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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

兆しの残る場所 n+

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今でもあの午後の匂いを思い出すと、胸の奥にざらりと砂がこぼれ落ちる。

乾いた校庭の砂塵と、陽にあぶられた鉄棒の匂いが入り混じった、あの季節だけの空気。昼下がりの光は白くて、地面のきらめきが目の奥に刺さった。

ドッジボールの円の外に立っていた私は、じんわり汗ばんだ掌を短パンで拭った。呼吸のリズムが乱れ気味で、それを悟られないように肩をすくめて整えた。周囲の声は遠く、胸の内側だけが妙に静かだった。

相手側のひとりがボールを拾い、腕を軽く振った。その仕草自体は日常の延長線上にあるのに、私の体はほんの僅かに強張った。視線の先、味方のひとり――普段は特に仲良くもない、ただ同じ空間を共有してきた同級生――の輪郭が、一息に滲み始めた。色のついた暈《かさ》のようなものが、そいつの周囲に押し寄せる。

朱に寄った赤。照明フィルターをかざしたような、人工的な赤みが、体の中心から染み出した。私は瞬間、喉の奥で声にならない声を飲み込んだ。反射的に一歩踏み出したが、足裏は砂に沈むばかりで、踏み切れない。

刹那、ぱん、と乾いた音が空気を裂いた。赤い影になった同級生が、反応するより早く肩口を打たれ、少しよろける。その遅れた反応に、何かの誤差が生じたような感覚が走る。私の中にだけ、ひと拍子早い映像が紛れ込んでいた気がした。

驚きとも違う、薄い違和の膜が皮膚に貼りついたまま、体温だけがじっとり上がった。けれど私は言葉にしなかった。理由を問われても、説明のしようがなかったからだ。理解より先に色が現れ、結果があとから付いてくる。その順序の奇妙さが、子供心にもどこか後ろめたかった。

その後も、似たようなことはあった。下校途中、狭い歩道の向こうから幼児が駆けてくるのを見たとき。光の粒がその子の腹のあたりで一瞬、ぱちっと弾けた。夕方の光ではなく、もっと人工的な、白熱灯の最初の瞬きめいた鋭さだった。私の胸が小さく跳ねたと同時に、幼児はつま先を取られて倒れ込み、泣き声を上げた。

私はただ立ち尽くしていた。背中を汗がすっと流れた。何も出来なかったことへの後ろめたさよりも、あの光が自分にだけ見えた可能性の方がずっと重かった。足裏の感覚はまだ地面にあったけれど、心だけが半歩遅れて空中をさまよった。

大人になってからは、あの色を見ていない。考えて判断する癖が、いつのまにか目の前の細部を鈍くしたのかもしれない。あるいは、子供の頃の身体感覚が勝手に差し出してくれていた余計な“注釈”を、成長とともに切り捨ててしまったのだろう。

ただ、ひとつだけ引っかかりが残っている。あの赤も、あの白い瞬きも、私が気づくより前に、体のどこかが先に反応していた気がする。色は“結果”なのか“警告”なのか、いまだによく分からないままだ。

けれど、あれが消えたと思っていた最近になって――
ふとした瞬間、視界の端を、微かな色が横切った気がしたのだ。

視界の端で生まれたその色は、ほんの一瞬、風に押される火の粉みたいに揺らいだ。

夕暮れどきの帰り道、電線の影が歩道に細く落ちていた。私の足取りは特に急いでもいないのに、踵だけが微かに浮くような落ち着かなさを帯びていた。

気のせいだと片付けようとしたが、胸の奥でひゅっと吸い込まれたような感覚が残った。あの頃の色はもっと直接的で、視界の中心に張りつくようだった。今のそれは、薄い膜越しの残像のようで、どこか遠ざかった匂いがした。

その夜、帰宅して玄関の灯りを点けると、靴箱の横に置きっぱなしの折り畳み傘が目に入った。黒の布地に、雨上がりの水滴がまだ細かく残っている。指で触れると、冷たさの中に妙なぬめりがあった。嫌な汗をかいたような、布とは別の温度。手を離すと、指先だけがじんじん痺れた。

風呂に入っても、その痺れは抜けきらなかった。湯気の中、指先がぼんやり白く霞む。湯温が高いせいだと思ったが、湯から上げると白みは消えず、皮膚の下で小さな灯りが点滅しているように見えた。瞬きする間に消えたが、目を閉じても脳裏にちらついた。

翌日、会社で書類をまとめていると、背後から同僚が声を掛けた。振り向くより早く、胸の奥が弱く脈打った。見上げたとき、同僚の手元――持っていた紙束の角が淡く赤みを帯びていた。いや、角ではなく、その手を包むような輪郭がじわりと滲み始めていた。

私は息を飲んでほんの少し身を引いた。だが色はすぐに薄れ、同僚は何事もなかったように机へ書類を置いた。置いた拍子に、紙束の一番上がひらりと滑り、机の端に引っかかって破れた。本人は小さく舌打ちしただけだったが、破れた角には、さっきまで見えていた赤の残り香みたいなものが、私にだけ漂った。

あの色は“予兆”ではなく、もっと別の何かに近い気がした。無意識の判断が色に変換された――昔はそう思っていた。だが、今の色は、私の判断よりも前に先回りして現れるような、そんな手触りを持っていた。

昼休み、社員食堂の窓際に座った。外の歩道には人影が途切れず流れる。私は湯気の立つ味噌汁をすすりながら、ガラスに映る自分の顔をぼんやり眺めていた。ふと、ガラスの向こうの歩道を幼い子が親に手を引かれ歩いているのが見えた。

その子の肩のあたりが、かすかに青く揺れた。風が吹いたわけではない。陽光が反射したのかと思い、角度を変えてみたが、青の揺らぎはついてくるように波だった。私の心臓がひとつ打つと同時に、親に引かれた子の足がほんの少しもつれた。親が咄嗟に支え、事なきを得たが、青の残滓がまだ私の網膜の裏で静かに明滅していた。

湯気に混じって、焦げたような匂いが鼻腔に残った。子供の頃に嗅いだ、体育倉庫の縄の焼けたような匂い。脳が勝手に結びつけているのか、それとも本当に、色と匂いが連動しているのか。私は箸を持つ手を膝の上に落とし、深く息を吸った。

そのとき、味噌汁の表面に小さな波紋が立った。空調の風とも違う。誰かが隣の席に座ったのだろうと視線を動かしたが、席は空のままだった。波紋は沈黙の中でゆっくり消えた。

色だけでなく、別の“層”が、私の周囲で動き始めている気配があった。だが、それが何を意味しているのか、わからないままだった。

その夜、寝つけないまま部屋の灯りを落とした。

枕元だけがぼんやり明るく、外の街灯の光が薄い筋になって差していた。布団に潜っても足先が落ち着かず、無意識に爪先を擦り合わせた。指先の痺れがまだ残っていた。

やがて、天井の隅に視界が引かれた。黒い影ではなく、明度の低い“色”が浮いていた。深い赤でも青でもない、くすんだ灰色に微細な粒子が溶けているような、不確かな色。目を凝らすほど輪郭が薄れ、見失いかけるとふっと濃くなる。

私は呼吸を浅くした。気配は天井の一角からそっと降りてきて、床を滑るように移動し、やがて私の枕元で止まった。そこに“誰かが立った”と錯覚するほどの気圧が、布団越しに伝わった。

そのとき、胸の内側で一度だけ、妙に重い脈拍が鳴った。その脈に合わせて、部屋の空気全体がほんの僅かに沈む。静まり返った室内に、色だけが独立した存在のように漂っていた。

私はゆっくり顔を上げた。視界の正面に、あの色が形を変え始める。人影のようでもあり、ただの濃淡の揺らぎでもあった。輪郭は曖昧だが、誰かの姿勢を模したように見えてきた。幼い頃に見た赤い影。歩道で見た青い閃き。あれらと同じ系統の“警告”。ただし、今回は対象が私自身らしかった。

私は息を止めた。心の奥で、何かが微かに動いた気がした。色は私の動揺を測るように、ゆらりと濃度を変える。その動きに合わせるように、今度は私の手元――布団の上の右手に、淡い橙色の点が灯った。皮膚の下で小さな火種が呼吸しているような、微温い色。

その橙は、天井から降りてきた灰の色と、呼応するようにかすかに揺れた。ふたつの色が、互いに何かを探り合うように、脈の間隔を合わせている。天井の色が深く沈むと、手元の橙も弱く沈む。まるで、同じ“発生源”から漏れ出しているかのようだった。

私は、その瞬間に気づいた。
――子供の頃に見えた色は、私の外側にある危険を示すものだった。
だが今見えている色は、外ではなく“内側”から来ている。

それを理解した途端、胸がざわりと濁った。寝返りを打つと、橙はふっと消え、天井の灰も同時に溶けるように消えていった。残ったのは、私の脈の鈍い音だけ。部屋は元の静けさを取り戻した。

翌朝、窓を開けると冷たい空気が流れ込んだ。昨夜の色の残滓はどこにも見えない。だが、視界の奥に微かに残った橙の余韻が、まだ内側に沈んでいた。

通勤の途中、ガードレールに寄りかかってスマホを見る若い男性がいた。ふと、その肩が淡く赤に染まった。私は足を止めかけたが、すぐに色が薄れた。数秒後、彼の足元を走ってきた自転車が、彼の脇すれすれを通り過ぎた。彼は顔を上げもせず、危機を自覚しないまま画面を見続けていた。

私はそこで気づいた。
あの色は、子供の頃のように“他人だけ”に付くものではなくなっている。
視界に入ったものすべて――人でも物でも出来事でも――否応なしに、私と同じ層に引き込まれ始めている。

色が戻ったのではない。
“色のある世界”に、私の感覚が再び引きずり戻されただけだった。
子供の頃は無意識に受け取っていただけのものが、今は意図もなく、私の内側と繋がってしまっている。

そのとき、駅の階段を降りる私自身の足元に、ごく薄い灰の影が揺れた。
ほんの一瞬。
私は思わず手すりを掴んだ。
掴んだ直後、背後から人混みに押され、体が前につんのめった。手すりを掴んでいなければ、そのまま落ちていたかもしれない。

つまり――
あの灰色は、昨夜私の枕元に立っていた“何か”ではなく、
私自身の足元にずっと潜んでいた“予兆”だったのだ。

色は外側から現れたのではない。
ずっと私の内側にあって、私が見落としていただけだった。
子供の頃は気づく前に外へ溢れ出ていたものが、今は濃度を変えて“私を中心に”広がっている。

視界の端でまた、小さな橙が灯った。
今度は、私の胸のすぐ内側で。

私は歩みを止め、しばらく動けなかった。

──どこまでが“予兆”で、どこからが“私自身”なのか、
境界がもうわからなくなりつつある。

[出典:605 :本当にあった怖い名無し:2012/06/25(月) 01:59:49.56 ID:8Zy1CXsh0]

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