俺には、どうしても腑に落ちない記憶がある。
幼い頃の断片だ。消そうとしても消えず、むしろ年を重ねるほど輪郭がはっきりしてくる。
小さな海辺の町で暮らしていた記憶。
砂浜に松が並び、潮が満ちると根元まで海に沈む。水の中から木が生えているように見える、不自然な光景だった。
引き潮のあと、俺は貝を拾って妹に見せていた。
まだ赤ん坊だった妹は、意味もなく笑っていた。
手足をばたつかせるたび、砂が指の隙間からこぼれていた。
沖には小舟が並び、漁師が網を引いていた。
舟が戻ると、俺は息をひそめて近づいた。
縁から跳ね落ちる魚を拾うためだ。
シャツに包むと、ぬめりと熱がじかに伝わる。
四匹くらいまとめて抱え、坂道を駆け上がる。
寺の鐘が鳴り終わる前に帰れば「セーフ」だった。
あの町での記憶は、匂いや重さまで伴っている。
だが、小学校に上がる頃には、その記憶は否定されるようになった。
「ずっと東京で暮らしてるだろ」
親は笑ってそう言った。
アルバムにも海は一枚も写っていない。
それでも違和感は消えなかった。
夢に見る。
松の間から、誰かがこちらを見ている。
姿は見えないが、視線だけが残る。
最近、その夢に変化が出た。
松の根元に、濡れた人影が立つようになった。
最初は遠くにいた。
次は、少し近く。
その次は、はっきりと輪郭が見えた。
昨夜、とうとう顔まで見えた。
俺だった。
目が覚めたとき、手のひらに鱗が一枚ついていた。
最初はそれだけだった。
だが、今朝は違った。
二枚、三枚と増えていた。
洗っても落ちない。
爪で剥がすと、下の皮膚がわずかに湿っている。
風呂に入った覚えはない。
水にも触れていない。
昼間、仕事中にも一枚見つけた。
机の上に、いつの間にか落ちていた。
触るとまだ柔らかく、ぬめっていた。
帰宅して、妹に見せた。
何も言わなかった。
ただ、すぐに窓を閉めた。
「……音、聞こえない?」
そう言われて、耳を澄ました。
遠くで、鐘の音がしていた。
この辺りに寺はないはずだ。
それでも、一定の間隔で鳴っている。
低く、長く、途切れない音だった。
気づいたのは、そのあとだ。
床が、少し濡れている。
靴下の裏が、わずかに湿る。
玄関まで続いている。
その先に、砂が落ちていた。
細かい、白い砂だ。
――俺はまだ、あの町に帰っていないのか。
それとも、もう戻っているのか。
どちらなのかは、もう判断がつかない。
ただ一つ確かなのは、
今日、机の上に落ちていた鱗が、
昨日よりも少し大きかったことだ。
[出典:307 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/06/08(木) 04:52:27.08 ID:XAn8F61O0.net]