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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

いま話しているのは nw+192-0207

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今でも、あの夜の録音を再生する勇気が出ない。

スマホのストレージに残っていることは把握している。けれど指を伸ばすと、必ず途中で止まる。削除すれば済む話だと、頭ではわかっている。それでも消せないまま、三年が過ぎた。

大学最後の夏、古い学生寮で行われた怪談大会の記録だ。
地方都市の外れにある、元は社員寮だったという鉄筋三階建て。廊下には湿気がこもり、夜になると水道管の中を何かが移動するような音が絶えなかった。冷房はなく、共有スペースに集まった私たちは扇風機を囲み、氷の溶けかけたプラスチックカップを回していた。

私は卒論の調査で疲れ切っていた。だが八月の終わり、寮生全員で「最後の思い出を作ろう」という話になり、断る理由もなく参加した。十人ほどが円になり、テーブルの中央に小さなスピーカーを置いた。
私のスマホを接続し、音声入力アプリを起動する。

「怪談大会、録音テスト」

そう言ってマイクに向かって話すと、画面に白い波形が立ち上がり、音声が即座に文字へ変換された。精度は高く、私の声は一言一句そのまま表示された。

最初は軽い話だった。
山道で出会った老婆、廃校のトイレ、夜のトンネル。どれも聞き覚えのある題材で、笑い声が混じった。波形も安定していた。

ただ、Bだけは違った。
地元がこの寮のすぐ裏の集落だという。

「じゃあ俺、ここらの話をするわ」

そう言ってBはペットボトルの蓋を閉め、背筋を伸ばした。妙に改まった仕草だった。

「この寮が建つ前な、川沿いに小さな製材所があって――」

Bの声が、スマホの画面にそのまま文字になっていく。

──『女が木くずの中で笑っていた』
──『白い服で 口だけ動いていた』

話自体は単純だった。夜の製材所、積まれた木くずの間から、白い服の女が見えたというだけの話だ。だが途中から、文字の変換が乱れ始めた。

「……きくず」
「……わらっ て」

壊れた音節が混じる。
誰も口を挟まなくなった。

Bの声は、次第に低く、早くなった。聞き取れないほどではないが、息継ぎが不自然で、言葉の切れ目が曖昧になる。波形が不規則に震え、画面に、誰も言っていないはずの文章が現れた。

──『ねむい』
──『ねむい』
──『かわまで』

私は笑ってごまかそうとしたが、喉が乾き、声が出なかった。
「おいB、それ冗談だろ」
誰かがそう言ったが、Bは俯いたまま、唇だけを動かしていた。

私が録音を止めようとスマホに手を伸ばした瞬間、画面が白く光った。
一瞬、停電したのかと思った。だが照明は点いたままだった。
スマホだけが、異様な熱を帯びていた。

私は反射的に手を離し、後ずさった。
波形の上を黒い線が走り、表示されていた文字が滲むように消える。
そして、新しい行が打ち出された。

──『いま 話しているのは だれ』

その文字を見た瞬間、Bが、喉の奥で息を詰めたような笑い声を漏らした。

「ここまでにしよ」

それだけ言って、Bは立ち上がった。
誰も引き止めなかった。
録音は停止されないまま、保存された。

翌朝、Bは朝食に来なかった。

部屋を覗くと、ベッドは整ったままで、私物も揃っていた。靴も、財布もあった。
ただ、机の上に、私のスマホが置かれていた。
Bが触るはずのない機種だった。

画面には、音声入力アプリが起動したままになっていた。
文字入力欄で、

『かわまで』

その言葉だけが、淡く点滅していた。

その後、Bは戻らなかった。
近くの川の堰のあたりで、サンダルが片方だけ見つかったという話を、後から聞いた。
私は、あの夜の録音を誰にも再生させなかった。

卒業してからも、録音は消せなかった。
機種変更をしても、データは自動で移行された。
音声ファイルの更新日時だけが、いつの間にか書き換わっている。開いていないのに。

そして一昨日の夜。

部屋で一人、明かりを落としていると、枕元のスマホが勝手に点灯した。

「音声入力を開始します」

無機質な音声。
画面の中央に、白い波形が現れ、誰もいない部屋の空気を拾い始めた。

波形の下に、文字がゆっくりと打ち出される。

──『いま 話しているのは あなた』

私は反射的にスマホを裏返した。
画面は黒くなり、反射した光の中に、自分の顔が映った。

唇が、わずかに動いている。
声は出ていない。
それでも、裏返したはずのスマホから、かすかな振動が伝わってきた。

その夜、私は録音を再生しなかった。
ただ、入力が終わるまで、息を殺して待っていた。

翌朝、音声ファイルの更新日時は、今日の日付に変わっていた。

[出典:533 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/03/27 04:07]

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