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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

山の奥の停留所 n+

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古い友人と二人、目的もなく山の方へ車を走らせたのは、もう七年ほど前の話になる。

都会の熱気から逃れるような、緩慢な熱波がアスファルトを覆っていた、夏の終わりの出来事だ。助手席の窓を半開にしていると、時折生ぬるい風が、顔の皮膚を撫でつけていく。

平地の喧騒はすっかり消え失せ、車はいつしか深い山間の道に迷い込んでいた。木々の枝葉が重なり合い、頭上の空を細い裂け目状にする。夕刻特有の、濃い青と、赤茶けた光線が、視界を交互に切り替える。そのコントラクトが、やけに目に焼き付いた。

地図を開いても、その線は眼前のカーブと一致しない。頼みの綱だったはずのカーナビは、既に故障していて、画面上では車が太平洋のど真ん中を猛スピードで泳いでいる。友人と思わず顔を見合わせ、二人で乾いた笑いを漏らした。笑えない状況だった。

道幅は徐々に狭まり、舗装も途切れがちになる。対向車はおろか、動物の気配すらない。エンジンの唸りだけが、この孤独な空間を振動させていた。このまま夜に飲み込まれたら、本当に戻れなくなるのではないか、という漠然とした不安が、胃の腑のあたりを掴んでくる。

時刻は午後七時を回り、周囲は藍色の闇に沈み始めていた。ヘッドライトの光束だけが、眼前の地面を辛うじて切り取る。その光の中に、時折小さな羽虫の群れが飛び込んできては、一瞬で弾けて消える。その音すら、耳に障るほど静寂が深かった。

冷房を切ると、車内はすぐに熱と湿気で満たされる。肌にまとわりつく空気の重さが、時間経過の遅さを示していた。友人は無言で、ダッシュボードの表面に結露した水滴を、指の腹で拭っている。その仕草には、苛立ちと諦念が同居していた。

そんな状況で、突然、左前方の、少し高い位置に、黄色い明かりがぼんやりと滲んだ。まるで濃い霧の向こうにあるような、曖昧な光。それは、都市の灯りとは違う、単調な四角い光だった。

視線で光の方向を追った。あれは、コンビニの看板に違いない。

あの特徴的な二色――オレンジと緑の、かすれた色彩が、微かに識別できた。その瞬間、喉の奥から詰まっていた何かが、ふっと抜けていくのを感じた。

友人の方を見る。彼の表情も、それまでの緊張から解放され、目元が緩んでいた。「助かった」という言葉は、二人とも発しなかったが、車内の空気が一変したことで、意思は十分に伝わった。安堵というのは、身体を芯から冷やすものだ。

ハンドルを握る手に、急に汗が噴き出した。路肩の小石を踏み砕きながら、光の方向へと、ゆっくり車を進める。道は、看板のすぐ手前で、僅かに開けた敷地へと続いていた。

駐車場には、既に私達の車以外に一台、軽自動車が停まっていた。さらに、その隅には、泥の跳ねた自転車が二、三台、無造作に立てかけられている。人っ子一人いないと思っていた場所で、第三者の気配を感じたことで、不安は急速に薄れていった。

車を停め、エンジンを切る。途端に、蝉の鳴き声とは違う、夜の虫の低い羽音が、耳を満たした。足元の土を噛む感触が、革靴のソール越しに伝わる。この山の匂い、土と苔と、腐葉土の甘い匂いが、鼻腔を刺激する。同時に、店舗特有の、甘い芳香剤と、揚げ物の油の匂いが混ざり合って漂ってきた。

友人と顔を見合わせ、小さく頷く。まずは店員に道を聞き、ついでに冷たい飲み物でも買って、この焦燥感を洗い流したい。その一心だった。ドアを開け、外に踏み出す。山間の夜は、予想よりも遥かに肌寒く、首筋を走る冷気が、背骨を伝って全身を巡った。

中に入ると、店内は蛍光灯の白すぎる光で満たされていた。その光が、外の闇との境目を、くっきりと分けている。客は四人ほどいた。皆、山仕事の帰りか、あるいは近隣の住人なのだろう、くたびれた作業服や、地味な普段着を身につけていた。彼らは、特に私達の入店に注意を払うこともなく、各々品定めを続けている。

その様子を見て、私は完全に安心した。ここには、自分たちと同じ人間がいる。この状況が「普通」であることを確認したかったのだ。店の隅にいた、細身の若い店員に向かって、私は努めて平静な声で声をかけた。心臓が、まだ僅かに早く鼓動しているのを感じた。

店員は、私が近づくと、まるでそこが当然の定位置であるかのように、レジカウンターの奥から顔を出した。

その動作は緩慢で、どこか疲れているようにも見えた。彼の着ている制服は、どこのチェーン店かは判らないが、妙に真新しく、糊が効きすぎているように見えた。

私は地図を広げ、現在地が不明なことを正直に伝えた。すると店員は、一瞬、遠い場所を見るような目で私を見つめ、それから、カウンター下の古い紙を取り出した。それは市販の地図ではなく、手書きの、簡略化された図面だった。

「この道を、ここからずっと下りていきなさい。途中で大きなカーブを三つ超えたら、橋がある。橋を渡りきったら、すぐに右折。あとは道なりだ」彼の声は低く、抑揚が少なかった。彼の指が、図面上をなぞる。その指先が、僅かに震えていたように見えた。

私はその指示を頭の中で反復し、友人にも確認させる。私たちは、地図に描かれた、その店の位置を指さした。周囲には、大きな集落も幹線道路もない。このコンビニが、まるで孤立した島のようになっている。

「こんな山奥なのに、お客さん結構いるんですね」私は何気なく、店内の客に目をやりながら言った。彼らは、皆、無言で棚を見ていたり、雑誌を立ち読みしたりしていた。特にレジに並ぶ気配はなかった。

店員は、その問いに対して、奇妙な沈黙を返した。一呼吸置いた後、彼は再び口を開いた。「ええ。まあ、この辺りには、他に店がないものですから」彼の答えは、事務的で、感情がこもっていなかった。客たちの顔を、私はもう一度見た。皆、どこか表情が薄く、暗い。特に、自転車で来たらしい、ヘルメットを持った青年が、スポーツドリンクの棚の前で微動だにしないのが、異様に感じられた。

私たちは、礼を言い、ペットボトルの水を二本掴んでレジを済ませた。店を出る間際、自動ドアを抜ける瞬間に、私は店内の客たちを振り返った。彼らは、私達が入店した時と、寸分違わず、同じ場所に立っていた。雑誌の頁をめくる音も、商品を選ぶ音も、全く聞こえない。まるで、時間が停止しているかのような、静寂がそこにあった。

外に出ると、再び生ぬるい夜風が体を包んだ。友人は、「助かったな、これで帰れる」と安堵の声をもらす。しかし、私の喉の奥には、店内の不自然な静けさが、小さな棘のように引っかかっていた。頭を振り、考えすぎだ、と自分に言い聞かせる。一刻も早く、この山を抜け出すことが先決だった。

車を発進させ、教えられた通りに山道を下る。

店員が言った通り、道は次第に広がり、舗装も良くなっていった。ヘッドライトの向こうに、遠く街の灯りが、薄い滲みとなって見え始める。私達は心底、安堵した。

しかし、道が良くなるにつれて、私の中に一つの疑念が膨らんでいった。それを友人に投げかけた。「なあ、今更だけど、何かおかしくないか?」友人は、ようやく煙草に火をつけたばかりで、いぶかしげに私を見た。「何がだよ、もうすぐ街だろ」

「あの店だよ。あのコンビニ」私はハンドルを握りながら言った。「あんな山奥に、本当に店があると思うか? 地図にもカーナビにも載ってないぞ」友人は、煙草を灰皿に押し付けた。「いや、だって、あったじゃん。実際。道も教えてもらったし」

「客だよ、客。あんなところに、誰が自転車で来るんだよ。夜だぞ」私は、あのスポーツドリンクの前で微動だにしなかった青年を思い出す。「それに、あの店、妙に静かだっただろ。客が四人もいたのに、誰も声を出してなかった」

友人は無言になった。彼もまた、あの店で感じた違和感を、私と同じように言葉にしていなかっただけなのだろう。「……でも、道は合ってた。助かったのは事実だろ」彼は、そう言って、無理に納得しようとした。しかし、二人の間に流れる空気は、既に重く、冷たいものになっていた。

街の明かりが、車のフロントガラスを反射し始めた頃、私たちは、もう一度、あの店が存在したという事実を、冷静に検証する必要に迫られた。あの辺りには、集落一つ見当たらない。あれだけの客が来るには、幹線道路沿いか、大きな集落の近くだけだ。あの店の立地は、あまりにも不自然だった。そして、あの客たちは、一体どこから来て、どこへ帰るつもりだったのか。自転車で、あの山道を、夜中に。

帰宅後、私は古い広域地図を引っ張り出し、さらにネットの衛星写真や過去の航空写真まで参照したが、あの山道の周辺には、コンビニどころか、小さな商店の痕跡すら見つけられなかった。あの店は、まるで、私達の緊急事態に合わせて、幻のように現れたとしか考えられなかった。

数週間後、私は別の用事で、あの山道から少し離れた町を訪れていた。

用事を終え、日が暮れ始めた頃、私はふと、喉の渇きを覚えた。そして、気づくと、私は車を運転して、あの山奥へと向かっていた。気がついたら、だ。無意識の内に、私はあの「光」を探していた。やがて、あの場所へと辿り着く。そこには、やはり、あのコンビニがあった。

看板の黄色い光が、夜の闇にぼんやりと滲んでいる。駐車場には、一台の軽自動車と、三台の自転車。そして、一台の見慣れない車が停まっていた。私は、車のエンジンを切り、外に出た。土と苔と、腐葉土の甘い匂い。そして、妙に清潔なビニールと、揚げ物の油の匂い。

店に入ると、蛍光灯の白い光が、私を迎え入れた。中にいる客は五人。皆、無言で、商品を見つめている。私は、その中のひとり、スポーツドリンクの棚の前で微動だにしない青年の横に立ち、彼と同じように、棚の表面に映る自分の顔をじっと見つめた。

あの夜、私達が道を聞いたあの店の客たちは、山に迷い込み、助けを求めて辿り着いた、永遠に道を探し続ける旅人たちだった。そして、私もまた、彼らの一人になったのだ。私は、誰かが私に道を聞きに来るのを、静かに待っている。

[出典:503 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/05 21:23]

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