古い友人と二人、目的もなく山の方へ車を走らせたのは、もう七年ほど前のことだ。
都会の熱気を引きずったままの、夏の終わりだった。アスファルトの上に溜まった昼の名残が、夜になっても逃げ場を失い、窓を半分開けても生ぬるい風しか入ってこない。助手席の友人は、ラジオをつけるでもなく、ただ前を見ていた。
気づけば、街の灯りは完全に背後へ消え、道は山の中へ入り込んでいた。枝葉が重なり、空は細く裂けたようにしか見えない。夕暮れの青と、どこか赤茶けた光が交互に差し込み、視界が落ち着かない。地図を広げても、今走っている線と一致しない。カーナビは故障して久しく、画面の上では車が海の真ん中を滑っていた。
二人で乾いた笑いを漏らしたが、笑える状況ではなかった。道幅は徐々に狭まり、舗装も途切れがちになる。対向車はおろか、動物の気配すらない。エンジン音だけが、この空間に取り残されていた。
午後七時を回り、周囲は藍色に沈み始める。ヘッドライトの光の中に、羽虫が弾けて消える。その音すら気になるほど、静かだった。冷房を切ると、車内はすぐに湿気で満たされる。友人はダッシュボードの結露を、指で拭っていた。その動きが、妙に機械的に見えた。
そのとき、左前方の少し高い位置に、黄色い光が滲んだ。濃い闇の奥で、四角い光がぼんやりと浮かんでいる。都市の灯りとは違う、単調で、頼りない光。
視線を凝らす。オレンジと緑が、かすかに判別できた。
コンビニだ。
その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。友人の顔を見ると、同じ表情をしていた。言葉は要らなかった。ハンドルを切り、光の方へ車を進める。道は看板の手前で少しだけ開け、簡素な駐車場につながっていた。
軽自動車が一台、隅には泥の跳ねた自転車が数台。人の気配がある。それだけで、不安は急速に薄れた。
エンジンを切ると、夜の虫の低い羽音が耳を満たした。土と苔と、腐葉土の甘い匂い。その中に、揚げ物の油と、人工的な芳香剤の匂いが混じっている。友人と小さく頷き合い、店に入った。
店内は、蛍光灯の白い光で満ちていた。外の闇が嘘のようだ。客は四人。作業服や地味な普段着で、皆、棚の前に立っている。誰も喋らない。ただ商品を見ている。
それでも、その光景が「普通」に見えた。人がいる。それだけで十分だった。
レジに近づくと、細身の若い店員が、最初からそこにいたかのように顔を上げた。動作は遅く、制服は不自然なほど新しい。糊の匂いがした。
道に迷ったことを告げると、店員は一瞬、私の向こうを見るような目をしてから、カウンター下から古い紙を出した。手書きの簡単な地図だった。
「ここから、ずっと下りです。大きなカーブを三つ。橋を渡って、すぐ右」
声に抑揚はない。指先が、わずかに震えているように見えた。私は何度も復唱し、友人にも確認させた。
何気なく店内を見回し、「こんな場所でも、客は来るんですね」と言った。
店員はすぐに答えなかった。一拍置いて、「他に店がありませんから」とだけ言った。
棚の前の客たちは、誰一人動かない。スポーツドリンクの前で立つ青年は、瞬きすらしていないように見えた。
水を買い、礼を言って店を出る。自動ドアが閉まる直前、振り返る。客たちは、入店時と寸分違わず同じ位置にいた。音が、ない。
車に戻ると、友人が息を吐いた。「助かったな」
私は曖昧に頷いた。喉の奥に、小さな棘が残っていた。
教えられた通りに下ると、道は次第に整い、遠くに街の灯りが見えた。安堵と同時に、違和感が膨らむ。
「あの店、変じゃなかったか」
友人は黙り込んだ。「……でも、助かっただろ」
それ以上は言わなかった。
帰宅後、地図や衛星写真を調べても、あの場所に店はなかった。
数週間後、別の用事で近くの町を訪れた帰り、私は気づけば山へ向かっていた。喉が渇いていた。理由はそれだけだった。
黄色い光は、同じ場所にあった。駐車場には車と自転車。店内には、無言の客たち。
私はスポーツドリンクの棚の前に立った。棚の表面に、自分の顔が薄く映る。
しばらくして、ドアの開く音がした。
誰かが、こちらを見ている気配がした。
[出典:503 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/05 21:23]