昔、深夜に何気なくつけたテレビで見た番組の内容が、いまでも頭から離れない。
再現ドラマだったのか、ドキュメンタリーだったのかははっきりしない。ただ、妙に現実感があり、途中でチャンネルを変えることができなかった。
舞台は古いアパートの一室だった。
肢体に障害のある妻と、内臓に障害があり、ほとんど寝たきりで聾唖の夫。その夫婦が二人で暮らしている。
そして、そこには小学校低学年の娘が一人いた。
朝になると、その子は一番に起きる。
台所に立ち、慣れた手つきで朝食を作る。両親の分だ。
食事を終えた両親の世話を済ませると、ランドセルを背負って学校へ行く。
放課後、友達と寄り道することはない。
まっすぐスーパーへ向かい、夕飯の材料を選ぶ。
家に帰ると洗濯機を回し、干し、料理を作り、食後の後片付けまで済ませる。
それが日常だった。
番組では、夫婦の生活方針が丁寧に紹介されていた。
「障害があっても、他人の手を借りずに自活する」
それが二人の揺るぎない信念だという。
公的な金銭的支援は受けているが、ヘルパーなどの介助は一切拒否している。
親戚からは結婚そのものを反対され、押し切って結婚した結果、ほぼ絶縁状態になっているとも語られた。
誰も手伝いに来ない部屋は、正直に言えばかなり荒れていた。
床には物が散乱し、埃が溜まり、掃除が行き届いているとは言い難い。
インタビューで、母親は笑顔でこう言っていた。
「私たちは障害がありますが、誰にも迷惑はかけていません。
働けないからお金は受け取っていますが、贅沢もしていません」
その言葉だけを聞けば、立派にも聞こえる。
自立心の強い、誇り高い夫婦。
番組も、最初はその姿勢を肯定的に描いているように見えた。
だが、画面の端に映り込む娘の姿が、どうしても気になった。
洗濯物を畳んでいる小さな手。
俯きがちな顔。
年齢に似合わない、張りついたような疲労の表情。
その違和感が、番組の後半で決定的になる。
母親が、二人目の妊娠を告げたのだ。
「この子が何でもしてくれるから安心なんです」
「生まれてくる赤ちゃんの面倒も、この子がきちんと見てくれると思います」
「兄弟ができたら、この子も楽しくなると思うんですよ」
そう言って、屈託なく笑う母親。
「あと、この子、掃除がもう少し上手になってくれればいいんですけど」
「ほら、部屋、汚いでしょ。この子、そこがちょっとね」
冗談めかした口調だった。
その横で、娘は黙ったまま洗濯物を畳み続けていた。
笑顔はなかった。
カメラを意識している様子もなかった。
ただ、疲れ切った顔をしていた。
その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。
両親は「自立」を語る。
だが、その生活を支えているのは、明らかに子供だった。
他人の手を借りない代わりに、逃げ場のない役割を一人の小学生に背負わせている。
殴られているわけではない。
怒鳴られているわけでもない。
だから、外からは分かりにくい。
期待され、頼られ、「できる子」として扱われる。
それは一見、愛情のようにも見える。
けれど、その期待は選択肢を奪う。
断る権利も、休む権利も、子供には与えられていない。
二人目の子供は「希望」ではなく、「計算」の上に置かれていた。
この子がいるから大丈夫。
この子が何とかしてくれるから安心。
そう言い切れる時点で、もう何かが壊れている。
番組の最後、ナレーションは穏やかだった。
「子供を産むなとは言えませんが……」
そんな言葉で締めくくられていた。
その曖昧さが、かえって後味を悪くした。
誰も明確に悪者にならない。
理念も、善意も、建前としては正しい。
だからこそ、否定しきれない。
画面が暗転したあとも、あの小学生の顔だけが残った。
将来、彼女はどうなるのか。
自分の人生を、自分のために使える日が来るのか。
答えは示されない。
救いも用意されていない。
ただ、黙って洗濯物を畳む子供の姿だけが、現実として残る。
それが、この話の一番怖いところだった。
[出典:878 :本当にあった怖い名無し:2006/01/20(金) 02:59:45 ID:VjycxRUy0]