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寒いって、あの人が言った夜 r+2,422

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夜勤が好き、なんて言うとだいたい驚かれる。

でも、人と関わるのが苦手な自分にとっては、静かな夜の病棟で淡々と仕事をこなすほうが性に合っていた。
とはいえ、何も感じないわけじゃない。
霊感があるかって訊かれたら「ない」と答えるけど、視界の隅に黒い影のようなものが揺れたり、背後に息を感じたりすることは、珍しくなかった。

それでも、ある晩のことは今でも忘れられない。
……忘れられないというか、あれを境に自分の中で、なにかが確実に変わった。

その日、自分は夜勤を交代して入った。
理由は、入院患者のひとりが「一泊帰宅」のリハビリ中に行方不明になったせい。
家族や職員が日中あちこち探しまわることになって、自分が夜のシフトに入ったんだ。
もともと出るはずじゃなかった夜勤。
しかもその日は、急変が立て続けに起きて、てんてこまいだった。

気づいたらもう三時をまわっていた。
家族が駆けつけた患者の対応を相方がしていたので、自分ひとりでラウンドをこなすことになった。

その病棟の構造は独特だった。
病室がコの字型に配置されていて、突き当たりには大きな窓があった。
昼間は陽が差して明るいけれど、夜になるとその窓はただの黒い鏡になる。
何かを映し出す、意志のある鏡のように。

行方不明になった患者の部屋は、四人部屋だった。
当然もう空になっているはずだったけれど、ルーティンでラウンドには入る。
扉を開けた瞬間、室内の空気がひやりと冷たくて、反射的に腕をさすった。

処置はないけれど、ひとりひとりの呼吸を確認していく。
ルールだから、やるしかない。

そして、あのベッドに目が止まった。
明らかにおかしかった。
布団が……膨らんでいたんだ。
誰かが中に入っているみたいに。

当時は認知症の患者が何人かいたし、紛れ込んで寝てしまったのかもしれないと考えて、ためらいながらも布団に手を伸ばした。
ふわりと指先が触れた瞬間――

「さむい」

鼓膜の内側に直接届くような、くぐもった声だった。
遠くからじゃない。中から聞こえた。
布団の中から……あの人の声で。

言葉を理解するよりも早く、体中が強張った。
肌の上に氷をなすりつけられたような寒気が、手から肩、背骨を這い、肺の中まで凍らせていった。
叫ぼうとしても声が出ない。
口の中で「アヒ……アヒ……」という間抜けな音だけが跳ねていた。

背後を見ないように、絶対に振り向かないようにしてナースステーションに逃げ戻った。
もうそれ以上歩けなかった。
背中を壁に貼り付け、爪が食い込むほど白衣を握っていた。

そのとき、内線が鳴った。
誰かが取ってくれるのを待っていたけど、誰もいない。
仕方なく震える指で受話器を取ると、病棟師長だった。

「見つかったって。あの患者さん、海岸で……亡くなってたって」

受話器を置いたあと、なぜか目の前が歪んだ。
身体が冷えきっていたせいか、世界全体が水の中みたいに見えた。

それ以降、夜勤が苦痛になった。
あの夜以来、背後にあの人が“現れる”ようになった。
いるんだ、すぐ後ろに。
視線を逸らせば視界の端に見える。
白い病衣、濡れた髪、何よりも……あの底のない寒気。

真夏でもカーディガンを重ねていた。
自分だけ周囲と違う気温の中にいるみたいで、顔だけ真っ青で、汗ひとつかかない。

どうしても集中できなくなって、業務が手につかなくなってしまった。
異動願いを出して、別の病棟に移してもらったけれど、やっぱり“あの人”は着いてきた。
病棟が変わっても、時間が変わっても、気配はいつも同じ場所にあった。

だから辞めた。
退職願いを出したときは、上司もさすがに驚いていた。
でも、もう限界だった。

新しい職場では不思議と何も起きなかった。
夜勤に入っても、背後の気配は感じなかったし、窓に何かが映ることもなかった。
たぶん、あの病院だけに縛られていたんだろうと、思いたかった。

でも、たまに、どうしようもなく怖くなる日がある。
相方が休憩に入って、ひとりきりになったとき、無意識に背中を壁に押し付けている自分がいる。

誰かに追われているわけじゃない。
でも、誰かがいる。

そういうとき、あの声が耳の奥で小さく囁くんだ。

「……さむい」

背中から、じわじわと冷えていく。
季節なんて関係ない。
あのとき凍りついた感覚は、今もずっと消えていない。

もう働いていないけど、あの人だけは、まだ“ついて”きているような気がしてならない。

[出典:856 :可愛い奥様:2018/08/20(月) 12:51:15.34 ID:Es7oRAm20.net]

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