異になります。
また別の話では、「何を食べたか」ではなく「味だけが別の場所に属していること」が問題になります。

つまり本書は、怪談を読むだけで終わる本ではありません。

読んだあとに、その怖さがどこから生まれたのかをもう一度たどる本です。

怪談が好きな方はもちろん、短編の構造、反転の作り方、五感を使った物語表現に関心がある方にも向いています。

怖い話を読みたい。
でも、ただ驚くだけでは物足りない。
読み終えたあとに、なぜ怖かったのかまで味わいたい。

そんな読者に向けた一冊です。

収録内容

・嗅覚怪談 五話
・聴覚怪談 五話
・触覚怪談 五話
・視覚怪談 五話
・味覚怪談 五話
・全二十五話それぞれに、詳細な巻末解説を収録

正体は明かされない。
それでも、何が壊れていたのかは分かる。

五感のどこかが少しだけ信用できなくなる、静かな怪談集です。

五感侵食怪談集『残感』ができるまで
― 編集後記 ―

編集を担当した、ササハラセイスケと申します。

セイスケクリエイティブラボから、新しい怪談集を出しました。五感侵食怪談集『残感』。小谷地市朗と志那羽岩子、二人の書き手による全二十五話の短編集です。

この記事は、その編集後記です。本の紹介でもあります。ただ、書いているうちに、紹介とは少し違うものになってしまいました。なぜそうなったかは、最後まで読んでいただければ分かると思います。

記事の途中に、収録作のうち三話を、そのまま載せました。無料で読めます。怖いかどうかは、あなたの感覚で確かめてください。

二人の書き手

『残感』は、嗅覚、聴覚、触覚、視覚、味覚の五つに分けて、それぞれ五話ずつ収めています。

最初に企画を持ってきたのは小谷地でした。「怖いものを見た、という話はもう飽きた」と彼は言いました。「見えたから怖いんじゃない。見えるはずのものが見えていなかった。そっちのほうが怖い」

その場にいた志那羽が、静かにうなずきました。「匂いも同じです。何かが匂うんじゃなくて、自分が通った場所にだけ匂いが残る。そういうのが、いちばん嫌です」

二人は、この日から何度も打ち合わせを重ねました。私も同席しました。会議室にこもって、一話ずつ、どこをどうずらせば人は本当に怖がるのか、それを詰めていきました。

打ち合わせは、いつも長くなりました。一話を決めるのに、何時間もかかりました。会議室を出るころには、いつも外が暗くなっていました。

【無料公開・其の一】跡(嗅覚)

まずは、志那羽の書いた一話から。雨の日の自治会館で、備品を確認する。それだけの話です。

雨の日に、自治会館の備品確認に来た。

参加者は四人だった。古い行事用品の在庫を確認し、使えるものと廃棄するものを仕分けする作業だった。館内は三つに分かれていた。倉庫、会議室、廊下の奥の物置。それぞれを手分けして確認することになった。

私は最初に倉庫に入った。棚に雨合羽が束ねて置かれており、古い段ボールが積まれていた。金属製の脚立が壁に立てかけてあった。湿ったビニールと、古い金属が混ざったような匂いがした。倉庫の備品の匂いだと思った。在庫を確認してメモを取り、倉庫を出た。

廊下に出ると、同じ匂いがした。

廊下に雨合羽も脚立もなかった。空調の吹き出し口が天井にあるだけだった。倉庫から匂いが漏れているのかと思い、先に会議室を確認していた吉田さんに聞いた。

「廊下、何か匂いませんか」

「そういえば、今匂いますね。さっきはしなかったのに」

私が会議室に移動すると、同じ匂いがした。吉田さんは首を傾けた。

「さっきここにいたとき、この匂いはしなかったですよ」

私は上着と荷物を会議室の椅子に置いて、一人で廊下の奥の物置へ向かった。

物置の前で、松本さんが出てきた。

「今確認してきたところです。特に匂いはなかったですよ」

私が物置に入ると、湿ったビニールと古い金属の匂いがした。棚には古い提灯と折りたたみテーブルがあるだけで、雨合羽も段ボールも金属道具もなかった。

しばらくして松本さんが物置を覗いた。

「あれ、匂いますね。さっきはしなかったのに」

私は会議室に戻った。上着と荷物は、置いたままだった。

匂いは、私が通った場所にだけ残っていた。

編集中のこと

ここから先は、書くかどうか迷いました。

いま読んでいただいた「跡」を校正していたときのことです。

私はその原稿を、自宅の仕事部屋で読んでいました。読み終えて、廊下に出ました。台所で水を飲んで、また部屋に戻りました。

部屋に、湿ったビニールのような匂いがしました。

倉庫の匂いだ、と最初は思いました。けれど、うちには倉庫はありません。窓は閉まっていました。外は晴れていました。

匂いは、私が部屋を出て戻ってきた後から、しはじめました。

私が通った場所にだけ、と志那羽は書いていました。原稿の通りでした。

偶然だ、と自分に言い聞かせました。怪談を読み込んでいるから、神経が過敏になっているだけだ、と。実際、その日のうちに匂いは消えました。

消えたのですが、次の話で、また別のことが起きました。

【無料公開・其の二】二回(聴覚)

小谷地の書いた、聴覚の一話です。マンションの管理組合の会議。それだけの場面で、ある音が鳴ります。

管理組合の定例会議は、毎月第三水曜日の夜に開かれる。

会議室は共用棟の二階にある六畳ほどの部屋で、長机が二つ向かい合わせに寄せてあった。その日は五人が出席した。議長の田中さんが上座に座り、私は端で議事録を取っていた。

議題は共用部の清掃業者の見直しと、修繕積立金の確認だった。資料が配られ、田中さんが順に説明した。隣の吉村さんは資料に目を落としながらペンを走らせていた。向かいの二人は、一人が湯呑みを右手に持ち、もう一人は机の縁に両手を置いていた。私はノートにペンを当てたまま、田中さんの話を聞いていた。

修繕積立金の説明が終わり、田中さんが「以上です」と言った。

その直後、拍手が鳴った。

パン、パンと、二回。乾いた、はっきりした音だった。長机のあたりから聞こえた。

全員が動きを止めた。私は反射的に周囲を見た。田中さんは資料を両手で持ったままだった。吉村さんはペンを紙に当てた姿勢で止まっていた。向かいの一人は湯呑みを口に近づけたところで、もう片方の手は資料の上にあった。もう一人は、机の縁に両手を置いたままだった。

誰も手を合わせていなかった。

しばらく、誰も動かなかった。田中さんが顔を上げて室内を見回した。吉村さんが廊下側の扉を開けて確認した。廊下に人はいなかった。

「今の、聞こえましたよね」

向かいの一人が言った。全員がうなずいた。

会議は再開されたが、残りの議題は短かった。誰も音の話を続けなかった。

誰も手を動かしていなかった。それでも、二回、鳴った。

二人に確認したこと

私は、二人に聞きました。書いているとき、何かありませんでしたか、と。

小谷地は、少し笑いました。「ありましたよ。今の『二回』を書き終えた夜です」

「書き終えて、保存して、椅子から立ち上がったんです」と小谷地は言いました。「そのとき、後ろで、二回」

彼はそこで言葉を止めました。それ以上は言いませんでした。

志那羽のほうは、もっと短く答えました。

「最後の話を書いた日、夕飯の味がしませんでした。何を食べても、別のものの味がしました。次の日には戻りました」

二人とも、それを怖がってはいませんでした。むしろ、確かめるような目をしていました。書いたものが、書いた通りに起きる。それを、納得しているようでした。

私だけが、落ち着きませんでした。

【無料公開・其の三】そこにあった(視覚)

最後にもう一話。行事のあとの、片付けの場面です。何も起きないように見えて、いちばん静かに怖い、と私は思っています。

行事が終わり、片付けが始まった。

古い会館の二階にある控室で、私を含めて四人が作業していた。折りたたみ椅子を畳んで廊下に出し、段ボールを重ねて隅に寄せ、壁の掲示物を剥がしていった。部屋は十畳ほどで、中央が広く空いていた。

椅子を運ぶたびに中央を横切った。段ボールを持って出るときも同じ経路を通った。四人とも、何度も部屋の中央を行き来した。

片付けがほぼ終わったころ、一人が言った。

「あの机、どうしますか」

全員がその方向を見た。

部屋の中央に、白い布をかけた長机があった。

私はその瞬間まで、机の存在を認識していなかった。他の三人も同じだった。誰も、その机について話していなかった。

「誰か運んできましたか」

誰も首を縦に振らなかった。片付け中、外から部屋に物を運び入れた人はいなかった。全員がそれを確認した。

机の脚のまわりだけ、床の埃が四角く切れていた。

布の下は確認しなかった。誰も触れなかった。

机は、そこにあった。片付けが終わるまで、誰も見ていなかった。

この本について

正直に言います。私はこの本を、何度も読み返しました。編集の仕事ですから、当然です。けれど、読み返すたびに、自分の五感が少しずつ信用できなくなりました。

匂いがする。音が聞こえる。何かに触れた気がする。見たはずのものを、見ていなかった気がする。食べたものの味が、合わない気がする。

そういう「気がする」が、日常のなかに増えていきました。

『残感』というタイトルは、二人が決めました。残った感覚、という意味です。何かが起きた後に、感覚だけが残る。対象は消えても、匂いや音や味だけが、こちらに残り続ける。

そういう本です。

怖がらせるための仕掛けは、ほとんどありません。幽霊も、悲鳴も、血も出てきません。ただ、あなたの五感が、ほんの少しだけずれていく。読み終えた後、あなたの周りの空気が、前と同じかどうか。それは、保証できません。

無料で読めるのは、ここに載せた三話だけです。残りの二十二話は、本のほうに収めました。嗅覚、聴覚、触覚、視覚、味覚。それぞれに、まだ五話ずつ近い数が、あなたを待っています。

最後に

この記事を、私は三度書き直しました。

一度目は、データが消えました。二度目は、最後の段落だけが、私の書いた覚えのない文章になっていました。短い一文でした。

「まだ続いている」

私は書いていません。けれど、消すのをやめました。たぶん、消しても、また出てくるからです。

『残感』、よろしければ手に取ってみてください。

ただし、読み終えた後で、何か感覚が残ったとしても。それは、本のせいではありません。

たぶん、最初から、そこにあったものです。

五感侵食怪談集『残感』
著:小谷地市朗/志那羽岩子
編集:ササハラセイスケ
発行:セイスケクリエイティブラボ▶ Amazonで購入する

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