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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

上座の声 n+

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あの夏の入道雲は、じっとこちらを見つめるように空に居座っていた。

二〇二五年の六月、私はほとんど食べられなくなっていた。食欲がないというより、喉を通らない。水すらも。
病院に行けば行くほど、検査は増えるばかりで、結果はいつも「異常なし」か「経過観察」だった。
しかし、七月の終わり、ついに名のある病名がついた。
難病指定。治癒の見込みなし。進行性。
その言葉が並べられた診断書を見たとき、私はその場で膝から崩れ落ちそうになった。
涙も出なかった。ただ、ああ、終わったなと、そう思った。

入院生活は、死を先取りするようなものだった。
冷たいシーツ。血と薬の匂い。点滴のリズム。
隣のベッドの老人が、夜な夜な誰もいないカーテンに向かって話しかける声が、私の眠りを削り取っていった。
何もかもが灰色だった。

治療が始まると、さらに身体は壊れていった。
四十度を超える熱が三日三晩続くことが三度あった。
うなされ、痙攣し、嘔吐し、時に呼吸すらもわからなくなった。
医師たちは「予想の範囲内です」と言ったが、そんな言葉が意味をなすのは、彼らが私の体ではないからだ。

三度目の発熱のとき、とうとう私は自分が死ぬのだと思った。
手足が冷たくなり、心臓が胸の奥ではなく、どこか外に置かれたような感じがしてきた。
そのときだった。
ふいに、祖母が現れた。

亡くなって十年が経つ、あの祖母だった。
冬のような匂いがした。洗い晒しのモンペに、襟のほつれたカーディガン。
今でも夢に出てくる、昔のままの姿で、私の身体をそっと抱きしめた。

「かわいそうにねえ……こんなになるまで。ばあちゃんと一緒に行こうねえ」

その声が、脳髄にじわりと染み込んできた。
反射的に涙が出た。嬉しかった。もういいやって、思った。
でもその瞬間、視界がぐるりと反転した。
身体がどこにもない。代わりに私は、どこか高い窓から下を見下ろしていた。

そこは、薄暗い座敷だった。
古びた畳とすすけた柱、天井には煤のような影。
その真ん中に、二十人か三十人はいたと思う。老人ばかりで、円座を囲んでいた。
中央に小さな火鉢のようなものがあり、火は灯っていなかったが、空気がじんわりと温かかった。

末席に祖母が座っていた。
私の体を抱いていた。それが魂か肉体か、もうわからなかった。
祖母は泣きながら、声にならない声で上座へ訴えていた。

「この子は、もう充分に苦しんだんです……お願いですから、連れていかせてください」

祖母の隣には、祖父がいた。生前と違って無口だった。腕を組み、目を閉じていた。
あんな人だったっけ?と、不意に違和感を覚えた。
もっと怒鳴る人だったのに、ここでは妙におとなしい。

視線を上座に向けた。
上に行くほど、老人たちの服装が古くなっていた。
羽織袴、冠婚葬祭のような和装、武家のような装いすらあった。
顔つきも、まるで浮世絵から抜け出したような人が混じっていた。

それでも、誰もが口を閉ざしたままだった。
ただ一人、最上座の奥に、光の塊のようなものがあった。
顔はない。輪郭も曖昧で、ただ、眩しくて、見ようとすると頭が割れそうだった。

その光の中から、声が響いた。

「その子はまだ寿命ではない。勝手なことをするな」

まるで、巨大な鐘を鳴らされたような衝撃だった。
次の瞬間、私はベッドに戻っていた。
喉に酸素マスク、腕に点滴、機械の音がけたたましく鳴っていた。

あれから三日後、熱が下がった。
医師が「奇跡的な回復です」と言った。
そんなわけあるかと思ったが、実際、私は三ヶ月で退院できた。
半年以上かかると見込まれていたのに。しかも、うつ病まで治っていた。

後日、心理検査のついでに、あの夢の話を主治医にしてみた。
彼は笑いながら、「そういう話、時々聞くんですよ」と言った。
「死にかけた人が、死後の会議に呼ばれるってやつ」

私は、あの座敷の匂いを思い出した。
埃と、線香と、血と、涙のような匂い。
そう簡単に忘れられるような、そんな夢ではなかった。

たまに思う。
あの会議、もしも祖母がもっと押し切っていたら、私はここにいなかったのだろうか。
あの光の塊が、少しでも別の判断をしていたら、もう戻れなかったのだろうか。

そして、最近になって気づいた。
祖母の隣にいたあの男。
祖父じゃなかった。
いや、顔も体格も声も、すべて祖父そのものだったのに。
私の記憶の祖父は、あんなに優しかっただろうか?
あの静かな眼差しに、なぜか薄ら寒さを感じたのだ。

今でもたまに夢に出てくる。
あの座敷の隅っこで、ひとりだけ立ったまま、じっと私を見ている。

あの人は、私が戻ってきたのを、きっと――
許していない。

[出典:858 :可愛い奥様:2012/11/29(木) 13:05:38.07 ID:NO6YYxeb0]

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