射撃場で出会ったあの日から、あの人は私の師匠だった。
実の父とほぼ同じ年齢で、子どもはいるのにアウトドアには興味がないと言っていた。なのに私のことだけは妙に気に入り、北海道での猟に連れていってくれた。
だが最初の遠征からおかしかった。
私が入った尾根筋には鹿の影もない。足跡すら薄い。ところが数分後、後続の仲間が通ると、開けた場所に一頭ぽつんと立っているという。二年続いた。私は撃てない。ほかの誰かが撃つ。
「運がないな」と笑われ、やがて「山に嫌われてる」と言われた。冗談のはずなのに、胸に残った。
三年目、北海道に移住していた師匠が「僕がガイドするよ」と言った。
私は断った。「自分で獲れるようになります」と。
その冬、師匠は急に弱った。糖尿病の合併症だった。避寒で戻ってきたとき、会いに行った。顔色は灰色に沈み、輪郭が揺れて見えた。別れ際、あの人は言った。
「元気になるから。そしたら北海道に連れて行ってください」
今まで一度も言わなかった言葉だった。連れていく側の人が、連れていってくれと言った。
六日後、北海道の自宅で亡くなった。
葬儀で、私は知らなかった事実を聞いた。師匠は有名なカルト宗教の幹部だったという。会場に響くお題目の反復が、鼓動と重なった。あの人は教祖を笑っていたはずだ。なのに、誰よりも深く関わっていたらしい。
遺品として、師匠の愛銃が私に渡った。
その頃から、夢を見るようになった。
助手席に師匠が座っている。林道の分岐、沢の位置、鹿の抜け道を静かに指差す。具体的すぎる夢だった。
冬、私は一人で北海道へ渡った。
三日間、合法で安全な猟区を回っても一頭も出ない。国道沿いにはうじゃうじゃいるのに、山に入ると消える。
三日目の夜、また夢を見た。
助手席の師匠が、地図にも載らない細い林道を指した。
翌朝、気づけばその道に入っていた。二キロほど進んだところで、夢と同じ沢が現れた。水の溜まり方まで同じだった。
私はエンジンを止めた。
ライフルを構え、川沿いの茂みに入る。
河原に鹿が一頭、水を飲んでいる。
照準を合わせ、引き金を引く。鹿は倒れた。
歩み寄ろうとしたとき、左にもう一頭いるのが見えた。距離は二百メートルほど。撃てる距離ではあるが、私の腕では厳しいはずだった。
撃った。
倒れた。
その瞬間、耳元で声がした。
「やっと獲れたね」
振り向いたが、誰もいない。
もう一度、声がした。
「二頭は大変だよ。でも手伝うよ」
私は泣いた。嬉しさではなかった。
解体の手順が、頭の中に流れ込んできた。関節の位置、刃の入れ方、血抜きの角度。まるで誰かが手を重ねているようだった。二時間足らずで百三十キロ級二頭を処理した。
その夜、夢の中で師匠は言った。
「あんたは守られすぎてた。山と噛み合ってなかった。私が話をつけたから、もう大丈夫だよ」
「何とですか」と聞いた気がする。
答えは聞こえなかった。
翌日、ヒグマに遭遇した。
百メートル先、樹の陰から半身だけ覗いている。私は一発しか装填していなかった。撃たなかった。
熊は、しばらくこちらを見ていた。
笑っているように見えた。
その後、猟は順調になった。入れば獲れる。外すことがない。
だが、ときどき思う。
最初の北海道で、至近距離に鹿が立っていたという話を後から聞いた。私は見ていなかった。目の前にいたのに、見えなかったらしい。
あのとき私は高熱を出し、嘔吐し、数日寝込んだ。記憶が曖昧だ。
夢の中で、助手席には誰が座っていたのだろう。
師匠の銃は今も使っている。銃身は焼き切って交換した。だが、撃ったときの反動が、自分のものではない瞬間がある。
引き金にかかる指が、ほんのわずか早い。
謝ってから撃て、とあの人は言った。
私は毎回、小さく呟く。
「命をもらいます」
だが、ときどきわからなくなる。
誰が誰に謝っているのか。
[出典:139 :本当にあった怖い名無し:2011/06/23(木) 01:42:28.71 ID:gOq/Edhn0]